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同時代的視点─小林多喜二の『蟹工船』(4)(2008)

 文壇からも評価の高い『蟹工船』であるが、発表当初からいくつかの欠点も指摘されている。後半が急に駆け足になっているとか、蔵原惟人の『プロレタリヤ・レアリズムへの道』(一九二八)に忠実なあまり図式的すぎるとかいった批判が多くの論者からなされている。しかし、最も決定的なのは、『「蟹工船」の勝利』で勝本清一郎などが論じるように、蟹工船を舞台にしながら、蟹の捕獲や缶詰の生産工程、人員の具体的配置などに触れられていない点である。

 二〇〇八年、ヒストリー・チャンネルの長寿番組『現代の驚異』は、アメリカ最大のトロール船アラスカ・オーシャン号内のスケトウダラの捕獲・加工過程を詳細に紹介している。こういったアナトミーが『蟹工船』にはほとんど見られない、同船はニッスイと関連するアラスカ・オーシャン・シーフード社所有であり、ベーリング海を漁場に、三〇〇tものスケトウダラを狙う。この漁は非常に危険であり、わずかな判断ミスが漁獲量のみならず、船員の命に関わる危険性もある。

 多喜二は、一九二九年三月三一日付蔵原惟人宛書簡において、その意図を次のように述べている。

 四、この作は『蟹工船』という、特殊な一つの労働形態を取扱っている、が、蟹工船とは、どんなものか、ということを一生ケン命に書いたものではない。
 A これは植民地、未開地に於ける搾取の典型的なものであるということ。B 東京、大阪等の大工業地を除けば、まだまだ日本の労働者の現状に、その類例が八〇パアセントにあるということである。C 更に、色々な国際的関係、軍事関係、経済関係が透き通るような鮮明さで見得る便宜があったからである。
 五、この作では未組織な労働者を取扱っている。──作者の把握がルムペンにおち入ることなく、描き出すことは、未組織労働者の多い日本に於て、又大学生式『前衛小説』の多いとき、一つの意義がないだろうか。
 六、労働者を未組織にさせて置こうとしながら、資本主義は皮肉にも、かえってそれを(自然発生的にも)組織させるということ。

 しかし、これでは作業内容や手順の記述を省いている理由としては説得力に欠く。散文フィクションは、具体的な記述を通じて、対象を他ならぬものとする。蟹工船が真の主体であるなら、なおのこと細部に亘って解剖学的とも言うべき説明をする必要がある。正直、文章のつめの甘さを理念で補おうとしている印象がある。平林は『蟹工船』をシンクレアの『ジャングル』に類比している。

 しかし、『ジャングル』は、『蟹工船』と違い、食肉加工の工程が詳細に記されている。それが『ジャングル』のような歴史を変えることに『蟹工船』がならなかった要因である。

 二〇世紀初頭のアメリカでは、政府は企業活動に介入すべきではないという信念が強くあり、そのため、絶望的に貧富の格差は拡大し、全米中に不正が横行する。しかし、誰もが現状に諦めを感じていたわけではない。義憤にかられたジャーナリストや作家は政治腐敗、大企業の横暴、児童労働、貧民街の実態売春、移民問題、人種差別をペンで告発し、社会の改良を訴えている。

 彼らの活躍の場が『マクルーアーズ・マガジン』を代表とするパルプ・マガジンである。それは安価な三文雑誌で、教育がない人にも読めるように、優しい文体で記されている。当時、急増する都市の人口を背景に、新聞や雑誌の出版ブームが起きている。発行人たちは、渦巻く不正に対する憤りから社会改良の機運が高まっているのを感じとり、これを前面に出せば、売れると考える。多額の調査費用を作家に提供し、書き手もセンセーショナルな記事を発表し続けていく。

 一九〇六 年,セオドア・ルーズベルト合衆国大統領が政財界の腐敗を暴き立てる彼らを「マックレーカーズ(Muckrakers)」と揶揄する。それはジョン・バンヤンの寓意物語『天路歴程』に登場する人物で,肥やしばかりを仰き続けて天上の神の恩寵に気づかぬ「肥やし熊手を持った男(The man with a muckrake)」に由来し、下ばかり見て、あら捜しをする連中という意味である。

 しかし、その偉大な大統領もショックを受けるマックレーカーズによる作品が発表されます。それがアプトン・シンクレアの『ジャングル』である。この小説は社会に衝撃を与え、アメリカの歴史を変える。

 舞台はシカゴの食肉工場で、労働者の多くは後発移民のリトアニア人である。その労働環境たるや、反吐をもよおすほど不潔である。労働者が肉を煮る大鍋に落ちたのに、そのまま処理され、人肉が市場に出回ってしまった、腐っているとクレームがついて回収されたハムやソーセージに薬品を注入して再出荷した、倉庫内の製品の上にネズミの糞が大量に溜まっていた等々の記述が作品を埋め尽くしている。

 これはルポルタージュではなかったが、丹念な調査に基づいており、決して誇張やでまかせではない、シンクレアは、このような労働環境で働かざるを得ない移民に同情を寄せ、労働者の待遇改善を訴える目的でこの小説を発表している。

 しかし、事態は彼の思いもよらぬ方向へ急速に進んでいく。『ジャングル』を読んだアメリカの人々は驚き、こんなものを食べさせられていたのかと怒りを爆発させる。ソーセージはホットドックには欠かせないが、それがとても口入れるものとしてはつくられていない。

 食肉産業と当局へ抗議や非難が殺到し、社会改良に熱心だったルーズベルトも怒り心頭で、食の不安に対し断固たる態度で臨む決意を表わす、怒り狂った大統領と世論に押された議会は食肉検査法と純粋薬品製造法を成立させる。前者は精肉業者への衛生規制ならびに精肉工場への連邦政府による検査の義務付けの法律であり、後者は粗悪および健康被害のある食品と薬品の製造・輸送・販売の禁止を定めている。これは『ジャングル』発表からわずか半年後の出来事である。結果として、工場の労働環境も改善されている。

 『蟹工船』ではこうした反響は起きていない。読者にとって、食の偽装は自身が直接的な被害者となるが、劣悪な労働環境は自らとは縁遠く、自分の問題として認識しにくい。これは現在でも同様である。食の不安には世論も政府も反応が早いけれども、非正規雇用の問題に関しては鈍い。

 工程が詳細に記述され、そこに非衛生的な点があったとしたら、缶詰輸入国で問題となり改善要求がなされ、結果として、労働者の待遇のよくなったかもしれない。何しろ、この蟹缶の主要輸出先はアメリカである。

 しかし、多喜二にとって重要なのは、階級意識を持った労働者が連帯して帝国主義に戦いを挑む姿である。世論を喚起し、労働者の待遇を改善することは眼中にない。労働者が自ら立ち上がることが理想である。けれども、現状を訴え、不正を告発し、鼓舞するだけでは人々はそうそう動いてくれない。作品世界が読者の暮らしと決して無縁ではないと伝わるならば、日常の些事に追われる人々でさえ行動を起こす。ロシア革命の際に民衆を惹きつけたスローガンは「平和、自由、パン」だったし、一九一八年に富山の女性たちから始まった米騒動を思い起こすだけでも、それは明らかだろう。

 文学的に優れている作品が人々を行動に促すわけではない。事実、『ジャングル』は、文学的価値の面では、大恐慌時代の労働者の人生を描いたジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』(一九三九)とは比較すべくもない。プロレタリア文学は、政治目的に奉仕しなければならないという窮屈さが文学的な進展を阻害したのではない。政治が暮らしだということを見逃している点に限界がある。細部のつめの甘さもそれに起因している。

 一九三三年二月二〇日、小林多喜二は当局の拷問により虐殺される。津田清風はそれをモチーフに『犠牲者』を描く。

 佐藤康宏東京大学大学院教授は、『日本美術史』において、この絵画について次のように述べている。

 両手を縛られ、吊るされた男の服はずたずたに引き裂かれ、手にも頭にも足にも、はみ出した陰部にも血が流れる。鉄格子の嵌まった窓からは外の樹木がのぞき、遠くに小さく見えるのは国会議事堂である。清風は、「十字架のキリスト像にも匹敵するやうなものにしたいといふ希望をもつて、この作にとりかかつた」と書いている。小林多喜二の死をキリストの死になぞらえ、鉄格子の向こうの国会議事堂、権力の中枢を告発する意図が込められていただろう。犠牲者の衣服や肉体を描くのに、物を正確に細部まで再現するのではないタフなタッチを用い、この男がもう生きたぬ躯体を持たない、ボロ布の塊のような存在になってしまっていることを伝え、また男を暗い色調で表し、壁と戸外の風景の明るさと対照されているのも、平穏な世界の中ででなされた理不尽な行為を印象づけて効果的である。

 この批評は小林多喜二が同時代的時点であることを物語っている。今、『蟹工船』は社会を変えつつある。『蟹工船』が同時代的な作品として読まれていること自体によって、人々は自分たちの生きている社会がこんなにも荒んでいるのかを切実に思い、衝撃を受けている。暮らし向きは一向によくならないが、『蟹工船』が流行するような社会はいくらなんでもないだろうと世論は政治に声をあげている。

 同じ半年間で、二〇〇八年は一九二九年の一〇倍以上の『蟹工船』が売れている。と言うよりも、この作品が公表されて以来、短期間にこんなに刷られたことはない。しかも、かつて『蟹工船』を読んでいたのは大衆であり、彼らは円本を購入する経済的ゆとりを持っている。一円は今日の貨幣価値に換算すると、二〇〇〇円程度である。

 他方、新潮文庫の『蟹工船・党生活者』を四二〇円支払って手にしているのはワーキングプアの若者たちである。彼らは毎月二〇〇〇円以上も書籍購入費に割く余裕はない。その意味で、現代社会は深刻な状況にあることは間違いない。それは、おそらく、小林多喜二も想定していなかった事態であろう。

「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」
 それは今では、皆の心の底の方へ、底の方へ、と深く入り込んで行った。――「今に見ろ!」
 然し「今に見ろ」を百遍繰りかえして、それが何になるか。――ストライキが惨めに敗れてから、仕事は「畜生、思い知ったか」とばかりに、過酷になった。それは今までの過酷にもう一つ更に加えられた監督の復仇的な過酷さだった。限度というものの一番極端を越えていた。――今ではもう仕事は堪え難いところまで行っていた。
「――間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺達の急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺達全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打てなかったろう。まさか、俺達全部を引き渡してしまうなんて事、出来ないからな。仕事が、出来なくなるもの」
「そうだな」
「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺達本当に殺されるよ。犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボルことだ。この前と同じ手で。吃りが云ったでないか、何より力を合わせることだって。それに力を合わせたらどんなことが出来たか、ということも分っている筈だ」
「それでも若し駆逐艦を呼んだら、皆で――この時こそ力を合わせて、一人も残らず引渡されよう! その方がかえって助かるんだ」
「んかも知らない。然し考えてみれば、そんなことになったら、監督が第一周章てるよ、会社の手前。代りを函館から取り寄せるのには遅すぎるし、出来高だって問題にならない程少ないし。……うまくやったら、これア案外大丈夫だど」
「大丈夫だよ。それに不思議に誰だって、ビクビクしていないしな。皆、畜生! ッて気でいる」
「本当のことを云えば、そんな先きの成算なんて、どうでもいいんだ。――死ぬか、生きるか、だからな」
「ん、もう一回だ!」

 そして、彼等は、立ち上った。――もう一度!
〈了〉
参照文献
小林多喜二、『蟹工船・党生活者』、新潮文庫、一九五四年
『小林多喜二全集』全七巻、新日本出版社、一九九二年
『日本文学全集36』、新潮社、一九六五年 
『現代日本文學大系55』、筑摩書房、一九六九年
『日本現代文学全集70』、講談社、一九六九年 
『日本の文学39』、中央公論社、一九七〇年
『現代日本文学全集63』、筑摩書房、一九七三年
『日本文学全集43』、集英社、一九七四年 
『世界の文学95』、朝日新聞社、二〇〇一年
『小林多喜二読本』、三一新書、一九五八年
『私たちはいかに蟹工船を読んだか』、遊行社、二〇〇八年 

阿部誠文、『小林多喜二』、はるひろ社、一九七七年
荒俣宏、『プロレタリア文学はものすごい』、平凡社新書、二〇〇〇年
有島武郎、『或る女』、旺文社文庫、一九七八年
池田寿夫、『日本プロレタリア文学運動の再認識』、三一書房、一九七一年
小田切進、『現代日本文芸総覧上巻』、明治文献資料刊行会、一九九二年
小田切秀雄、『小林多喜二』、有信堂高文社、一九六九年
蔵原惟人、『小林多喜二・宮本百合子論』、新日本新書、一九九〇年
佐藤康宏、『日本美術史』、放送大学教区振興会、二〇〇八年
手塚英孝、『小林多喜二』上下、新日本新書、一九八三―八五年
野村達郎、『新書アメリカ合衆国史2』、講談社現代新書、一九八九年
不破哲三、『小林多喜二時代への挑戦』、新日本出版社、二〇〇八年
増田弘、『牛橋湛山』、中公文庫、一九九五年
真山仁他、『私のこだわり人物伝 二〇〇八年六─七月』、日本放送協会、二〇〇八年
グラトコフ、『セメント』、岩波文庫、一九六〇年
ジョン・スタインベック、『怒りの葡萄』上下、大久保康雄訳、新潮文庫、一九六七年
セラフィモーヴィチ、『鉄の流れ』、西本昭治訳、光陽出版社、一九九九年  

神長英輔、「戦争と漁業:『北洋漁業』を問い直す」、北海道大学スラブ研究センター・21世紀COE研究報告集17号
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/publish/no17/03kaminaga.pdf
Sinclair. Upton, “The Jungle”, Project Gutenberg
http://www.gutenberg.org/dirs/1/4/140/140.txt

asahi.com
http://www.asahi.com/
函館市
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/
毎日jp
http://mainichi.jp/
MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/
多喜二ライブラリー・ブログ
http://shirakaba-bungakukan.blog.ocn.ne.jp/takiji/


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