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LGBTと第Nの性(2014)

LGBTと第Nの性
Saven Satow
Jul. 31, 2014

「第二の性ではなく、第Nの性を語ることにも向かわなければならないであろう」。
内堀基光『「ひと学」への招待』

 2014年7月27日付『毎日新聞』によると、パトリック・J・リネハン大阪・神戸アメリカ総領事が任期終了のため帰国するに当たり、性的少数者(LGBT)に関する日本国内の意識が変わったと述べている。彼はゲイであることを公表し、在任中、各地でLGBTへの理解を訴えている。「10年前なら、『日本にゲイはいるけど、私は知らない』と言われました。今はこうです。『日本にゲイはいる。私も知っているよ』。政治家の中にも、LGBTを公言する人が出てきました」。その上で、日本はLGBTに寛容だと言う。

 LGBTは「レズビアン(Lesbian)」、「ゲイ(Gay)」、「バイセクシャル(Bisexual)」、「トランスジェンダー(Transgender)」の総称である。前三つの説明は不要だろう。トランスジェンダーは社会的に構成された性別を越境した生き方を選ぶ人である。性同一性障害はよく知られているが、このカテゴリーは幅広い。男性から女性への越境者を「MTFTG」、女性から男性へのそれを「FTMTG」と呼ぶ。また、異性装者を「トランスヴェスタイト」、ホルモン投与・性器変換手術を行う人を「トランスセクシャル」、ホルモン注射・手術をしない人を「ノンホル・ノンオペ」と言う。

 近年ではLGBTにQを加えてLGBTQも認知されつつある。このQは「クエスチョニング(Questioning)」もしくは「クイア(Queer)」の頭文字である。前者はセジェンダー・クシャリティが規定しきれない、後者はそれが個性的という意味である。LGBTではなく、LGBTQが一般に用いられる日も近いことだろう。

 性は多様であり、セクシャル・マイノリティは他にもある。少し挙げてみよう。「A sexual(アセクシュアル:エイセクシュアル)」は性愛の対象を持たない人、すなわち性的欲求のない人である。「Polysexual(ポリセクシュアル)」は性的・恋愛対象が複数のセクシュアリティーに向いている人である。「Pansexual(パンセクシュアル)」は性的・恋愛対象が相手のセクシュアリティーにこだわらない人である。「Queer(クィア)」もしくは「Questioning(クエスチョニング)」は性的・恋愛対象がわからない人もしくはセクシュアル・マイノリティーの総称・包括的概念である。

 ネハリン領事が日本を寛容だと言うのは、米国の現状と比較してのことである。アメリカでは「性的指向性(セクシャル・オリエンテーション)」に対する差別が問題視されているからである。アメリカ心理学会の調査によると、同国のLGBTは全人口の3~10%と推定されている。米国の1クラスの人数は20人以下が普通なので、どの教室にも1人はLGBTがいる計算になる。自殺した10代の3人に1人が同性愛者で、そのヘテロとの比率は2~3倍と著しく高い。しかも、同性愛者の10代の3割以上が自殺を試みている。米国社会における同性愛者に対する無理解や偏見が彼らを自殺に駆り立てる一因とされている。

 また、同性愛者への偏見がしばしば「ホモフォビア」やそれに基づく「ヘイトクライム」として現われる。前者は同性愛者嫌悪で、後者はそうした差別感情によって引き起こされる犯罪である。

 日本がLGBTの権利に対して寛容であるかどうかは別にして、メディアに登場することに対する抵抗感が米国よりも少ないだろう。21世紀を迎えてからLGBTのメディア・タレントの活躍が目立つ。

 今日、同性愛や異性装などセクシャリティ・ジェンダーのクロスオーバーは現代性・都市性・歓楽性の表象として既成の区別に対するタブー破りを世間に印象付ける。この冒険性によって彼らはメディアを通じた発信力を持つ。存在がタブー破りであるので、彼らの発言もその文脈で受容される。過激な意見であっても、世間に許容される。また、世の中が極論に向かう時などは、逆に、彼らが良識派としてメディア上のバランスを保とうとしている。

 そのトリックスター性が保守派から反発を呼ぶ一因でもある。宗教やイデオロギーの享受主義者に関しては説明不要だろう。穏健な人たちは、現在の秩序が絶対とは思わないが、定着している以上、それを急進的に変えることは破壊につながると心配している。保守派は継続性を重視するので、新たな形態の家族の中に置かれた子どもたちが混乱しないかとも案じている。

 ボノボなど大型類人猿の間で同性愛行動が見られることはよく知られている。通時的・共時的に調べても、異性愛と同性愛は人間社会において概して共存している。女性同士の同性婚で知られるスーダンのヌエル族に至っては幽霊との亡霊婚も認めている。同性愛に非寛容な時代・社会もあるが、その価値観が普遍的ではない。異性愛は母子関係を生み出し、家族的単位を形成する。同性愛は社会的広がりをもたらす「絆(Bond)」を強化する。異性愛が家族性とすれば、同性愛は社会性の発生と言える。

 現代の保守派の意見と違い、同性愛は絆の強化として作用している。同性愛が絆を強める機能を持つのは敵対集団と戦う戦士集団に見られることからも理解できる。古代ギリシアの戦士や日本の武士の間で同性愛が盛んだったことは有名である。

 最も極端なのはニューギニアのサンビア社会の儀礼的同性愛行動だろう。彼らは勇猛果敢な戦士として知られている。彼らは力の源を男性の精液だと信じている。成人切れの一つに未婚の年長男性の精液を飲む所作がある。それを通じて男子は男の力を自身に取り込む。女の性は男の力を弱くすると考えるので、かなり長い間、彼女たちから離れ、男同士で集まり、力を蓄える必要がある。精液を口に入れるだけでなく、身体にかけることもする。母乳の原材料も精液だと信じており、結婚生活で妻は夫のそれを飲まなければならない。メラネシア社会でこのようには同性愛は儀礼として共同体に組み込まれている。

 現在のLBGBTをめぐる議論は絆の強化ではなく、近代社会の理念上からの自己決定権として位置づけられる。自由で、平等、自立した個人が近代人であるならば、セクシャリティやジェンダーにおける自己決定の権利が認められなければならない。権利は人間の尊厳の法的表象である。それは社会における法的・権力的関係の再検討を促す現代的問題であり、重要な意義を持っている。私的選択も公的関係の影響を受ける。私的領域からの公的それの再帰的思考の挑戦である。

 加えて、もはや「第二の性」ではなく、「第Nの性」の時代を見据えなければならない。性的少数者であることを逆手に取り、自らを「クイア(変態)」と呼び、その生き方を研究対象にしている。このクイア・スタディーズが示す通り、LGBTのさらなる広がりが予想される。セクシャリティやジェンダーは古来より人間の想像力を刺激し続けている。紀貫之によるトランスジェンダーの試みが日記文学を生み出したことは周知の通りである。両性具有はギリシア神話のアンドロギュノスから『マジンガ―Z』のあしゅら男爵までしばしば描かれている。さらに、サイボーグやロボット、ヴァーチャルキャラクターの性もサブカルチャーではすでに表現されている。セクシャリティやジェンダーは想像の領域を含んで成り立っている。第Nの性の構想は人間の想像力の探求でもある。それは来たるべき世界の一つの姿だ。
〈了〉
参照文献
伊藤公雄、『ジェンダーの社会学』、放送大学教育振興会、2008年
内堀基光、『「ひと学」への招待』。放送大学教育振興会、2012年

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