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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(190)足利尊氏を滅亡に導くのは弟・直義の正義かそれとも自身の田楽狂いか、はたまた……当時から〝やらせ〟のうわさがあったという「御所巻」で尊氏が師直を選んだ〝不思議〟!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2025年2月15日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「1349年六月十一日」「この日 尊氏の眼前で田楽の客席が倒壊し 百人以上の死者を出した

 南北朝時代のファンの間では有名なこの田楽桟敷倒壊事件について、仰天の真相で始まった『逃げ上手の若君』第190話でしたが、〝やられた〟感が半端なかったです(古典『太平記』の語り手の意図に引かれ、尊氏と直義と、二人をめぐる武士たちの手前勝手な言動ゆえの怪異だろうという、紋切り型な考えしかなかった私ゆえ)。
 ※桟敷(さじき)…祭の行列などを見物するために高く構えた床。
 この事件は、一人の少年の奇跡のような舞に対して見物人が皆が興奮状態にあった時、尊氏の傍にいた美女が扇を一振りした瞬間に、まるで将棋倒しのようにどっと桟敷が崩れてしまったと、古典『太平記』には記されています。
 ところが、『逃げ上手の若君』の松井先生の解釈は違いました。……「うん 調子が良い」と言う尊氏(の左手から湧き出る発行体(?))によって引き起こされたものだったのです!

 「それに我はもう… 我は権力などに興味が無いしな

 ーー一体、この最高権力者は何を望んでいるのでしょうか。
 後継者問題に「正論」を示し、師直の専横について「簡単」に直義の要求を受け入れた尊氏が、一方で、罪のない人々の命を瞬時に奪うという矛盾とわけのわからない力を持つ以上に、兄の行為が理由なき不可解なものであるただそのことに、直義は戦慄しているような気がするのです。
 『太平記』では、事件直後の騒乱と地獄絵図の有様のみならず、以前より天変地異や怪異が起こり、いずれ国を揺るような大事が起こるのではないかという危惧が語られています。

 この事件は、昔にもこのようなことはなく、尋常の出来事ではない、天下のためにも不吉なことが起る前兆である。互いに敵意をもたない人々が多く死傷したことは、何といっても大変な災難である。昔も無名の下賤の者や女子供などの中で奇跡を現すことですらも、いつかは日本中の災いとなる例があった。ましてやこの桟敷には、現に天下を握っている武将、世を治め正す徳も権勢もある摂籙の臣、国を護る天台座主などがいらしたのであるから、必ず天魔が邪魔をするだけでなく、八幡宮の三神や春日社の四祭神、山王権現の七社の神々もお目にとめられたであろうかと思うと、恐ろしかった出来事である。〔日本古典文学全集『太平記』の現代語訳より〕

 この日の〝超・田楽イベント〟には、尊氏だけでなく、皇族や高い地位にある公家、高僧までもが出席していたのですね。語り手は続けてこう述べています(古文原文)。

 洛中田楽をもてあそぶ事、いにしへに超過せり。大樹たいじゅこれを興ぜらるる事、またたぐひなし。されば万人手足しゅそくそらにして、朝夕これがために婬費いんひをなす。
 ※大樹…征夷大将軍尊氏。

 家柄に恵まれ、高い地位に就く人たちには、それにふさわしい役目を果たす義務があるという考えを西欧では「ノブレス・オブリージュ」などと称しますが、当時の日本における宗教家や為政者も同様の考えを持ち、世の人々を導こうとしていました。
 ※ノーブレス・オブリージュ【フランスnoblesse oblige】…《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。〔デジタル大辞泉〕
 にもかかわらず、将軍である尊氏が先頭に立って田楽にのめり込んでいるから、世の中も人々もそれに従って、田楽のために自分の労力や時間やお金を使ってしまっていると嘆いているのです。これは、一人一人が皆違った個性をもって役割を果たし国作りをするという、後醍醐天皇や北畠顕家の理想とは大きく外れたあり方とは言えないでしょうか。


『太平記』では、足利直義の第一子を〝ある人物〟の生まれ変わりだとしています。
そしてその目的は……また別の機会に書けるといいなと思います。


 また、第190話ではこの後、直義の言を受けて師直の執事を任を解こうとする尊氏に対して、佐々木道誉が「直義様は鎌倉暮らしで北条に毒されました 今や北条の古い政治が理想だと公言される」と述べている場面があります。直義の政治路線が続けば、「つまり末路も北条と同じ いずれ武士の不満が一斉に尊氏様に向くのでは?」という自論を展開します。一方『太平記』では、尊氏の前には北条高時が田楽にのめり込んだことで、「先代一流断絶せし。よからぬ事かな。」と世間が噂してたことに触れています(ちなみに、『太平記』は全体として、北条氏とその政治を評価する傾向にあります)。
 尊氏が滅亡する原因となるのは、北条氏が執り行った鎌倉幕府の政治を「理想だと公言」する直義なのか、はたまた、尊氏自身の田楽狂いなのか、それともまた別の要因なのか(『太平記』では、直義の「待望の第一子」にとんでもない秘密があります。今回は話が大きくずれてしまいますので、〝秘密〟についてはまた別のところで触れることができたら嬉しいです。)……これだけでも熱い議論が交わせそうですね。

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 「高師直執事解任」(ガガアアン)
 「弟殿め上等だ 兵を集めろ
 「はっ!
 「とうとう一戦超えやがったな 直義の野郎

 「弟殿」と敬称は付けてますが、師直の血管、手の甲にも浮き出しちゃってマジで怖いんですけど……。そして、師泰は「直義」って呼び捨て……。

 「こっちの御所巻も激ヤバだ!!」の編集部コピーが個人的にはツボだったのですが、「御所巻」こそ下剋上の始まりとか言うこともどこかで聞いたような気がします。「分捕切捨」といい、師直ってやはりデキる男臭がぷんぷんしてきます。直義はご不満のようですが、「全金属製の直義像」の仕事も早い(笑)。
 このあたりのいきさつを亀田俊和先生の『観応の擾乱』で確認すると、
第190話で直義が師直のことを「有能なれど武を誇って傲慢が極まり 主従の分を超えようとしています」と伝えているこの部分は、『太平記』で直義派の上杉重能と畠山直宗が直義に讒言したことを踏まえているのかなと思いました。
 讒言の内容の一つが、第150話の「全金属製帝」の逸話です。

 残り二つは「所領の問題」にからんだものです。『太平記』では、直義が企てて上記の上杉重能と畠山直宗らが中心となって実行されたと語られる師直暗殺ですが、すんでのところで寝返りが出て師直は助かったとあります。おそらく、「所領の問題」といった利害関係の中で、武士たちは最後の最後まで計算をして、まさしく〝賭け〟さながらの選択をしていたのだろうなと想像します。
 なお、「所領の問題」とは以下の二つになります。

 ①恩賞地が狭いと文句を言ってきた武士に対して、周辺の寺社本所領を侵略することを推奨した。
 ②罪を犯して所領を没収された人に対して、命令を無視して知行を継続するようにそそのかした。
〔亀田俊和『観応の擾乱』「第2章 観応の擾乱への道」「3 幕府内部の不協和音」内の「僧妙吉の讒言」より〕 

 どこまでも〝武士ファースト〟で実力本位と言えばそれまでですが、なんとも危うい(何かが欠けている)と感じるのは私だけでしょうか。さらに、直義のこの発言はかなり現代的かもと感じたのですが、「政治家が軍人に屈する国は必ず民が苦しむ」という発言の核心が、師直の思考・言動に感ずる危うさ(欠落)ではないかと私は考えるのです。私は占いをするのですが、タロット・カードの小アルカナの「ワンド(棒)」では、アレキサンダー大王の東方遠征物語が展開していきます。大王には若き日より「理想」があって大遠征を決断したのではありますが、遠征先で様々な利害を持つ集団や個人間の〝調整〟という政治的な取り組みをする必要が生じます。国家の運営には〝法〟に照らした「理想」が必須であり、集団や個人の争いが起きるべくして起きた際には、お互いが妥協し、譲り合っていくことを教え導くことがなければならないのです。
 そしてここで、三人娘の「御所巻」もかなり危ういなあと思ってしまった私です。その理由は、いつの間にか三人とも時行を〝独占したい〟という思いに囚われてしまっているのに気づくからです(一話一話のテーマの重ね合わされ方が凄すぎます……)。

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 「ほな… 直義と違うかぁ
 「決まりですな では拙者が将軍の館を襲う芝居をします 将軍にはそれに合わせていただき…

 師直は全金属製直義を持ってブチ切れているだけでよいわけで(もともと怖い顔だし…)、その彼が田楽大好きで不死身の尊氏と〝組んでいる〟のだとして『太平記』の「御所巻」の物語を読み直してみると、〝確かに…〟と妙に納得させられてしまいました。
 亀田先生は否定していますが、「このクーデターの黒幕が実は将軍尊氏であったとする噂が当時からあり、それを支持する見解もある」そうです。その上で、次のように述べられています。

 尊氏は直前まで師直邸に住んでいたので、両者の間に事前に何らかの交渉が存在した可能性はあるだろう。しかし、そうであるとしても尊氏は、師直がここまで暴走するとは考えていなかったのではないか。その証拠に、直前に呑気に篠村に参詣して弓場始を行っているのである。真に評価すべきは、尊氏が師直挙兵という不測の緊急事態にうまく対処し、嫡男義詮に直義の地位を継承させるという最大限の利益を得た点であろう。不運すらも幸運に変えていくの が、足利尊氏という将軍の不思議な魅力である。〔亀田俊和『観応の擾乱』「第2章 観応の擾乱への道」内の「御所巻」より〕 

 現代では 肯定的に用いられることの多い「不思議」ですが、『太平記』の中ではそうではない深くて重い、現代人にはとらえがたい意味がある語です。尊氏が目指すところがまるでわからず、彼の「不思議」さは人間の自己中心的といった概念も超越した、人によっては「」であり「」でありという得体のしれないエネルギーという印象です。

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、亀田俊和『観応の擾乱』(中公新書)を参照しています。〕



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