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宇宙飛行に見るロシア人(2005)

宇宙飛行に見るロシア人
Saven Satow
Jul. 20, 2005

「地球は青かった」。
ユーリ・アレクセイエヴィチ・ガガーリン

 2005年7月13日、予定されていたスペース・シャトルディスカバリーの打ち上げが直前に延期されます。燃料センサーの異常が発見されたからですが、その原因は依然として不明のままで、実施がいつになるかは未定です。

 初の有人宇宙飛行を実現したのはソ連ですが、1961年にユーリ・ガガーリンが置かれた環境は、実は、想像もつかないものです。

 冷戦が本格化した1950年代、米ソは威信をかけて宇宙開発計画を進めます。アメリカは最初の計画実現に向けて、高等教育を受け、経験豊富なベテランの30代以上の空軍パイロットを選び、優秀ながらも、科学オタクや変人の科学者が集められています。

 一方、ソ連の条件は違います。高等教育も受けたことなどない空軍に入隊したばかりの若者を採用します。選考理由は、ずばり、「根性と体力があったから」です。ソ連は農民だろうと労働者だろうと偉大な人類の朝鮮に参加できる平等の社会だと世界にアピールします。ソ連では誰でも宇宙飛行士になれるというわけです。

 ただし、「根性と体力があれば」です。計画委員会は「知能はウサギでもかまわない」と考えていたほどです。アメリカが知力によって宇宙を目指していたのに対し、ソ連はそれを根性と体力で実現しようとしています。学力よりも体力第一です。

 アメリカは考えうる状況を想定し、知識や知恵を使い実験やシミュレーションを重ねていきます。さらに、コンピュータも導入します。候補生たちも意見を延べ、訓練に反映され、試行錯誤が繰り返されています。まさに合衆国における最高の英知の結集です。

 ソ連はそんな不確実なことを名誉ある20名の宇宙飛行士たちにさせません。宇宙にはまだ誰も行ったことがありません。何が起こるか予測できないのです。何しろ、手元にあるのは宇宙における生命体に関するデータは犬やネズミなど小動物だけという有様です。「何が起こるかわからないから、ありとあらゆることをしなければならない」。これが委員会の結論です。

 当時、ソ連の研究者たちは宇宙はとんでもないところだから、そこに行くと人間は発狂しかねない以上、宇宙飛行士は根性と体力を鍛えておかなければならないと考えています。疑問は山積しています。その前提に基づき、委員会は10ヶ月にわたるありとあらゆる実験を用意しています。

 ところが、宇宙酔いの実験器具を見た途端、候補生の1割にあたる2名が急に体調不良を訴え、栄誉ある任務を辞退しています。また、アメリカは地球に帰還した際に海面へ着水すると計画していたのですが、ソ連は砂漠に着地する予定を立てています。いざとたったときのために、スカイ・ダイビングが訓練に取り入れられています。

 しかし、未知の宇宙からの帰還です。何が起きているか想像もできません。そういった不測の事態に備えるため、宇宙飛行士は詩を朗読しながら、あるいは暗算をしながら、さらには目隠しをしたまま、ダイビングさせられてい、あす。これはドリフのコントではありません。人類史上初の快挙に向けた試練の一つです。

 ロシアの宇宙飛行士たちは委員会の要求によく応えています。しかし、悲劇が起きます。ヴァレンチン・ヴァシーリエヴィチ・ボンダレンコ中尉は、高酸素状態で生活したら、どのような影響が人体に出るかという実験に参加します。やる気満々の彼は、火気厳禁ですから、ニクロム線の電気コンロを持ちこんで、長時間、生活できるようにしています。ところが、開始してしばらくしたとき、紙をその上に置き、爆死してしまいます。これはドリフのコントではありません。人類史上初の快挙に向けた試練の一つです。

 アメリカの宇宙飛行士候補が受けていたのは間違いなく訓練ですが、ソ連の場合、それは実験です。実験の目的は一つしかありません。体力と根性の限界を克服するためです。アメリカの目的は宇宙に行って何をするかであるのに対し、ソ連は宇宙のストレスにどう耐えるかにほかなりません。ロシアの宇宙飛行士たちは体をはって、貴重な実験データを提供しています。

 中国人は難問に直面すると、人海戦術で対処します。一方、ロシア人は、そんな場合、力ずくで解決しようとします。腕力にものを言わせるのです。シベリア鉄道の開通はロシアでなければ不可能だったろうと言われています。20世紀に入っているにもかかわらず、ハッパの導火線に火をつけたら、係の男が一目散に逃げ出すような1850年代の工法によって、総延長約9000キロメートルに及ぶ工事が極寒の地で続けられているのです。

 70年代に、日本で、スポーツ根性ドラマが流行しています。最近では、根性主義は影が薄くなっているようですが、ロシア人は今でも根性主義です。と言うよりも、彼らは日本人以上の根性主義者です。ただし、ロシア人は「根性を出せ」とは言いません。すべてを解決するのは根性と体力だと思っていますから、そんなことを今さら唱える必要などないのです。ロシア人には、そのため、自分たちが根性主義だという自覚がないでしょう。

 ユーリ・アレクセイエヴィチ・ガガーリンが史上初の有人宇宙飛行の搭乗員に選ばれたのは、彼が優秀だったからだけではありません。まず、彼が宇宙服に体を合わせられたからです。委員会は宇宙服をフリーサイズで作製していたのですが、彼の身長162cm体重72kgという体型が宇宙服にぴったりです。宇宙服を飛行士に合わせるのではなく、「国家の財産である宇宙服に体を合わせろ」というわけです。

 次に、宇宙船に乗りこむ際に、ガガーリンが靴を脱いだ点です。委員長のセルゲイ・パブロヴィチ・コロレフはこの計画に敬意を表していると判断します。実際には、彼はたんなる田舎者で、荘園領主のように偉い人の家に入るときには靴を脱ぐものだと思っていただけです。

 ガガーリンは、プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、1961年4月12日、A-1ロケットによって打ち上げられた有人宇宙船ボストーク1号に乗ります。「パイエハリ!(さあ行こう!)」の彼の叫び声と共に出発、地球周回軌道に入り、大気圏外を1周して帰還します。高度7000mで座席ごとカプセルから射出し、パラシュートで草原に無事着陸した際、付近にいた農民に「自分はロシア人だから、心配要らない。それよりも、モスクワに連絡したいので、電話を貸して欲しい」と頼んでいます。

 委員会は、実は、彼の命の保障はできないと考えています。けれども、ガガーリンは冷静にミッションをこなしています。受けてきた訓練よりも宇宙がやさしかったからです。この飛行時間の1時間48分、すなわちガガーリンの108分の後、重要なことがわかります。宇宙飛行士たちが体をはって得たデータのほとんどが役に立たないということです。それがこの貴重な経験の賜物です。訓練は大幅に簡素化されます。

 初の有人宇宙飛行では遅れをとったアメリカですが、アポロ計画以後、宇宙開発ではリードを保ち続け、ソ連はつねに遅れをとっていきます。けれども、ソ連は遅くとも、必ず、追いついてきます。ただし、スパイ行為をしていたからではありません。

 確かに、多くの分野で、ソ連の諜報員はアメリカで暗躍しています。しかし、ソ連の宇宙開発を最も推進させたのは、実は、合衆国自身なのです。NASAが極秘事項ではないと見なして公開していたデータをソ連は合法的に閲覧申請して取り寄せています。ソ連はすでに民間に転用されていた技術にさえ達していません。これが東西冷戦の実情です。

 とは言うものの、ロシア人はどこまでも力ずくの根性主義ですから、細かいことは気にしません。狭いところで長く一緒にいる以上、NASAは宇宙飛行士の相性を考慮します。しかし、ソ連では、最初の宇宙ステーションのサリュートに行った3人が仲が悪く、ミッションの最中、いがみ合い、喧嘩ばかりしていて、地球に帰還する途中の事故で3人とも死んでいます。

 また、東西冷戦崩壊後、ロシアは合衆国と合同で宇宙開発に取り組んだのですが、アメリカの宇宙飛行士は、ロシアに滞在した際、多くの訓練について何の目的で行っているのか理解できなかったと言っています。

 1969年7月16日、アポロ11号の打ち上げによってアメリカは宇宙飛行においてソ連を完全に追いぬきます。と同時に、ある作家の予言にようやく追いついたことでもあるのです。フランスの作家ジュール・ヴェルヌは『月世界旅行』を一八六五年に出版しています。

 ここで記されている月世界旅行のデータはアポロ11号のものと極めて酷似しています。巨大な大砲によってロケットを打ち出すという前提は間違っています。しかし、ヴェルヌは打ち上げ地をフロリダ州タンパに設定していますが、アポロ11号はそこから220km離れたケープカナデラルから月に向かっています。彼はアメリカ人のバイタリティがそれを可能にすると考えています。

 ヴェルヌの想定したロケットの初速は毎秒1万790kmであるのに対し、三段目ロケットの初速の秒速は1万800kmであり、月までの所有時間はいずれも4日です。弾道を計算するコンピュータENIACが開発されるのは1946年のことです。

 宇宙船の形状は双方とも円筒円錐形で、高さはヴェルヌの3.6mに対して、アポロでは3.2m、直径に至っては、19世紀の作品が3.93mと設定し、JFKの夢は3.91mを採用しているのです。既知の情報と知識を詳細に分析して、コンピュータもなしに、ヴェルヌは100年後の人類初の偉業の概観を導き出しています。アポロ計画の参加者は偶然とはとても思えないと吐露しています。

 アポロ計画を鏡にすると、ロシア人とフランス人の文化的比較も明瞭になります。「精緻な分析による理論で隙間なく網掛けされた無菌状態のフランスと、レーニン、スターリンの名も知らず、ラジオやテレビに接したこともない集落をあちこちに蔵するシベリアのタイガの、闇と混沌をはらむ雑菌のロシアは一対の対照をなしている」(川崎浹『ロシアのユーモア』)。

 グローバリゼーションが進行し、カネだけでなく、人や物の異動もボーダーレスになっています。しかし、それぞれのエスニックの特徴を自嘲しつつも、お互いに相手を笑いものにすることは当分続きそうです。けれども、それは決して捨てたものではないでしょう。

 「イギリスでは多くのことが駄目であるが、して良いことはして良い。フランスでは、多くのことはして良いけれども、駄目なものは駄目。アメリカでは、駄目なことすらして良い。しかし、ソ連では、して良いことすら駄目である」(川崎浹『ロシアのユーモア』)。
〈了〉
参照文献
川崎浹、『ロシアのユーモア』、講談社選書メチエ、1999年
『世界の文学』19、朝日新聞社、1999年

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