なんとなく、ソーシャル・キャピタル(2015)
なんとなくソーシャル・キャピタル
Saven Satow
May. 21. 2015
「結局、私は、”なんとなくの気分”で生きているらしい。そんな退廃的で、主体性のない生き方なんて、けしからん、と言われてしまいそうだけれど、昭和三十四年に生まれた、この私は、”気分”が行動のメジャーになってしまっている」。
田中康夫『なんとなく、クリスタル』
社会関係資本、すなわち「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」の重要性が広く認知されている。それは互酬性に基づく社会的協力関係である。その意義が認められるにつれ、各方面で定量的研究も進んでいる。
小山弘美せたがや自治政策研究所特別研究員は、この指摘に応える形で、社会関係資本を「住民力」と再定義している。彼女は、『世田谷区民の「住民力」に関する調査研究』(2012)において、世田谷区を事例に社会関係資本の定量化を試み、その強さが開放性とイノベーションと共存することを実証している。「住民力」は「地域社会の形成に主体的に参加するための住民自身が保有するソフトな資源」であり、「行政と対等に公共的領域に対して責任をもち、意思決定過程に参画しうる住民の力量」と規定している。
住民力を示すように、社会関係資本の蓄積した地域は、災害時の復元の速度が速い。ダニエル・アルドリッチ(Daniel Aldrich)東京大学客員教授は、2013年4月20日付『朝日新聞』の「生活を復元する力」において、ソーシャル・キャピタルを育み、「レジリエンス(Resilience)」、すなわち「被災によって奪われた日々の暮らし、日常生活のリズムを、集団としていち早く取り戻す能力」のある街をつくることを提唱している。
災害後の復旧の速度は地域の復興に影響を及ぼす。歴史は元に戻らない。災害によって避難した住民は復旧が長引けば、新たな環境に適応して生活せざるを得なくなるため、帰ることができなくなってしまう。
協力の形態は四つに大別できる。交換・自給・支配・互酬である。交換は取引であり、その典型が売買だ。それが繰り広げられる最大の場が市場である。自給は自給自足のことで、それは家政である。支配は権力による権利と義務の人間関係だ。国歌がそれを代表する。互酬は協同である。資源をプールし、協同で利活用する。人間の集合的システムはこうした協力関係を根源にしている。それを「交換」に見出し、「贈与=返礼」・「略取=竿分配」・「商品交換」・「贈与=返礼の高次元回復」と分類する柄谷行人のような論者もいるが、「場」の認識が不十分で、理解が恣意的である。
この第4の協力関係に基づくのがソーシャル・キャピタルである。これはつながりの点から二つに大別できる。一つは絆を強化する「結合型(Bonding)」である。社会集団内部の連帯を強める。もう一つは広げる「橋渡し型(Bridging)」である。異なる社会集団を連結させる。
いずれのソーシャル・キャピタルでも、繰り返しの中で蓄積される。反復され続け、それが資本だとさえ意識されなくなる。「なんとなく(Somehow)」という暗黙の関係になっている時に、十分に蓄積されたと言える。
長いつき合いの友人関係を思い起こしてみよう。忘れている場合もあるが、きっかけが確かにあるだろう。なぜ続いているのかを考えれば、理由が思い当たらないわけではないものの、どうもしっくりしない。結局、「なんとなく」としか言いようがない。これだけ続いているのだから、今さら根拠を求める必要もない。
募金や献血、寄付といった活動を長年に亘って続けている人も少なくない。継続の理由を社会貢献への意思と答える人も要るだろうが、「なんとなく」続けている人もいるに違いない。日常経験から推察するに、意識しなくなるほどでないと持続しないことも多いからだ。社会的協力が習慣化し、「なんとなく」続いている。
人には特に理由もなくついつい協力することが日常にはある。見知らぬ人でも道を聞かれたら、助けになりたいと行動するものだ。教え諭されたわけでもないのに、「なんとなく」そうする。根拠を見出す必要もない。当為や義務ではなく、習慣と呼ぶほかない。
社会的協力は一時的ではなく、継続されなければその効力を十分に発揮しえない。非日常ではなく、日常的習慣化が目指すものだ。それを「『文化』と呼ばれる。
ソーシャル・キャピタルはそうした習慣として蓄積される。意識されなくても、暗黙の裡に社会的協力してしまう。「なんとなくソーシャル・キャピタル」となった時、多種多様の社会的協力が浸透する。
政治が風俗化することを、忌みきらう人もいるかもしれない。しかしぼくは、かつて理論が無媒介的に力となったことはなく、風俗化こそ力である、という考えを持っている。あの六〇年代末、学生運動が政治的な力たりえたのは、それが風俗化しえたからだと思う。それゆえに、あの前後の政治的頂点を、ナンテールでもなく、バークレーでもなく、安田講堂でもなく、ぼくはウッドストックに見る。
ついでに言えば、あの当時、非日常的突出性が強調されたのにぼくは反対で、突出性を日常にとりこみ風俗化すべきだ、というのがぼくの少数意見だった。その意味で、七〇年代で、マンガやミュージックの風俗運動が政治運動と乖離し、風俗が政治的力を失ったことは気になっている。それには、風俗化を嫌った政治運動家の禁欲主義的軍事化が原因となったとも思うが、運動としてかかわらなかったぼくとしては、べつにそれを非難しようとは思わない。あんな楽しい日を味わわせてくれた彼らを、どうして非難できようか。
(森毅『全共闘神話について』)
〈了〉
参照文献
小山弘美、「世田谷区民の『住民力』に関する調査研究」、『都市とガバナンス』第19号、2013年3月
田中康夫、『なんとなく、クリスタル』、新潮文庫、1985年
森毅、『ひとりで渡れば危なくない』、ちくま文庫、1989年
森岡清志、『都市社会の社会学』、放送大学教育振興会、2012年
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