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懐かしさを超えて─「坂本龍一|音を視る 時を聴く」(2025)

懐かしさを超えて─「坂本龍一|音を視る 時を聴く」
Saven Satow
Feb. 28, 2025

「モノをつくっているひとは、つくればつくるほど近視眼的になってしまう。大局的に見るのが難しくなるのは確かだと思います」。
坂本龍一

 最新の現代アートでありながら、その作品群が引き起こす印象は懐かしさに満ちている。醸し出される知的でスタイリッシュな雰囲気は、かつてラディカルな斬新さに衝撃を受けた80年代の記憶を呼び起こす。2024年12月21日から2025年3月30日まで東京都現代美術館で開催される「坂本龍一―音を視る 時を聴く」展は、まさにその感慨を来館者に抱かせる。

 展示には、2023年に71歳で亡くなった坂本龍一が生前に温めていた構想を基にした作品群が並ぶ。しかし、そのテーマを反映したアートを目にすると、こうした方向性の方法論はポストモダン思想が流行した80年代に出尽くしていたことを改めて実感させられる。新たなものが生まれることはなく、ただ反復があるだけという当時の共通認識が現実となっている。

 坂本龍一は80年代のカリスマの一人であり、その時代性から断絶する必要は必ずしもない。知的でスタイリッシュという当時の時代の気分を体現すること自体は、同時代を相対化の視点からも否定されるべきではない。実際、「坂本龍一―音を視る 時を聴く」という展覧会のタイトルは、坂本龍一と大森荘蔵の対談『音を視る、時を聴く[哲学講義]』(1982)を想起させる。また、ノイズの利用に関しても、初期のソロアルバムや細川周平との共著『未来派2009』(1986)においてその意義が論じられている。今回の展示は、こうしたテーマを改めて具現化したものとして理解できる。

 しかし、懐かしさはその問題意識ではなく、むしろ方法に起因している。そうした表現が、同時代に対するラディカルさを欠いているからだ。ポストモダン思想の再現にとどまっており、ノイズの使用にしても、ノイズカットが容易なデジタル技術がこれほど浸透した今日においては、どこか郷愁を呼び起こすものである。

 もちろん、作品は過去に固執することなく、80年代以降の出来事を踏まえている。例えば、高谷史郎との共作で、東日本大震災の津波で被災したピアノが、世界各地の地震データに基づいて奏でる「IS YOUR TIME」はその好例である。西洋における近代音楽を象徴するピアノが、自然の力で調律されたという解釈には一定の批判的意図がこめられていることは理解できる。しかし、地震の振動で生じた津波は観光船を民宿の屋上にまで押し流すほどの威力を持っている。その巨大な揺れを実際に体験した人々には、このアートが地震を小さく描きすぎていると感じられるだろう。

 また、坂本龍一には、直線的に流れるという時間概念への懐疑があり、時間は人間が作った存在ではないのかという問いがあったと言う。この問題意識は極めて現代的であるものの、作品は形而上学的な理解にとどまっている。社会の高齢化が進展し、認知症者と接する機会が増えている。彼らにとって時間はもっぱら主観的で、なおかつ過去・現在・未来という連続的なものではない。過去や未来は現在からしばしば切り離され浮遊している。だが、何かのきっかけで過去や未来は現在に結びつき、認知症者は今ここの出来事として認知行動する。今日、こういった異なる時間制と日常的に接している人がもはや少なくない時代である。作品群は形而上学的思考実験を越えてこの現実に応えているとは言い難い。

 さらに、点字作品とほぼ同様の技術を使用したインスタレーションは、形而上学的なテーマ性こそ弱いものの、商業施設のコンテンツとして楽しまれている。お台場の水族館「アク和リウムGA☆KYO」や銀座の「GINZA SONY PARK」でも、このような表現の体感が可能だ。現代の表現者たちは内的同期に基づくと言うよりも、特定の目的を踏まえつつ、独自性を加味して依頼に応じる創作活動をしている。美術館で現代アートとして展開する意義は必ずしも認められないとしても、今日のアートは脱美術館が一般的であり、こうした試みを知る来訪者にとって、今回のインスタレーションには新鮮味がない。

 言うまでもなく、商業施設の作品はその展示される文脈に従っている。しかし、そうした場から解放され、一つのテーマに基づいて美術館で作品群を展示する意義は依然として大きい。今回の展示もそれを見出せる。

 実際、来館者の多くは「坂本龍一」を求めてここを訪れている。それを改めて自覚させるのが展示室の最後にある作品だ。坂本龍一と岩井俊雄による「Music Plays Images X Images Play music」(1996~97/2024)は、坂本龍一が演奏する映像と音源を基に、本人が虚ろな像として現れ、愛用のピアノを今ここで弾いているかのように見える。弾く度に音が光となり、上昇していく。そこに坂本龍一がいるのではないかと錯覚させる。彼の活動に熱中し、その影響を受けた人たちは教授が今まさにピアノを弾いているのではないかと思わずにいられない。だが、彼はもういない。

 懐かしさは、こうして最後に現実を突きつける。それは、坂本龍一をすでに失ってしまったという事実の大きさを改めてわれわれに実感させる。加えて、坂本龍一から受け取ったものをいかに発展させていくかという問いを、自覚させるものである。懐かしさを超えることを坂本龍一は作品群を通じて語っている。それを実践するのがこれからの表現者のするべきことであり、今回の展示は現代におけるアートのそうした困難さを体現するものだ。かくして坂本龍一が向き合っていたのをわれわれも知ることになる。
〈了〉
参照文献
大西若人、「目で耳で、感じる時空間 『坂本龍一|音を視る 時を聴く』=訂正・おわびあり」
2025年2月1日20時59分更新
https://www.asahi.com/articles/DA3S16138880.html

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