パンデミックを書く(1)(2021)
パンデミックを書く
Saven Satow
Aug. 20, 2021
記者「コロナ感染者の数についてはどのように分析していますか?」
総理「あの~まあ今日説明されて皆さんご承知だと思いますけれど、え~人口…あの~人口が…あの~減少している、そうした効果は出始めているのではないかなと思ってます」。
『2021年8月18日菅義偉内閣総理大臣囲み取材』
第1章 隠喩としての病
「ポストモダン」が流行語だった頃、病をめぐる言説を扱い、その意味を批判する試みが見られている。ロラン・バルトやエドワード・サイードの方法論を用いて、文学を始めとする芸術作品や報道、サブカルチャー、日常言語の比喩表現を考察、神話作用や願望の表象を明らかにする。スーザン・ソンタグの『隠喩としての病(Illness as Metaphor)』(1978)が好例で、このタイトルがそうした考察を要約している。
しかし、新型コロナウイルス感染症にはこういった方法論はふさわしくない。この疾病が既存の偏見・課題を増幅して諸問題を引き起こしていることは、批評家に指摘されるまでもなく、市民も認識している。ウイルスは外部から身体の内部に侵入するから、この経路を遮断することが有効な感染予防策である。新型コロナウイルス感染症は、排外主義的なナショナリズムが勢いを増し、非自由主義的な政権が世界各地で統治を担っている時代に流行している。欧米におけるアジア系に対するヘイトクライムのように、ウイルスを人格化して共同体にとって異者と見なす人を感染源であるとして排撃することはその典型である。分断された社会を反映して、彼を代表に、パンデミックについての認知行動に党派性が認められることも少なくない。
ソンタグは『隠喩としての病』の執筆目的を「病気とは隠喩などではなく、(略)隠喩がらみの病気観を一掃すること」と言っている。この隠喩を用いた「紋切型」を使って自身の政治的主張を広めようとする者はドナルド・トランプ前米大統領をはじめ少なくないが、公衆衛生・報道機関もそれを拡大させまいと迅速に対応をとっている。WHOは、2021年5月31日、変異株の呼称について、最初に確認された國名ではなく、ギリシャ文字の使用に変更している。今日の人々は、全般的に言って、新型コロナウイルスをめぐる隠喩表現の意図や効果を容易に見抜く。
「隠喩としての病」の論考は数多いが、スペインかぜをテーマにした作品はあまり見ない。実際、ソンタグは主に西洋の文学を元に歴史を振り返っているけれども、扱っている疾病は結核や梅毒、ペスト、ガンなどである。1918~20年に世界中で流行、全世界の感染者数は約6億人、死亡者数は約2000万~1億人以上と推定されている。日本も例外ではなく、島村抱月を始め著名人の死亡も相次ぎ、このインフルエンザは政治的・経済的・社会的影響をもたらしている。ところが、このパンデミックを扱った小説は菊池寛の『マスク』や志賀直哉の『流行感冒』など少数にとどまる。これは徳富蘆花の『不如帰』を代表に多数の小説に登場する結核とは対照的である。今回のパンデミックを考えるために、メディアが映像を含めたスペインかぜに関する史料を発掘している。それによると、握手の代りに敬礼が挨拶として奨励されていたり、他社を近づけさせないために子どもの首にショウノウの入った袋を親がぶら下げたりするなど現在とも重なるような当時の人々の混乱ぶりが伝わってくる。名前は聞いていても、スペインかぜ流行時の社会の様子は今回初めて知ったことも少なくない。20世紀最大のパンデミックは「隠喩としての病」にならなかったために、忘れられた疾病である。それは過去の経験が生かされないことでもある。