リテラシー・スタディーズ、あるいはリテラシーと批評(6)(2007)
6 リテラシーと物語の氾濫
現代社会では、ネットの普及によりさまざまな領域で民主化が進んでいると同時に、かつてないほど専門性が高まっている。この二つの潮流の出現は無関係ではない。1960年代頃に、線形的思考に裏打ちされた閉じられた体系に不具合が見つかり始め、諸領域で行き詰まりが感じられ、70年代に入ると、それを打開するために、開かれた学際的研究が本格化する。高度に専門化・細分化していた研究者が別の領域と出会い、その際、コミュニケーションを成立させるために、異質で多様なリテラシーをお互いに確認・共有・発展しなければならない。
途上国における経済問題を扱うには、先進国で成功もしくは普及した政策をそのまま適用することはできない。先進国であれば、細分化され、その筋の専門家が大きな役割を果たしている。けれども、途上国では、先進国以上に広範囲で奥行きのある思考が要求される。「人間の安全保障」はその端的な例である。このような状況では、高度な専門性はリテラシー教育を意識していなければ、自閉してしまい、公共性・公益性から離れてしまう。それに、熟達者にとっても、暗黙の前提であるリテラシーを言語化することは、夏目房之介が告げている通り、現に到達するまでのプロセスを想起させ、思考の質的向上につながる。
実際には、専門家は非専門家にそのリテラシーの説明を怠ってきたため、彼らへの疑念が抱かれるようになる。乱暴で、短絡的な非専門家が喝采を持って迎えられるが、知識や経験が乏しく、破戒と混乱をもたらしてしまう。これはジョージ・W・ブッシュ大統領のことだけではない。しかし、未熟な技能しかないゴールキーパーにチームの命運を任せることはしないものだ。むしろ、現代はより高度な専門性が必須なのであり、専門家はリテラシーを説明する責任を果たさなければならない。
地理学において、GISという方法がある。一般には「地理情報システム」として知られ、Gは”Geographic”、Iは”Information”の略であるが、Sをめぐって何を指すのか変遷している。最初は”System(システム)”、次に”Science(サイエンス)”、さらに”Study(スタディ)”、今では”Service(サーヴィス)”と専門家たちは考えている。この段階論は他の学問にも言えるだろう。サーヴィスの段階に至って、初めて、公共性・公益性に貢献できる。
リテラシー・スタディーズはこうした要請を踏まえている。その考察には、高度な専門性を前提とする。と同時に、入門書としての役割も果たしていなければならない。リテラシー・スタディーズはリテラシー教育を意識することで、サーヴィスとなり得る。
けれども、リテラシーへの関心以上に、小栗康平は、『映画を見る眼』において、現代日本社会には物語が氾濫していると次のように指摘している。
前の章で、「埋もれ木」は二つの物品がパラレルに進んで行くと書きましたが、映画の中で女子高生たちが作る架空の物語は、劇中劇に近いものです。映画という劇の全体を括るだけの、単純で強い物語は「埋もれ木」にはありません。あるのは映画の登場人物がつくるゲームとしての物話、これはいわば言葉遊びといってもいいものですから、人物そのものを語る物誌にはなりません。過去にどんなことがあり、それが今、このことにこうつながっているという因果関係、起泳転結をもたないのです。
劇中で、「物語は乗りもの。私たちはそれに乗って、ただ生きているだけ」「でも、選べるのかなあ、その乗りものって」「だって、物語は、ことば、だから」といった会話がやりとりされます。もちろん私たちは、言葉だからといって自由に、自分の物語をじっさいの人生の中で生きられるわけではありません。女子高校生のそれはロール・プレー イング・ゲームと同じことです。
しかしこのゲームは、ゲーム・マスターがいて、ある約京事のもとにという限定があるにしても、物語の展開はプレーヤーのそれぞれにまかされています。映画のンナリオはストーリー・テラーとダイヤローグ・ライターが別な人でも問題ないのに、小説では地の文と会話とを別な人が書くことはない、そういいましたが、このゲームは映間的な物語のつくりに似ている、そういえるかもしれません。ゲームや漫画から小説、映画が作られたりしていることを考えると、こうした手法がさまざまな物話づくりにまで持ち込まれるようになった、そうもいえるでしょうか。
ここには二つの問題があるように思います。一つは、世の中のいたるところで物語が過剰にあふれていることと関係する事柄です。しばらく前から大ヒットしたパチンコの機種名は「海物語」です。もちろん、パチンコ屋さんでドラマを追うはずもなく、ただCGでつくられた色とりどりの魚が動いているだけのものですが、物語というネーミングになにやらロマンを感じたことも、この機種をヒットさせた原因の一つではあったように思います。
世の中が物語を欲しがっている、ということなのでしょうか。結婚式の披露宴で流される新郎、新婦のなれそめをつづる映像。ナレーションで語られるのは赤い糸で結ぼれていた巡命の山会いです。余興といえばそれまでですが、私などはとうもつき合いきれません。物語化できるほどの起伏のある毎日を生きていない、その裏返しとしての物語。使い古された陳腐な物語はテレビにもあふれ、テレビのコマーシャルの中ででも「物語」が語られています。物語は詰るというカタストロフィーを与えてくれますから、ぼんやりした人生だってそれなりの居場所を見いだすことができるということでしょうか。物語は今日、いたるところで消費されています。
もう一つの問題として、「私」というものが不確かになり、とらえにくくなった、そういう事情もあるのかもしれません。歴史的な現実、社会的な現実といったものに対応するかたちで、私たちは自我のありよう、私のありようをつかみにくくなっています。若い人たちに対して批判的にいわれる社会性、歴史性の欠如といったことも問題でしょうが、私たち自身の中にも、なにに向かって私とはと問いかけてきたのか、その設問のあり方が揺らいでいる、そういう実感があるのではないでしょうか。こうありたい、こうあるべきだという考え方が、もしかしたら数ある問いの一つでしかなかったのではないか、そんな反省です。
流動性の高いために、「自我のありよう、私のありようをつかみにくくなって」、物語の登場人物としての自分自身を認識することで「私」を感じられる。自意識が優位となり、多様性を拒み、「物語は詰るというカタストロフィー」を味わっている。気恥ずかしさを覚えることはあったとしても、深く踏みこみはしない。しかし、実際には、それらは陳腐で、類型的でしかない。自己に対する批評意識の中に「私」が生成してくるのであって、固有の物語はそこから編み出される。リテラシーから思考することは自分の思い込みや思いつきを相対化するのに、それを知らないまま、氾濫する物語に接し、依存している。「その生き方にこだわるのは、なによりつまらない。人間はいくつになっても、新しい自分を楽しむことで生きていくものだから」(森毅『老後の安定より老後の自由』)。今、最も必要なのは物語ではない。批評である。
〈了〉
参照文献
東浩紀、『動物化するポストモダン』、講談社現代新書、2001年
江川温、『新訂ヨーロッパの歴史』、放送大学教育振興会、2005年
小栗康平、『映画を見る眼』、日本放送協会出版、2005年
柄谷行人、『終焉をめぐって』、福武書店、1990年
小林茂=杉浦芳夫、『人文地理学』、放送大学教育振興会、2004年
佐藤学、『改訂版教育の方法』、放送大学教育振興会、2004年
菅谷明子、『メディア・リテラシー─世界の現場から─』、岩波新書、2000年
高木保興、『開発経済学』、放送大学教育振興会、2005年
高橋和男、『改訂版国際政治』、放送大学教育振興会、2004年
玉木正之、『プロ野球大事典』、新潮文庫、1990年
辻本雅史、『教育の社会文化史』、放送大学教育振興会、2004年
夏目房之介、『マンガはなぜ面白いか』、NHKライブラリー、1997年
平田オリザ、『演劇入門』、講談社現代新書、1998年
福井憲彦、『近代ヨーロッパ史』、放送大学教育振興会、2005年
村上春樹、『アンダーグラウンド』、講談社文庫、1999年
森毅、『ぼくはいくじなしと、ここに宣言する』、青土社、2006年
渡辺保、『演劇入門』、放送大学教育振興会、2006年
渡部直巳、『不敬文学論序説』、大田出版、1999年
ダニエル・ゴールマン、『EQ―こころの知能指数』、土屋京子訳、講談社文庫、1998年
ウィリアム・シェークスピア、『マクベス』、小田島雄志訳、白水Uブックス、1983年
G・バーナード・ショー、『人と超人/ピグマリオン』、倉橋健他訳、白水社、1993年
J・デューイ、『民主主義と教育』上下、松野安男訳、岩波文庫、1975年
ミハエル・トス=パトリック ブシニャック、『ブレヒト』、柴田耕太郎訳、現代書館、1998年
ユルゲン・ハーバーマス、『公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究』、細谷貞雄他訳、未来社、1994年
アドルフ・ヒトラー、『わが闘争』上下、平野一郎他訳、角川文庫、1973年
ノースロップ・フライ、『批評の解剖』、海老根宏他訳、法政大学出版局、1980年
DVD『エンカルタ総合大百科2006』、マイクロソフト社、2006年
AAAS - Project 2061, “Science for All Americans”
http://www.project2061.org/publications/sfaa/default.htm
NHK、「BSオンライン:BS世界のドキュメンタリー」
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/070306.html
OECD, “PISA”
http://www.pisa.oecd.org/pages/0,2987,en_32252351_32235731_1_1_1_1_1,00.html
法務省
http://www.moj.go.jp/