ジェーン・スターリングに見る反省的実践(2007)
ジェーン・スターリングに見る反省的実践
Saven Satow
Jan. 29, 2007
「語は音から生じた。言葉の前に音があった」。
フレデリック・ショパン
「ジェーン・スターリング(Jane Stirling)」の名前を聞いて、それが誰なのかを即座にわかる人はあまりいないことでしょう。よほどの音楽通か西洋音楽の研究者でなければ、知らないに違いありません。
このスコットランド人女性はあるポーランド人の元にピアノのレッスンに通っています。その腕前は、華奢で手が小さいこともあって、必ずしも高くありません。彼女は教師の指示を楽譜に記しましたが、先生自らそこに直接書き込むこともしばしばです。しかし、その下手なことによって彼女は音楽史に貴重な史料を残しています。と言うのも、彼女の先生がフレデリック・ショパンだからです。
ショパンと言えば、一般的に、ピアノ曲の作曲家として知られています。ピアノを始めた人なら、その感情を揺さ振る魅力的な旋律に惹かれ、いつかショパンを弾いてみたいというのは誰しも思うことでしょう。けれども、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトなどと違い、『別れの曲』が典型的に示すように、技術的に難しい点があり、挫折してしまうケースも少なくありません。
ショパンが主にピアノ曲の作曲家であることは19世紀のロマン派の特徴の一つをよく示しています。;あれら以前、音楽家は依頼されて作曲しましたから、それにこたえるためいかなるジャンルも作れなければなりません。一方、ロマン派にとって作曲は自己表現です。頼まれて創作するわけではありませんので、自分の得意なジャンルだけに専念できます。
ただ、そういう事情もあってか、ショパンのオーケストラとのピアノ協奏曲には難があるとの指摘も少なくありません。ピアノのソロに寄り添う楽器の選択や音程が今一つとしばしば批判されています。すべての楽器には最適の音域があります。オーケストレーションではこれを理解していなければなりません。もちろん、あえてそれに挑戦する場合もあります。モーリス・ラベルの『ボレロ』のトロンボーン・ソロやイゴール・ストラヴィンスキーの『春の祭典』の冒頭のファゴットなどが好例で、いずれもその楽器の再高音域です。
余談になりますが、アルバン・ベルクの歌劇『ヴォツエツク』の第3幕にオーケストレーションのお手本のようなシーンがあります。錯乱した主人公が妻マリーを刺殺して酒場に行くのですが、そこで腕に血がついていることを周りの人たちに発見されます。ここで場面転換になり、オーケストラが一斉に「シ」の音を響かせます。この音はすべての楽器が共通に鳴らせる唯一の音だからです。その際、コントラバスの音色がうめくように聞こえるのです。
彼女は、残念ながら、ショパンの曲を譜面通りに弾ける技術を有していません。けれども、立派に、ショパンの弟子の一人です。それは、ショパンが譜面に忠実である必要はないという信念を持っていたからです。
ショパンは、彼女に難しい部分を簡略化したり、省いたりして構わないと指示しているだけでなく、『雨だれ』の前奏曲に至っては、その手の小ささにあわせて音符を書き換えることさえしています。演奏できなければ、その箇所を奏者が変更する裁量権を与えています。
こういう指導方針だからと言って、ショパンが大雑把に作曲していたわけではありません。むしろ、彼は完璧主義者です。ショパンは創作する際、納得がいくまで何度も推敲しています。残された自筆の楽譜は、おびただしい修正の跡で覆われています。
しかし、一度完成すると、ショパンは演奏者が技能に応じて、即興的な変更を加えることに肯定的です。高い技術の弟子には、オリジナルの譜面に満足せず、より困難な装飾音をさらに入れて演奏することを求めています。
譬えるなら、ショパンはスケルトンにはこだわり、完璧な家を建てることには熱心であっても、内装や家具といったインフィルは入居した人が使いやすいようにして構わないという大工です。
作品はある時点でのショパン自身にとって完成したにすぎず、それぞれが個人的事情を考慮し、社会的・時代的文脈の中で読み替えていくものだと捉えています。音楽アカデミズムによく見られる権威主義的なショパン解釈は彼に反していると言わざるを得ません。
しかし、もしベートーヴェンが彼女の教師なら、こうした指導をしなかったことでしょう。彼は曲が難しすぎて歌えないと抗議した女性歌手に対し、「ミューズが語ったものを君如きのために変えられるか」と言い放ったほどです。
作曲家としてどうかはともかく、初心者がピアノを習うなら、ベートーヴェンよりもショパンを選びたくなるものです。彼の方がピアノを弾く楽しみ自体を感じさせてくれるに違いありません。
現代では原典に忠実な演奏をすべきだというベートーヴェン流の考えが支配的です。もっとも、20世紀以前の曲を譜面通りに演奏されることはあまりありません。作曲家たちが前提としていた楽器が現在とは違うからです。
特に、金管楽器とピアノのパワーが格段に増しているため、そのままでは曲を損ねてしまいます。例えば、ベートーヴェンの『月光』は、今のグランド・ピアノで作曲者の指示に従って弾くと、低音部が濁ってしまい、『地震』に改題したくなってしまいます。
実は、当時の楽器を再現した古楽器による演奏も試みられています。これを曲の生まれた頃の演奏こそ最良であるとする原点回帰主義とするなら、以後の蓄積を全否定するのですから、いささか乱暴な認識です。むしろ、現在主流の解釈の相対化に意義があります。この再発見を通じて新たな理解に基づく演奏を生み出す契機と捉えるべきでしょう。
今日のクラシックにおけるピアノ演奏のヘゲモニーはベートーヴェンを主流ないし正統としています。ショパンは非主流、もっと言えば、異端です。
常識的なピアノの運指法は、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン=カール・ツェルニー=フランツ・リストの系譜上にあるとされています。それは、すべての指は鍛錬によって等しく扱えるようになるという発想に基づいています。
ツェルニーと聞けば、ピアノ教室が思い浮かぶ人も多いでしょう。通い始めると、自動車の教習所よろしく、まずバイエルを練習し、その後でツェルニーの練習曲と進むのが定番です。その曲は退屈な繰り返しばかりで、ピアノを嫌いにさせるには十分な代物です。受験用の問題集を延々解かされている気がします。6年もピアノを習っているのだから、ブラームスやシューベルトが弾けると周囲に自慢したいのに、実際の答えがツェルニーでは格好がつきません。
ショパンはリストとほぼ同時代人ですが、この考えに与しません。彼は、指はそれぞれに形も力も違うのだから、その特性を生かすべきだと主張しています。ツェルニー=リストの運指は親指や小指という具体的な体の部位ではなく、身分を「国民」に想像化したように、抽象的な指に基づいているのです。
ベートーヴェンの系譜が主流になったのは、それが近代に合っていたからでしょう。ベートーヴェンが精神の身体に対する優位性に立脚していたとすれば、ショパンは身体という制約条件から出発し、近代の中心的思考から外れています。
しかし、ショパンのピアノ教師の姿勢が再評価されるべき時がきています。ピアノ教師ショパンから伝わってくるのは「反省的実践家」の姿です。ドナルド・ショーンは、『専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える』において、クライアントが直面する問題に対し、共にそれを解決しようと従事する「反省的実践家」について述べています。
従来の専門家は高度な教育を受け、専門的な知識や技能を有する熟達者です。教師は未熟な者に技能を一方的に教えるというわけです。しかし、ショーンは、「反省的実践家(reflective practitioner)」という新しい専門家のモデルを提起します。専門領域の理論や技術を実践に適用するのではなく、あやふやで何が起こるかわからない現実の状況にクライアントと協同で解決を探る「行為の中の省察(Reflection in action)」のできるプロフェッショナルです。
反省的実践家としてのショパンにとって、ピアノ教授は一方向ではなく、双方向です。教える過程を通じて自分自身も成長しています。ジェーン・スターリングはショパンからピアノを習っていたのですが、実は、彼女以上に、ショパン自身がより学んでいます。下手くそな彼女が天才にそれを教え、偉大な作曲家へ導いたと言っても、決して過言ではないのです。
「大学にいたころも、『カシコに教わるくらい、アホでもできる。アホから教わるのが、ほんまもんのカシコや』などと言っていた。カシコは標準の規範を受け入れるのに巧みだが、標準とずれたことへの感受性がなくては、新しいアイデアは生まれない。(略)もともとが、カシコとアホにしても、入り乱れるのが普通。それなのに、正解を早いとこ知って安心したがる。安心を求めて、あやふやに耐えられないのなら、研究者なんかにならんほうがいい。世間で生きるだけでも、安心はなるべく後まわしにして、なるべくあやふやを楽しんだほうがトク」(森毅『みんなアホでええやないの』)。
〈了〉
参照文献
笠原潔、『西洋音楽の諸問題』、放送大学教育振興会、2005年
佐藤学、『改訂版教育の方法』、放送大学教育振興会、2004年
森毅、『ぼくはいくじなしと、ここに宣言する』、青土社、2006年
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