【『逃げ上手の若君』全力応援!】(61)いよいよ中先代の乱! なんとなく違和感だったり不思議だったりするネタの数々をファン目線で考察する
「ついに明神様が立ち上がり…」「奴等に鉄槌を下してくださる!」
頼重からの命を受けた保科弥三郎と四宮左衛門太郎の二人が思い描く「明神様」は……二度見どころか三度見しましたが……「奴等」に平手打ちを喰らわしています。
小笠原貞宗と国司の清原が受けた神業は、強烈なビンタという、オッサン同士のただの喧嘩かい!?みたいなシンプルすぎる手段に唖然となった『逃げ上手の若君』の第61話でした。
そして、前話で瘴奸が登場した際に私は、「麻呂」はどうなったのか気になるということを述べたのですが、尊氏の「神力」注入によって、「京から爆速で信濃に帰って」いたことがわかりました。
そして、どうやら「設計図」らしきものを鬼気迫る表情で描いています。ーー先に京で佐々木道誉が言っていた「朝廷の蔵」で見つけた「面白い物」と関係があるのか気になるところです。
そして、もう一点気になったのは、「平和な時代に生まれておられたら… より輝く場所があったろうに」という国衙の役人たちのセリフのコマです。ーー麻呂は、本当は「哀れな蟹」なんかではないんだよね…と思いました。
「ありがちバカ公家キャラ」だと思っていた麻呂が、こんなに魅力的なキャラに成長していくとは想像もしていませんでした。麻呂にはどうか、「帝世界」の幻想から脱して、本当の意味での「麻呂世界」に生きてほしい(自分の真の敵に気づいて時行たちとともに戦ってほしい…)と願ってしまいました。
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場面は変わって、頼重の子である時継が、息子の頼継に諏訪を託す場面になります。ーー前から気になっていたのですが、時継は目が見えないのでしょうか。諏訪家の嫡男なわけですし、まだ明かされていない神力を持っていて、それと何か関係しているのではないかと想像してしまいます。
「北条時行なんかのためにどうして… 父上や御祖父上が命を懸けて戦を?」
頼継でなくても、読者の私たちもーーたとえ時行と頼重たちを応援していたとしてもーー一度はそれを考えたことがあるのではないかと思います。実際、小笠原貞宗は「いち早く鎌倉を見捨て尊氏につき この二年で信濃の最大勢力へとのし上がった」(第59話)事実があります。
子どもにもわかる形で「このまま戦をしないという理由が無いのだ」と頼継に言い聞かせる時継ですが、もっとも大事で不可解な理由を最初に示しています。
「北条家は… 我等諏訪家を様々に優遇し持ち上げて下さった」
「帝を公家の現人神 諏訪明神を武家の現人神とすることで… 武家が公家から精神的に独立できるように」
「我らが「神」として繁栄できたのは北条様のおかげ その御恩は到底忘れる事はできない」
ここに、不可解に思われる点が二つあります。
一つは、北条家が諏訪家を優遇した理由は何かということです。もう一つは、一神官家の諏訪氏を帝と対立するような立場に置いても問題はなかったのかということです。
単行本5巻の最後に、かつて「解説上手の若君」のかわりに本誌に掲載された、石埜三千穂氏による「深堀り!諏訪探究帖」いうコラムが掲載されています。そこで石埜氏は、ヤマト王権に敵対した出雲のオオクニヌシの息子・タケミナカタの神話を、「ヤマト王権が「諏訪の神様はヤマト側に負けて逃げました。もう諏訪から出てはいけません」と発表されました」と解釈しています。
「ヤマト王権」=「帝」ですから、出雲の「タケミナカタ」=「諏訪の神様」(諏訪明神)であれば、両者が対立する図式が見えなくもありません。
ここでやはりまた第一話に戻るのです。
「いずれお話し致しましょう 貴方様が…この鎌倉を取り戻したその時に」
「頼重殿 貴方の目的はなんだ 亡国の子を救い出してなんの利益がある」という時行の問いに、頼重は「全ては北条家への忠義のため!」と答え、その理由は鎌倉奪還のその時まで秘すのだとしています。ーーおそらく、利害関係は抜きにして無条件でそれをするだけの「御恩」がそこにはあるのです。それはきっと、諏訪氏を「神」として北条家が優遇したことと関係しているのではないかと推測するのです。
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当のその神様ですが、時行に木の枕を投げてぶつけたり、一緒に寝たがったり、かつて時行を寵童に誘った尊氏よりも無礼ではないのか!?と、ヒヤヒヤものでした。
時行をして「しゅ 出陣前夜にしょーもない…」と言わせる頼重ですが、かつて、時行が敗戦に落ち込んで帰って来るのがわかって自分は温泉で遊び散らかしていたの(第44話)と同様に、あえて時行を緊張させない〝諏訪流〟のような気がしてなりません。ーー冗談なのか本気なのかがわからないのも諏訪氏の武器です(笑)。
一方で、額に「やるぞ」の文字を浮かべ、ありし日の兄・高時や一族の者あるいは重臣たち、西園寺卿への思いを胸に黙禱する泰家ーー北条氏が持つそのまっすぐさ、一途さを、諏訪氏は慕ってもいたのではないかと思います。
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北条氏と諏訪氏との関係をはじめ、今回はこれまでの伏線回収も少しずつされていて、弧次郎が「御跡目」と呼ぶそっくりの少年「小次郎」が実は根津家次代当主であることなども描かれていました。ーーこの二人の運命に、中先代の乱はどうかかわるのでしょうか。
大鎧のことも調べたので書きたかったのですが、たぶん次回はそれを中心にストーリーが展開してもいきそうなので、今回はここまでにしようと思います。