専門家コミュニティと原子力(2011)
専門家コミュニティと原子力
Saven Satow
Aug. 19, 2011
「会員は、原子力技術が成熟したとして安全性を過信しない。原子力開発の歴史はいまだ1世紀に満たない。今後とも新たな技術的問題が出ることがありうるとして、緊張感を持って新しい事象が発生することに対し警戒心を維持する」。
『日本原子力学会倫理規定』2-7
福島第一原発の事故により、市民から「専門家」への不信の目が向けられている。身内の論理の優先やわかりにくい説明、保身のための責任逃れなど見苦しい言動が目立つ。2005年に理事会で改定承認された『日本原子力学会倫理規定』の2-8「安心できる社会の構築」が虚しく目に映る。「会員は、技術に対する安心が、技術的な安全だけでなく、技術を扱う者に対する信頼感によって醸成されることを,よく理解し,安全の確保に努めるとともに,安心できる社会の構築に貢献する」。
国・地方の政治にかかわる科学技術の専門家は漠然とした集団ではない。政府や企業、研究機関、報道機関と専門家は分かれて所属しているが、それらを横断して役割が分担されたコミュニティを形成している。それは科学者・技術者・実務者・評価者・助言者の5種類によって構成される。
「科学者(Scientists)」は自然科学における基礎づけの理論や学説、方法論を研究する。その際、実験を計画・実施し、得られたデータを実証的かつ合理的に解析することが求められるが、これは技術者も同様である。
「技術者(Engineers)」は自然科学の知識を応用し、システムやプロセス、アーキテクチャ、パーツをデザイン・設計・保守する。科学は人間に裁量権がないが、技術ではそれがある。電気伝導性は銀が銅より上であり、この順位を変えることはできない。しかし、送電線にどちらを使うかとなると、選択の余地がある。前者が科学であり、後者は技術である。
「実務者(Officers)」は実際の事務を担い、ある方針・目的遂行のために、各種の調達・調整を行う。これは官僚を思い浮かべればよい。
「評価者(Evaluators)」は、ある評価基準に従い、その事業・業務の妥当性を審査・検証・判断する。第三者の姿勢を必須とする。
「助言者(Communicators)」は共同体で行われていることの内容や意義を外部に説明し、外からの意見や疑問を今後に反映するために言語化する。広報とお客様係の二つの役割が要求される。
非常に大雑把な定義であるが、専門家コミュニティの組織化の模様はおおよそ理解できるだろう。これが効果的に機能していれば、成果を挙げられるだけでなく、不祥事は起きにくいはずである。なお、医療など分野によっては、「科学者」や「技術者」の名称は適切ではないので、別称を用意する必要がある。
日本の原子力コミュニティについて考えてみよう。この共同体の中核は技術者と実務者である。54年、日本学術会議が「公開・民主・自主」の原子力平和利用三原則を掲げ、科学者もこのコミュニティに参加している。しかし、57年、三原則を無視し、産業界主導で性急に進められていく姿勢を危惧した湯川秀樹が原子力委員会の委員を辞任、以降、科学者はこの共同体から距離を置く。コミュニティ内にいないわけではないが、発言力が非常に弱い。また、評価者は技術者・実務者の進めることを追認するだけのゴム印であり、事実上不在である。さらに、助言者は専ら広報に撤し、役割の半分しか果たしていない。この共同体は無批判的で、同質性が強く、閉鎖的であるため、思考にダイナミズムを欠き、集団的浅慮に陥りやすい。
評価者がなあなあで、助言者が大本営発表なコミュニティは珍しくはない。しかし、もはや時代は変わり、法令順守や情報公開がコミュニティへの信頼感を向上させることはすでに半ば常識である。隠蔽しようとしたところで、インターネットが普及した今日、市民は情報をソーシャル・メディアでアドホック・ネットワークからすばやく収集している。
「原子力」という固有性に着目するとき、このコミュニティで科学者の影が薄いという実態は非常に大きな意味がある。すべての科学者や他のメンバーたちが以下のように考え、振る舞ったというわけではない。あくまで理念型である。
原子力発電は原子核物理学に理論的基礎を置いている。アマチュアが切り開いた熱力学と違い、原子核物理学はアカデミズムの中で誕生し、発展してきた分野である。科学者は放射線や放射能、電子、原子核、中性子など次々と新たな発見をし、革新的な研究を続ける。けれども、それはとうとう原子爆弾の開発にまで至ってしまう。J・ロバート・オッペンハイマー、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマン、オットー・フリッシュ、エミリオ・セグレ、ハンス・ベーテ、エドワード・テラー、スタニスワフ・ウラム、リチャード・ファインマンなどマンハッタン計画の主要メンバーは科学者である。技術者ではない。科学者は、史上初めて、人類に自分たちを絶滅させられる手段を与えてしまう。中には水爆開発までさらに突き進むエドワード・テラーのような人物もいるが、多くの科学者が後悔と自責の念を抱き、後ろめたさをおぼえるようになる。1955年、アルベルト・アインシュタインは、バートランド・ラッセルと共に、核兵器の廃絶と科学技術の平和利用を訴える宣言を発表する。このラッセル=アインシュタイン宣言には発起人の二人を含む11人の科学者が署名し、その中には湯川秀樹の名前もある。
「原子力の平和利用」が国際的に語られた時、日本の科学者がそれに賛同しても不思議ではない。日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹は原子核物理学者である。自分たちが発見した原子力は破壊と殺戮の道具だけに尽きるものではないと思わずにいられない。被爆国であるからこそ、それを成し得る。罪滅ぼしの気持ちで科学者たちは原子力コミュニティに参加する。二度と罪を犯すまいという慎重な態度は、罪悪感もなく、さまざまな思惑を持った他のメンバーには、しばしば足を引っぱっているようにさえ感じる。自分たちは楽観的に明るい未来に向かっているのに、彼らは悲観的に暗い過去の話を蒸し返す。科学者は原子力の平和利用も取り返しのつかない過誤の歴史を踏まえていなければならないと考えるが、その主張は通らない。科学者にはもはや居場所はない。科学者の主張する自主開発路線は後退し、通産省と産業界、電力会社が主導する技術導入による商業炉の稼動へと原子力行政の方針が決定される。歴史を追放したコミュニティの叙事詩は神話とならざるを得ない。後ろ暗さがそこにはない。「安全神話」が誕生するのは後ほんの一歩である。
科学者も核兵器に対する批判を続けながらも、原発には積極的反対論を控えるようになる。原子力コミュニティに多くの人々が加わりながら、実態に愕然とした何人かは離反する。高木仁三郎のような科学者は原発が決して科学の贖罪になりはしないと訴える。罪に罪を重ねるだけだ。科学者は市民と共に生きよと叫ぶ。また、技術者にも、冷や飯を食わされながらも、自説を曲げない有志が現われる。ところが、スリーマイル島やチェルノブイリで原発のシビア・アクシデントが起きながらも、原子力コミュニティは従来の姿勢を堅持し、国内に次々とプラントを建設する。JCOやもんじゅ、柏崎狩羽原発の事故があっても、ろくに自省もしない。
科学者が去った原子力発電は技術の領域から主に考えられる対象となる。それは、技術である限り、捨て去る選択肢も生まれる。たとえ低い確率であったとしても、シビア・アクシデントのシナリオが書けてしまうことが明らかになる。その被害は破壊的なまでに甚大である。だったら、脱原発へと向かい、再生可能エネルギーの開発に臨む道を選ぶことも考慮されてよい。難しいからこそセ実現できたなら、これこそ技術屋冥利に尽きる。電力は、その時、コストから投資の対象へと化ける。しかし、個々ではそう思っていても、このコミュニティにはそんな健全性はとうに失われている。「カルト」の観さえ呈している。
2011年3月11日、フクシマが起きる。それは依然として終息がいつになるのか、被害がどれだけに及ぶのか想像さえつかない。
我々日本原子力学会会員は、原子力技術が人類に著しい利益をもたらすだけでなく、大きな災禍をも招く可能性があることを深く認識する。その上に立って原子力の平和利用に直接携わることができる誇りと使命感を抱き、原子力による人類の福祉と持続的発展ならびに地域と地球の環境保全への貢献を強く希求する。
日本原子力学会会員は原子力の研究、開発、利用および教育に取り組むにあたり、公開の原則のもとに、自ら知識・技能の研鑚を積み、自己の職務と行為に誇りと責任を持つとともに常に自らを省み、社会との調和を図るよう努め、法令・規則を遵守し、安全を確保する。
これらの理念を実践するため、我々日本原子力学会会員は、その心構えと言行の規範をここに制定する。
これは『日本原子力学会倫理規定』の前文である。コミュニティのメンバーすべてが会員ではもちろんない。しかし、この理念は共有されていて当然である。彼らはこの倫理に反し、罪を犯している。罪人は償わなければならない。贖罪はまだ始まっていない。
〈了〉
参照文献
朝日新聞特別報道部、『プロメテウスの罠』全3巻、学研プラス、2012~13年
山岸一生、「原子力委の設置、裏に偽装報告 55年 初の海外調査団」、『朝日新聞』、2011年7月17日3時1分更新
http://www.asahi.com/special/playback/TKY201107160721.html
日本原子力学会、『日本原子力学会倫理規定』、2005年
http://www.aesj-ethics.org/document/pdf/code/code2005.pdf