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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(128)名刀に宿る霊力を引き出す条件とは? 〝正しさ〟と同時に存在する〝排除〟の思想が「想定外」を毛嫌いする!? 

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年10月15日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「そう時行 お前のような逃げ上手への対応策だ」 

 かつて正宗は「庇番衆の刀も全部俺が打ったんだぜ」と言っていました(第99話「鍛冶1335」)が、斯波家長もこんな秘密兵器を隠していたのですね!

 「正宗作 「疾風蜂はやてばち

 〝動きが速くて刺すように痛い〟ゆえの秀逸な命名ですが、「軽量化」のために刀身をくりぬいている穴の形と並びが〝ハニカム〟(強度にも配慮?)であるのにも、しびれました!
 ※ハニカム…honeycombは「蜜蠟の巣」の意味。自動車や飛行機、建築物の材料の軽量化と強度の保持に使用されることもある形状。

 しかも、家長が〝時行狙い〟仕様の刀を〝顕家狙い〟仕様に変えることもなかったというのは、正宗に打ち直してもらうお金の問題ではないとしたならば(笑)、仲間と一緒に作った刀を持ち続けていたかったか、あるいは、「逃げ上手」の時行の生存の可能性をわずかながらでも想定していたからなのかもしれません。
 刀一つとっても、計算づくめで時に卑怯な家長の表向きの顔に反して、直義と亡き庇番衆に対する熱すぎる秘めた思いが隠されていた!? ーー〝家長のこと信じてきてよかった…〟と、思わず私が妹に告げると、〝やっぱりネチっこい〟という返答が返ってきました(……はい、おっしゃるとおりです)。
 第128話は、自分としては苦手なジャンルですが、まずは刀について触れてみたいと思います。

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 「鬼丸が急に軽くなった
 「あれが鬼丸!」「郎党思いの若のための宿命の刀!!

 「鬼丸」もそうなのですが、まるで命を持つかのような〝霊剣〟の存在を、古典文学の世界ではいくつも目にしています。「鬼丸」については、かつて私のこのシリーズでも取り上げています。


 出所は若干あやしげなので伏せておきますが、最近、大変興味深い話を知りました。
 昭和天皇を皇太子時代からお守りするという極秘の命令を受けた「鹿島神流の剣術使い」の方がかつていらしたそうです。彼の役割は単なるボディガードではなく、密かに与えられた場所から皇居の方向に毎晩何万回も剣を振って、あらゆる霊障、呪いを防ぐというものでした。そして、東京大空襲の際には皇居を狙ったB29を〝消した〟というのです。
 なお、この方が密命のために授けられたのも、この話を知って現天皇陛下を自分の意志でお守りしているという方が手にしているのも、備前の名刀です。

備前おさふね刀剣の里 備前長船刀剣博物館

日本刀の秘密をゼロから学び、いざ備前長船で聖地巡礼!

〔ウォーカープラス 知りたい!行きたい!をかなえるニュースメディア〕

 名刀を振って霊的な力を発揮するなど、にわかには信じがたい話ですが、この〝信じる〟ところが重要なのかもしれません。
 例えば、足利直義はいわくありの霊剣を所持していたけれども、まったく平気だったというエピソードが古典『太平記』にあります。現代でも、事故物件に住んだところでまったく何も感じない、動じないという人がいますが、直義にはその方々と同じメンタルを想像してしまいます。
 少なくとも『逃げ上手の若君』では、時行よりも先に諏訪頼重が、〝蛇行剣〟を振るって人間離れした動きを見せていました。……まあ、頼重は「神」ですしね。ところが直義は、頼重の「優秀な頭脳」に気づいて評価をしていましたが、「神」の部分はそれを隠す「仮面」としか見ていませんでした(第72話「出信濃」)。直義のような超絶リアリストであると、怪異を寄せ付けないかわりに、霊性といった部分についてもゼロなのかもしれません。
 鬼丸は、新田義貞から家長の父である斯波高経の手に渡ります(足利尊氏がそれを知って所望するもゴネて渡さなかったと言います)。一方で、時行の手に渡ったという伝承もあるようですね(こんなところにも、時行ー家長ー義興(徳寿丸)の、因縁のトライアングル……!?)。

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 「想定外の戦法に振り回されて… 正しく強い豪傑の同胞を失わなぬように

 そうです、家長は誰よりも「正しい」のです。ただ、美しくはないのですね。その家長とは対照的な存在として、〝美しい〟顕家が置かれているともとれます。なぜならば、〝正しさ〟には〝排除〟が伴うからです。顕家が、貴族的な差別意識を持ちながらも、誰も排除していない(「敬意」を持っている)のは事実です。ーー「社会のゴミ」とまで称する奥州武士たち、「?」なガキの徳寿丸、ヤバイ「癖」のある結城宗広、かつての「敵」である時行までも配下とし、そして、家長のことは「好敵手」として認めています。
 関東庇番衆への思いが、排他的な仲間意識で終わってしまっていることに、家長の限界があると言えます。彼が「想定外」のことに弱いのは、常に〝仲間〟か〝敵〟かの線引きをした中でしか、世界を見ることができていないゆえなのでしょう(その脆さが、かえってキュン……って、オバちゃんがすみません)。

 徳寿丸「…一方的じゃん いつもあんななの中先代殿?
 (家長が強いんだって、このクソガキが…!(怒)) 

 弧次郎「そろそろ… 非難を覚悟で加勢に入るか
 (いいと思います。家長はこれまでさんざんやらかしてますから、ためらうことないです。)

 (  )内は私の心の声ですが、家長、時行、どっちの味方なんじゃい!?……そんなツッコミが入りそうです。しかし、『逃げ上手の若君』は、登場するキャラクターを簡単に〝敵〟と〝味方〟あるいは〝好き〟と〝嫌い〟に分けてしまうことなどできず、全員応援してしまいたくなるのです。

〔『太平記』(岩波文庫)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕


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