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『アメリカの壁』の時代(2017)

『アメリカの壁』の時代
Saven Satow
Feb. 12, 2017

「『日本沈没』は日本だけが沈んでいく、世界からもうどうしようもなく消えていくって話なんだけど、世界最大最強のアメリカを消そうにも沈没させられないから、「壁」にしたんだね。それを今度はまたひっくり返して『首都消失』をやると。つまり消し合いなんだな。だから、大金の入った財布を落としたらって考えてごらんよ。あのときの狼狽っていうのをものすごい大げさな話に拡大するのがSFの一種の手法としての、やはり権利だろうと思ってね」。
小松左京『小松左京自伝―実存を求めて』

 ドナルド・トランプ大統領就任後のアメリカを予言しているとネット上で話題になっていた小松左京の『アメリカの壁』が2017年2月10日に電子書籍として出版されています。これは1977年に発表されたSFです。

 いわゆる大統領の発言や大統領令がこの40年前の短編を思い起こさせるという意見がネット上で上がりながらも、文庫としては品切れ状態です。今回、出版社が要望に応えています。米国ではジョージ・オーウェルの『1984年』がベストセラー化しています。現在は近未来小説を地で行くような時代なのでしょう。

 『アメリカの壁』は次のような物語です。

 ベトナム戦争以降のアメリカは国外問題への関心を急速に失っていきます。そんな時代の気分の中、「輝けるアメリカ」や「美しいアメリカ」といったスローガンを掲げてヘンリー・パトリック・ジェームズ・モンローが大統領に当選します。ヘンリー・パトリックは「自由を与えよ。然らずんば死を」と独立戦争を主張した政治家です。また、ジェームズ・モンローは孤立主義のモンロー・ドクトリンを宣言した第5代大統領です。新大統領はこの二人を併せ持つ贅沢な名前の人物です。名は予兆なりといった具合に、国内問題には熱心に取り組むものの、対外政策はやる気がありません。

 就任から3年後の独立記念日、アメリカの周囲に白い霧の壁が出現します。それにより外部との交通や通信が一切遮断されてしまうのです。けれども、ちょうど三連休のため、大きな騒ぎは生じません。

 連休が明け、企業などから経済を始めとするさまざまな損失が出ると懸念が示されます。ところが、大統領は、天然資源や農産物などに恵まれたアメリカが自給自足できるとして、自立して生き伸びられると国民に語りかけます。人々も事態を冷静に受けとめます。 ただ、外国人は戸惑い、狼狽しますが、少数派ですから、彼らの声は無視されるのです。

 アメリカに閉じこめられた日本人ライターの豊田はこの異変に疑念を抱きます。あまりにも政府の対応がよすぎるからです。この霧の壁が自然現象ではなく、人為的に発生させたものではないかと彼は調査を始めます。異変が生じる前にメディアを含めた各界の上層がワシントンに集まっていたり、当局が情報統制を敷いていたりするといった事情を知るのです。

 とうとう豊田はアメリカの壁の真相にたどり着きます。霧の壁はアメリカ政府が発生させたものです。摩の三角地帯と呼ばれるバミューダトライアングルを生じさせていた装置をアメリカがソ連と共同で発見します。ソ連とどのような取引があったかは不明ですが、アメリカがその装置の仕組みを知ります。それを使って壁を作り出しているのです。大統領は装置を利用して公約を実現しようとします。アメリカは世界の面倒をもう見ていられないとしてひきこもることにしたというわけです。

 豊田は「たしかにアメリカにとっては、”すてきな孤立”だ」と次のように言います。「アメリカは、”外”の世界に、ひどくいやな形で傷つき、萎縮(シュリンク)しはじめた。そいつは認めるだろ? 今の大統領は、その方向をさらに強め、妙な具合にカーブさせた。彼は”幸福な新天地時代”のアメリカのノスタルジイに訴え、そこからの再出発を考えているみたいだった」。

 豊田はアメリカからの脱出を決意します。他の外国人と共に、友人のアメリカ人が用意した軍用機で、飛び立ちます。その飛行機が霧の壁に突入していくところで物語は終わるのです。

 読み終えて、この小説に対する不満もあるでしょう。短編なのに、文体のテンポがよくないため、長く感じます。しかし、それは手探りの状態を表わすためです。行動・知覚・確認の作業を文体が体現しています。また、作品からその後の主人公やアメリカの姿を読み取ることができません。ただ、もしもの世界が現実化したらどうなるのかという物語ですから、それを期待するのも適切ではないでしょう。

 確かに、『アメリカの壁』は政治的レトリックや壁構想などトランプ政権の言行と重なるところがあります。予言的作品と話題になるのもうなずけます。けれども、小松左京は40年後を予想して『アメリカの壁』を書いたわけではありません。1977年の時代的・社会的状況を突きつめて「もしもアメリカが消えたら世界はどうなるのか」と想像力を働かせているのです。

 70年代、アメリカは自信を喪失します。ベトナム戦争の失敗、ドル・ショックと石油ショックおよび日・西独の台頭による経済的な絶対優位の失墜、ウォーターゲート事件をめぐるリチャード・ニクソン大統領の辞任などが戦後築き上げてきたアメリカの姿を揺るがします。

 現在もその当時と似通った状況を見出せます。9・11以降の軍事行動の失敗、リーマン・ショックおよび中国を始めとする新興国の台頭による経済力の総体的低下、二極化に伴う国内対立などがそうでしょう。

 加えて、70年代はオカルト・ブームの時代です。サブカルチャーがよく取り上げる超常現象の一つに「バミューダトライアングル」があります。『アメリカの壁』にもこの摩の三角地帯が登場しています。それはフロリダ半島の先端とプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域を指します。古来より通過する船舶や航空機、乗務員が謎の失踪をするという伝説の海域です。

 白い霧の壁の謎もバミューダトライアングルが関係しています。摩の海域を生み出している装置を連邦政府が入手、それを使って壁を出現させたというわけです。

 アメリカにおける70年代の超常現象ブームには連邦政府に対する不信感が認められます。政府は市民に隠し事をしているのではないかという疑念が超常現象として表象しているのです。バミューダトライアングルの原因も政府はすでに承知し、陰謀のためにそれをごまかしているという認識です。そんな気分の76年の大統領選挙で有権者はワシントンと無縁のジョージア州知事ジミー・カーターを選んでいます。

 トランプ大統領誕生の一因として有権者の既成政治への不満があることは確かでしょう。ブルー・ウォールの崩壊はそれを裏付けます。また、ワシントン不信を背景に偽ニュースが猛威を振るっています。これは、オカルト同様、科学的エビデンスや実証性に乏しいものです。

 ところでアメリカの外交には孤立主義とイデオロギー外交という二つの柱があります。前者は相互不干渉主義の様相をしたアメリカのナショナリズムです。アメリカは欧州と大西洋によって隔てられています。当初は海が自然の「壁」になると捉えていたわけです。後者は国益目的で他国に干渉しませんが、自由と民主主義という公益のためにはそうすることもやむをえないという発想です。

 アメリカはこの二つの間を揺れ動きます。民主主義の国ですので、民意がその時々に振れるからです。今、70年代後半と同じように、アメリカは孤立主義に傾いています。1977年の状況を掘り下げた小松左京の作品が予言のように見える理由は確かにあります。

 けれども、『アメリカの壁』と2017年のアメリカの間には明確な違いがあります。それはメディアを含め各界が政権に翼賛しないし、市民も従順ではないということです。トランプ大統領が壁建設や入国禁止の大統領令に署名すると、メディアは批判、企業は反対の姿勢を示し、市民は抗議デモを繰り広げています。

 むしろ、『アメリカの壁』の状況は安倍晋三政権の日本社会と重なります。メディアを含めた各界が政府に翼賛し、「日本はすごい!」という自惚れた空気が蔓延、国民の多くは従順な態度を示して異議申し立ての言行には冷淡です。小説で展開された光景が現実になっています。「どう考えたって……これはおかしい」。『アメリカの壁』は今の日本社会に対する警告と読むべきなのです。
〈了〉
参照文献
小松左京、『小松左京自伝―実存を求めて』、日本経済新聞出版社、2008年
同、『アメリカの壁』、文藝春秋、2017年

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