【鳥取寺社縁起シリーズ】「因幡堂縁起絵巻」(8)
【鳥取寺社縁起シリーズ】第二弾として、「因幡堂縁起絵巻」詞書部分の注釈・現代語訳をnoteで連載いたします(月1回予定)。
〔冒頭の写真は、鳥取県立博物館『はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』の表紙(「因幡堂縁起絵巻」の一場面)です。〕
■寺社縁起本文・注釈・現代語訳
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本文(翻刻)は、『企画展 はじまりの物語ー縁起絵巻に描かれた古の鳥取ー』〔鳥取県立博物館/2008年10月4日〕の巻末「鳥取県関係寺社縁起史料集」のものを使用しています。
※「因幡堂縁起絵巻」の概要は第1回をご覧ください。
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【 第五段 】
行平仏像を海底より相違なく引上たて
まつり津のへんに大豆かけたる桑の木あり此下
に堂をたてて入奉りみやこより御迎をまいらす
へきよし再三祈念申て上洛の本望をとけ
つれけり則昇進して大納言になり給けるとかや、
その地當所の者共此堂を大まえくわ寺とそ
申ける行平は薬師寺ト号せらる都へむかへ
申さむ程の仏供燈明のために十二町の田地
をよせて末子を一人ととめおき開発領主と
さためられけるとかや
→行平仏像を海底より相違なく引き上げ奉
り津の辺に大豆かけたる*桑の木あり此の下
に堂を建てて入れ奉り都より御迎を参らす
べきよし再三祈念申して上洛の本望を遂げ
つれ※けり。則ち昇進して大納言になり給けるとかや、
その地當所の者共此の堂を大まえくわ寺*とぞ
申しける。行平は薬師寺と号せらる。都へ迎へ
申さむ程の仏供燈明*のために十二町*の田地
を寄せて末子を一人留め置き開発領主と
定められけるとかや。
※テキストの本文(翻刻)は「つれ」となっているが、それでは意味が通じない。絵巻本体の写真を確認してみたところ、「られ」の誤りか。
〈注釈(語の意味)〉
*大豆かけたる…大豆をかけている(実った大豆を根ごと引き抜き、架木などに掛けて干すことを「大豆干す」と言い、初秋の季語である)。
*大まえくわ寺… 現在の菖蒲山座光寺。
「因幡薬師霊場会」のHPより「第28番札所 菖蒲山 座光寺」
*仏供(ぶく)…①仏前に供える食物。②仏前に供え置く香炉・花瓶・燭台など。
*燈明=灯明(とうみょう)…神仏に供える灯火。
*町(ちょう)…土地の面積の単位。1町は10段。律令制では3600、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。
※特に記載がない場合は『広辞苑』による。
〈現代語訳〉
行平は仏像を海底から確実にお引き上げ申し上
げ船着き場の辺りに大豆を掛けて(干して)いる桑の木があってこの下
に堂を建てて(仏像を)お入れ申し上げ都より必ずお迎えをさしあげる
旨をたびたび祈り申して上洛の本望を遂げ
られた。すぐに昇進して大納言におなりなったとかいうことであるが、
その地その所の者たちはこの堂を「大まえくわ寺」と
申したという。行平は薬師寺と名づける。都へお迎え
させていただくまでの間の供物等を用立てるために十二町の田地
を寄付して末の子を一人その地に置いて開発領主と
決められたとかいうことだ。
〔「因幡堂縁起絵巻」(8)おわり〕