クロード・レヴィ=ストロース、あるいは最後の大思想家(2009)
クロード・レヴィ=ストロース、あるいは最後の大思想家
Saven Satow
Nov. 05, 2009
“Mr. Lévi-Strauss! Pants or books?”
川田順造『こぼれ話、レヴィ=ストロース先生』
肯定的立場にしろ、そうでないにしろ、その存在を無視できない思想家を「知の巨人]と呼ぶ。2009年11月1日に亡くなったクロード・レヴィ=ストロースはまさにその名にふさわしい。
レヴィ=ストロースは、人類学におけるほぼすべての領域に亘って画期的な理論をつくり上げている。加えて、その影響は他の学問や芸術にまで広く及んでいる。彼の構造主義人類学は西洋近代の理性中心主義や「白人の重荷」を始めとする進歩史観やホイッグ史観の再検討を決定的に促している。
構造主義自体は彼の独創ではない。それは元々数学から始まっている。数学において点や直線、平面といった基本概念を定義することは難しい。そこで、作業仮説、すなわち公理系を立て、それを厳密にすれば、定理とその証明を内部だけで行えるので、定義が希薄でもかまわないことになる。さらに、その公理系を複数に亘って満たすなら、交換法則に基づき、それを基本系として議論を拡張できる。この一般的・抽象的な基本系を「可換半群」と呼び、それが「構造」である。フランスの数学者集団「ブルバキ」は、1930年代から、この構造に着目して、蓄積されてきた数学の成果を整理していく。
この構造主義は、その後、多くの学問分野に応用される。レヴィ=ストロースは、言語学者のロマン・ヤコブソンを介して、それと接触している。構造主義は、そのため、当初は思想潮流ではなく、新しい科学的方法論として理論家の間で受容される。それは、特に、要素間の可換、すなわち交換可能性の説明の際に利用される。
この状況を一変させたのがレヴィ=ストロースである。彼は、1962年に発表した『野生の思考』の最終章「歴史と弁証法」において、ジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』を痛烈に批判する。当時、支配的だった実存主義への新興の構造主義からの挑戦と世間は受けとめる。
実存主義ブームの衰退と共に、それと対立した構造主義が思想界のヘゲモニーを獲得する。実存主義が強調した主体による同一性を暴力として批判、差異性を提示する。思想潮流化した構造主義は、大胆不敵なチャレンジャーへの敬意として、レヴィ=ストロースの名前と結びつき、彼は一躍スターになる。構造主義は反主体主義的関係論として人類学のみならず、学問・芸術全般に援用され、そこでも革新的な成果を挙げていく。
もっとも、レヴィ=ストロース自身はこの流行に距離を置き、安易な他分野への構造主義の応用に慎重な姿勢をとり、徹底とした理論の厳密化を続ける。しかし、その禁欲的な態度によって彼はカリスマ性を増す。
構造主義の最大の魅力は、その見通しのよさである。本質を把握し、それを構造として抽象化・一般化するので、拡張の可能性が大きくなる。重要なのは個々の要素ではなく、その関係である。そこに学問・芸術分野への応用の道が開かれる。
この見通しのよさは人類学に適している。人類学は、時間的に長い射程と空間的に広い視野に基づき、個々の文化の分析を通じて「人間とは何か」という普遍的な問いに取り組む。その特徴は文化相対主義である。近代のみならず、すべての文化は相対化される。その際、気をつけなければならないのは、前近代同士の文化も相対化されることだ。人間とは何かを普遍的に考察することが主眼であるから、文化に優劣をつけることなどしない。
流行は安直な便乗者を生み出すものである。構造主義も例外ではない。「構造」が何たるかさえ理解しないまま、構造主義を自称する粗雑な考察が多くの分野で次々と出現する。それに伴い、構造主義への厳しい批判が投げかけられ、ブームは終息する。しかし、次に登場したのは「ポスト構造主義」という非常に曖昧な名称の思想潮流で、「実存」や「構造」ではなく、「他者」をキー概念とし、思想的なアイデンティティが希薄である。構造主義克服のために実存主義を「他者」から再検討したり、構造主義の異議申し立てを「他者」を通じてラディカルに推し進めたりするなど統一性がない。レヴィ=ストロースは、その意味で、現段階では最後の大思想家だと言える。
言うまでもなく、構造主義にも限界はある。構造による考察は、長い時間をかけてゆっくりと変化する世界やほんのわずかな差異が決定的であると同時にそれを受容せざるを得ない世界には向く。通過儀礼や節目が明確な社会に活用しやすい。しかし、急激に大きく変わる世界や絶え間なく更新されていく世界には適用できない。定着した観のあるブログはその一例である。そこでは構造ではなく、ユーザーの利用しやすさのために「タグ」が採用されている。
また、レヴィ=ストロースは近親婚の禁止を説明する際に、婚姻を女性の交換と捉え、物議をかもしている。構造という概念は交換を前提としている。それを用いれば、交換が理論に入り込むのは必然的である。構造主義に依拠して、近親婚の禁止を説明するとしたら、何かの交換を持ち出さざるを得ない。あくまで構造主義は仮説である。近親婚の禁止をそれ以上の説得力のある説で説明ができれば、有効性を失う。
ちなみに、交換概念は時間を十分に組みこんでいない。交換概念では共同体における借金を必ずしも言い表せない。しかも、共同体が自然という完全には予測不可能な環境に依存しているとすれば、借金なしには機能し得ない。構造主義による近親婚の禁止の説は時間を欠いている。レヴィ=ストロースを不愉快に思う人たちにとっては、ここがおそらく鍵になる。
レヴィ=ストロース以前にアメリカの人類学者は政策提言によってこの学問の意義を一般にアピールしている。マーガレット・ミードやルース・ベネディクトなど女性の研究者が同時代的アメリカの価値観を相対化する主張を示している。
レヴィ=ストロースの仕事も人類学の大きな流れの中で捉えるべきだろう。彼は、その著述スタイルを「プリコラージュ」になぞらえているように、構造に着目することで、人類学の蓄積された成果を再編成する。しかも、彼の成功は人類学を学問として世間に広く認知させ、研究者数を増大させている。レヴィ=ストロースは新たな開拓者と言うよりも、古典的な人類学の完成者である、
文化人類学はもはや一つの学問分野ではない。それは研究アプローチであり、いわゆる「未開社会」だけでなく、共同生活が営まれる社会であれば、すべてに適用できる。難民キャンプであれ、インターネットであれ、派遣村であれ、対象にできる。現代の社会は複雑化・多様化しており、どのような問題であっても、一つのアプローチだけでカバーすることは不可能である。国際政治であっても、地域研究の認識が必須だ。文化人類学的アプローチはそういう社会を考察する際に、欠かせない。
ただ、人類学者の意気込みはしばしば自らのアイデンティティを見失った考察に突き進んでしまう。科学者が斥ける知見を科学的根拠として行政や立法が政策を推進することがある。この問題の解明に科学技術論や行政分析などが取り組むことは理解できる。しかし、人類学が取り扱うべき意義はあまり認められない。人間とは何かを普遍的に考察するという人類学ならではの問題設定を軽視してはならない。
その発展はレヴィ=ストロースの成功なくしてはありえない。彼はヤコブソンの構造言語学の方法論を人類学に援用したが、それは厳密化された形式が汎用性を高く持ち、拡張の可能性も大いに生まれることを示している。また、レヴィ=ストロースによる明確な体系化によって人類学が基礎付けられ、それを基盤に応用展開の道が開けたと言える。彼の手を離れて構造主義人類学が大きく育っていったことがその思想の最大の意義である。それが彼を「最後の大思想家」と呼べる所以にほかならない。
レヴィ=ストロースは、1977年、カナダのCBCラジオのインタビューで次のように答えているが、それは彼の構造主義のそういった功績をよく物語っている。
私は個人としてのアイデンティティを感じた記憶がなく、今もそれはない。私から見た私は物事が起きている場のように見える。見ている「私」も、見られている「私」も実感はない。いずれの私も、一種の十字路のようなものだ。そこではいろいろなことが起きるが、十字路そのものはいつも受身でしかない。この十字路で何かが起きる間にも、別の場所でそれに劣らぬ部意味あることが起きている。選択の余地はない。偶然に任せるほかない。
〈了〉
参照文献
クロード・レヴィ=ストロース、『野生の思考』、大橋保夫訳、みすず書房、1976年
同、『神話と意味』、大橋保夫訳、みすず書房、1996年
同、『レヴィ=ストロース講義』、川田順造他訳、平凡社ライブラリー、2005年