「雉も鳴かずば撃たれまい」が伝えるもの(2015)
「雉も鳴かずば撃たれまい」が伝えるもの
Saven Satow
Sep. 03, 2015
「小豆まんま食~べた~」
ジャン・ヴァㇽジャンは貧困に耐えられず、1個のパンを盗んでしまいます。けれども、彼には、罪と不釣り合いの無情な人生がその後に待ちかまえているのです。ヴィクトㇽ・ユーゴによるこの『レ・ミゼラブル』はフランス文学を代表する大河小説です。今日では、ミュージカルでも知られています。
ほんのわずかな盗みがむごいことを人にもたらしてしまう物語が日本の昔話にもあります。それは「雉も鳴かずば撃たれまい」の語源とされている民話です。ただ、この小品はかの大作以上に現代的課題をはらんでいるのです。子どもの心的外傷やモラル・ジレンマ、臓器くじ、監視社会などが読みとれます。
「雉も鳴かずば撃たれまい」は、余計なことを言ったばっかりに、災いをわざわざ招いたという意味で用いられています。しかし、その昔話はそれほど単純ではありません。
『雉も鳴かずば撃たれまい』の昔話は長野県に伝わっています。民話ですから、複数のヴァージョンがあります。共通点を考慮してあらすじを紹介しましょう。なお、人柱の部分は一つに要約しきれませんので、併記します。
犀川の地域のお話です。手まり歌の好きな女の子が流行病にかかり、寝込んでしまいます。明日をも知れぬほど弱った彼女は「小豆まんまが食べたい」とつぶやきます。それは女の子が唯一知っているこの世で最もおいしい食べ物です。
けれども、彼女の家は貧しく、小豆も米もありません。その夜、娘の父親は庄屋の蔵に忍びこみ、一握りの小豆と米を盗み出します。
小豆まんまを食べたおかげか女の子の病状はみるみるよくなります。寝ていることに我慢ができなくなり、彼女は外に出て好きな手まりを始めます。その際、小豆まんまの歌を口ずさんでしまうのです。
女の子の父親は、その手まり歌を証拠に、小豆の盗みの容疑者として逮捕されます。父親は娘にすぐに戻ってくると言い残して、番所に連れて行かれます。彼女には何が起きたのかわかりません。
この地域は昔から水害に苦しんでいます。その年も、大雨が降り、橋が流されたり、堤防が決壊しそうになったりします。村の寄り合いで、再建する、もしくは持ちこたえさせるには人柱が必要だということになります。
人柱には罪人が犠牲になります。その時は女の子の父親が人柱にさせられてしまいます。
一握りの小豆の窃盗に対して、事実上の死刑を科すことは、当時の刑罰体系から言っても、重すぎます。村には同情する声もありましたが、どうすることもできません。
女の子は、自分の手まり歌の性で父が逮捕され、人柱にさせられたと聞いて泣き崩れます。泣き終えた後、彼女は言葉を失います。
もの言わぬ彼女の姿を見ると、村人の心はうずきます。彼女は一言も口をきかず、成長していきます。
ある日、猟師が山に入ります。鳴き声を耳にし、猟師は雉を撃ちます。弾が命中して雉は落ちていきます。猟師が捜していると、雉を手にした彼女の姿を見つけます。
「雉よ、お前も鳴かなければ、撃たれなかったろうに」。
そう彼女がつぶやくのを猟師は耳にします。けれども、彼女の言葉をそれ以来聞いた人は誰一人いません。ただ、「雉も鳴かずば撃たれまい」だけが人々の間に伝え残っていくのです。
複数のヴァージョンがありますから、それぞれに細かな違いがあります。主人公の名前がお千代だったり、お菊だったりします。人柱の件以外では、家族構成に大きな違いがあります。父母が揃った三人家族と父子家庭という二つの設定があり、結末が少々異なります。
三人家族の場合は、父亡き後も女の子は母と一緒に村で暮らします。でも、母親にも口をききません。雉を手にした時は年頃の娘で、山に薪拾いに入っています。猟師は驚いて彼女がしゃべったと村中に言いふらします。けれども、その後も村に住む彼女が話すのを誰も聞いたことがないとなっています。
一方、父子家庭の場合は母が水害で亡くなっている設定です。父の死後、身寄りがなくなり、次第に、村で見かけなくなっていきます。彼女のことが風化しつつある時に、猟師が山で偶然出会っています。年頃の娘ではなく、まだ少女です。その一言を最後に村の人は誰も姿を見たことがないとなっています。
この民話は、昔話の中でも、最も胸の痛む作品の一つです。子ども自身がむごいことに、命を落とす民話は、『人形山』や『赤い椀』、『お花地蔵』、『ふとんの話』などがあります。ただ、この作品の特徴は心の傷です。心的外傷が彼女の心を閉ざしています。
音楽は合わせることを前提にした実用性以上の音の組織化です。合せる相手は他人だけでなく、自分自身も含まれます。女の子は誰かに伝えたくて手まり歌を歌っていたわけではありません。自らの心情を自分に語りかけるために、そうしているのです。それは内面の声です。
内面の声を誰かに聞かれ、それを証拠に父親が人柱にされてしまいます。心の中を覗き見られてしまった彼女に内面はありません。言葉を失わざるを得ないのです。心は閉ざされると同時に、誰も覗き見られない内面が確保されます。
父親が盗みを行ったのは自分のためではありません。病気の娘のためです。何もしなければ娘は死んでしまうかもしれません。やむにやまれず盗みに入った行為はローレンス・コールバーグの提起したモラル・ジレンマ資料のハインツの事例を思い起こさせます。
その父親が犠牲になったのは人柱が必要だったからです。共同体の安全のために、彼を生贄にしています。ヴァージョンによっては、人柱が要ると決まった後で、その必要性から彼が逮捕されています。罪の重さなどどうでもよいのです。水害に苦しんでいる地域ですから、人柱を立てたのはこれが初めてではないでしょう。まさに臓器くじです。
くじ引きでドナーを決め、その臓器をすべて提供させれば、一人は死んでも、多くが助かるから功利性が高いという思考実験です。日米安保のために沖縄に犠牲になってもらうという意見はこの臓器くじのヴァリエーションです。
父親逮捕の証拠は娘の手まり歌です。それを盗み聞きして番所に伝えた人がいたというわけです。この民話のポイントは「話す」ではなく、「聞く」です。誰かが聞いているかもしれなければ、自由に話すことができません。
人柱のための罪人を必要としている共同体です。通常の共同体にとって犯罪者はいない方がよいのですが、ここは違います。存続のために、罪人を必要としているのです。父親のように、ちょっとしたことでも罪人にされかねません。
しかし、密告者は別です。情報を伝えた人の身は保障されます。それに異を唱えれば、自分も罪人に仕立てられかねません。村人たちも保身のために父親を見殺しにしています。
密告者が聞いているのは内面の声です。公の場面での発言ではなく、私的に話された内容です。密告者は私的領域の声に耳をそばだてているのです。密告は私の内面を支配します。
この昔話の舞台は近世です。近代は公私の分離が前提です。理念上、密告は内面の自由を脅かしますので、認められません。プライバシーも私的領域ですから、保障されます。ですから、密告者は独裁体制の監視社会で暗躍します。近代政治は公的領域を扱い、内面に干渉してはなりません。それに対し、独裁者が支配したいのは内面です。
独裁者にとっての脅威は自らの地位を脅かす存在です。内面の自由を盾に、それが私的領域に隠れているかもしれません。監視社会において犯罪は私的領域を持つことです。すべてを公的とし、私的領域を認めません。どこに密告者がいるかもしれない監視社会では内面の声を吐露することなどできません。私的領域を所有できず、内面が支配されてしまいます。
けれども、独裁体制にも諸々の問題が起きます。それを存続させるための生贄として犯罪者が必要になります。密告者がそれを生み出すのです。
「雉も鳴かずば撃たれまい」の昔話はこのように困難な課題を提示します。これだけ示唆に富む作品は近代以降の文学でもそうありません。話題の作家や作品よりもこうした民衆がつぶやいて伝えてきた物語が知られる方が必要なのです。
〈了〉