昔ばなしの村落空間(2015)
昔ばなしの村落空間
Saven Satow
Sep. 12, 2015
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」。
田中正造
多くの昔ばなしの舞台は近世の村落です。具体的な地名が挙げられることもありますが、「あるところ」と不定の場合も少なからずあります。当時の村落の空間が映像媒体で表現されていますけれども、それを見ても全体像までわかっているかどうかは疑問です。昔ばなしはそれを暗黙の前提にしています。現代の読者は村落の空間構造を明示的に知った上で、接すると、より理解が深まるでしょう。
日本列島は平地が少なく、森林が多い地理的環境をしています。たいていの村には山があります。神様やご先祖様は山にいるとされていますから、その中腹に寺院や神社が建立されます。仏が神として現われるという本地垂迹説に基づき、両者が併設していたり、習合していたりします。
里山は入会地です。商業利用の禁止や一日当たりの持ち出し量の制限などの決まりを守れば、村人は山に入って薪を拾ったり、馬草を刈ったりなど資源を対価なしで使えます。新鮮な草木はそのままでは水気を含んでいて燃料に使えません。山にはそれらを干すための荒地があります。
山のふもとに庄屋や地主など村の有力者が居を構えます。水は高いところから低い方へ流れます。山に近いと、水の点で田には有利です。ふもとから谷もしくは川に向けて自作農、さらに小作農と経済的に貧しくなっていきます。川は洗濯したり、魚介類を採集したりする場でもあります。川沿いは河原や湿地で、農地に不向きです。
川に面した水車小屋は村で最も貧しい世帯です。彼らは村人の麦や粟のもみ殻をとり、ついたものをわずかばかり受けとって生計を立てます。ふとんではなく、むしろを使って寝るような貧しい所帯です。
山や川と言っても、そこには名もない小山や小川も含まれます。なお、日本の河川は流れが急ですから、河原が生まれます。他方、欧州の大河は流れがゆったりしており、水面に植物が迫っています。河原はありません。
村落は山と川に挟まれ、人が住む地域です。地理的条件によって区切られますので、世帯数は50~60戸です。人間が名前を記憶できる量を考えれば、全員が顔見知りだと言えます。
大名は田から年貢を取り立てますが、この区割りが非常に複雑です。ある農民の田でも別々の大名の年貢になることもざらです。機械化も化学肥料もない時代ですので、農地の生産性の差が大きいからです。重い年貢に耐えかねて隠し田を山陰に密かに耕作する農民もいます。
村落ではどこに住んでいるかによってその世帯の経済力がわかります。格差が可視的です。昔ばなしを読む際に、川に近い世帯ほど貧しいと理解しておくとよいのです。貧しい主人公の家が川の傍と語られていることが少なからずあります。また、寺より山奥に住んでいる世帯は何らかの事情を持っていると思わねばなりません。
村落の空間を暗黙の前提として物語が展開されている一例が『三年寝太郎』です。長者の蔵に棲むネズミがそこから小判を運んで山で虫干しをするシーンがあります。通常、長者の屋敷は山のふもとにありますから、これができるのです。そうでなければ、村人に気づかれてしまいます。また、長者の小判ですからかなりの量と推測されますので、虫干しの場所は荒地でしょう。なお寝太郎物語には複数の版があります。あくまでこれはその一つです。
ここで述べた村落の様相は、言うまでもなく、一般的なものです。実際には諸般の事情によりこのようになっていない場合もあります。昔ばなしは近代人を読者として想定していません。ですから、その暗黙の前提を知った上で読むと、より深く楽しめるのです。
実は、こうした村落が近代に入って都市化されても、その名残があります。一例が山の手と下町という区分です。
公務員やサラリーマンは田畑を必要としません。反面、月給取りですから、決まった現金収入があります。地主は山のふもとの土地に彼ら用の住宅を用意します。これが山の手です。他方、人口増加に伴い、商店などサービス業も集まってきます。彼らは地主から農地に不向きな川沿いの土地を借ります。下町の誕生です。もっとも、現在では川も流れを変えたり、地下に移設したりするので、かつての面影がない場合もあります。
山の手と下町は今では都市空間の暗黙の前提です。それを明示化すると、昔ばなしの村落とつながりが見出されます。昔の話は今と暗黙の裡に通じているのです。
〈了〉
参照文献
浅川達人他、『現代都市とコミュニティ』、放送大学教育振興会、2010年
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