植民地支配における日本語教育と日本近代文学の成立(13)(2004)
13 漱石と日本近代文学
自然主義文学は流行していたものの、反道徳的であるという非難も強い。その状況に対して、漱石は、『教育と文芸』において、自然主義の克服について次のように述べている。
さてかく自然主義の道徳文学のために、自己改良の念が浅く向上渇仰の動機が薄くなるということは必ずあるに相違ない。これは慥《たしか》に欠点であります。
従って現代の教育の傾向、文学の潮流が、自然主義的であるためにボツボツその弊害が表われて、日本の自然主義という言辞は甚だしく卑しむべきものになって来た。けれどもこれは間違である。自然主義はそんな非倫理的なものではない、自然主義そのものは日本の文学の一部に表われたようなものではなく、単に彼らはその欠点のみを示したのである。前にも言った通り如何に文学といえども決して倫理範囲を脱しているものではなく、少くも、倫理的渇仰の念を何所《いずこ》にか萌《きざ》さしめなければならぬものであります。
人間の心の底に永久に、ローマン主義の英雄崇拝的情緒的の傾向の存する限り、この心は永存するものであるが、それを全く無視して、人間の弱点ばかりを示すのは、文学としての真価を有するものでない、片輪な出来損いの芸術であります。如何に人間の弱点を書いたものでも、その弱点の全体を読む内に何処にかこれに対する悪感とか、あるいは別に倫理的の要求とかが読者の心に萌え出づるような文学でなければならぬ。これが人心の自然の要求で、芸術もまたこの範囲にある。今の一部の小説が人に嫌われるは、自然主義そのものの欠点でなく取扱う同派の文学者の失敗で、畢竟過去の極端なるローマン主義の反動であります。反動は正動よりも常規《じょうき》を逸する。故にわれわれは反動として多少この間の消息を諒《りょう》とせねばならぬ。
さて自然主義は遠慮なく事実そのままを人の前に暴露し、または描き出すため種々なる欠点を生ずるに至りましたが、これを救うは過去のローマン主義を復興するにあらずして、新ローマン主義ともいうべきものを興《おこ》すにあろうかと思う。新ローマン主義というも、全く以前のローマン主義とは別物である。凡《およ》そ歴史は繰返すものなりというけれども、歴史は決して繰返さぬのである、繰返すというのは間違である。如何なる場合にも後戻りをすることなく前へ前へと走っている。
教育及び文芸とても、自然主義に弊害があるからとて、昔には戻らぬ。もし戻ってもそれは全く新なる形式内容を有するもので、浅薄なる観察者には昔時《せきじ》に戻りたる感じを起させるけれども、実はそうではないのであります。しこうして自然主義に反動したものとするならば、新ローマン主義ともいうべきものは、自然主義対ローマン主義の最後に生ずるはずである。新ローマン主義というとも決して、昔のローマン主義に返ったのではない、全く別物なのであります。
即ち新ローマン主義は、昔時のローマン主義のように空想に近い理想を立てずに、程度の低い実際に近い達成し得らるる目的を立てて、やって行くのである。社会は常に、二元である。ローマン主義の調和は時と場所に依り、その要求に応じて二者が適宜に調諧《ちょうがい》して、甲の場合には自然主義六分ローマン主義四分というように時代及び場所の要求に伴うて、両者の完全なる調和を保つ所に、新ローマン主義を認める。将来はこうなる事であろうと思う。
昔の感激的の教育と、当時の情緒的なローマン主義の文芸と今の科学上の真を重んずる教育主義と、空想的ならざる自然主義の文芸と、相連って両者の変遷及び関係が明瞭になるのであります。かくして人心に向上の念がある以上、永久にローマン主義の存続を認むると共に、総ての真に価値を発見する自然主義もまた充分なる生命を存して、この二者の調和が今後の重なる傾向となるべきものと思うのであります。
近頃教育者には文学はいらぬというものもあるが、自分の今までのお話は全く教育に関係がないという事が出来ぬ。現時の教育において小学校中等学校はローマン主義で大学などに至っては、ナチュラル主義のものとなる。この二者は密接なる関係を有して、二つであるけれどもつまりは一つに重なるものと見てよろしいのであります。故に前(ぜん)申した通り文学と教育とは決して離れないものであるのであります。
「過去のローマン主義」は「空想に近い理想を立て」、「人間の弱点」を認める自然主義にとって代わられたが、自然主義は「遠慮なく事実そのままを人の前に暴露し、または描き出すため種々なる欠点を生ずるに」至ってしまっている。「過去のローマン主義」が行きすぎたように、自然主義もその「反動」として急進的になりすぎている。けれども、自然主義に問題があったとしても、「歴史は決して繰返さぬのであり」、「過去のローマン主義」に回帰することはできない。
自然主義が「ローマン主義」への反発によって文学的なヘゲモニーを獲得し、無軌道になっているのは健康的ではない。「社会は常に、二元」であって、「ローマン主義」と自然主義の弁証法的な止揚により、「新ローマン主義」が生まれるだろう。「新ローマン主義」は「過去のローマン主義」と自然主義に対するユーモラスなパロディである。漱石は、素朴な「昔時のローマン主義」が頓挫した現実に直面しても、「自然主義」の欠点に陥らず、「理想」を生き延びさせる知恵を身につけた「新ローマン主義」を会得すべきだと提案している。
しかし、漱石の調停案にもかかわらず、「新ローマン主義」は登場せず、自然主義をより急進的にし、「遠慮なく事実そのままを人の前に暴露し、または描き出す」私小説の文学界におけるヘゲモニーが確立する。その素地は藤村にすでに見られる。藤村は自作を私家版の緑蔭叢書シリーズとして出版し、売上金がすべて自分に入るようにしている。反面、売れなければ損をすることになるため、センセーショナリズムに走らざるをえない。
私小説の主人公の原型は二葉亭の『浮雲』の内海文三であり、それはツルゲーネフの作品の主人公、すなわち「余計者」から派生している。プーシキンのオネーギンに由来し、西欧の先進的な知識を身につけながらも、ロシアの民衆をよく知らないために、その能力を発揮できず、倦怠感と猜疑心にさいなまれる行動しない人物である。漱石は、『それから』(1909)の長井代助のように、「余計者」を高等遊民としてユーモラスに作品で描いている。『吾輩は猫である』の語り手、すなわち「猫」は「余計者」のパロディであって、漱石の「余計者」のような主人公はその系譜上にある。
漱石とは違い、私小説の場合、読者は語り手を配慮して読む姿勢が要求される。読者は語り手に従わなければならない。私小説は三人称で記述されているケースが多い。近代小説では、語り手と主人公は共犯関係にある。読者はこの共犯関係を共有することで成立する。しかし、三者は別の存在である。
他方、私小説においては、語り手と主人公が同一犯であって、読者も同一犯でなければならない。告白の場合、語り手は主人公と同一であるけれども、読者との間に明確な一線が引かれている。告白が読者に差異を主張するとすれば、私小説は同一を強いる。読者は作品を読むと言うよりも、同一犯になるために、作品のモデルや背景を知ることが求められる。私小説は第三者にチェックされねばならない市場経済的認識の導入を拒否している。証券の民主化が実施されていく時代には、作者の特権も失われ、私小説は衰退せざるをえない。
私小説は日本語に過剰に付けられた「同情同感」に基づいて成立しているのであり、作品読解は山口喜一郎の方法と同じである。日本近代文学は山口喜一郎の日本語観と合致している。私小説の誕生の原因を日本語の言語的な特性や日本文化に求める議論があるが、これは誤謬である。
ロシア語にも、日本語と同様に、主語のない無人称文・普遍人称文・不定人称文がある。また、日本語と同様の意味で主語がない言語も、カンボジア語のように、少なからずある。さらに、地縁・血縁に支えられた閉鎖的な世間や親族、家族は世界的に広く見られる制度である。そもそも曖昧さは日本語に限った現象ではない。主語が明確な言語の英語では、主体性を尊重するために、アドヴァイスをしたり、申し出を断ったりする際に、婉曲な表現を用いる場合が少なくない。
私小説は、告白と違い、メタ認知が欠けている。判断の説明を省く傾向があるのに対し、英語において、そういう時、説明を尽くすことが不可欠である。「私小説では、その作者の生活がいかに細かく描写されていても、その中心になるものが抜けているという印象を我々が受ける場合が多い。作者が、不幸で一人ぼっちで、あるいは社会から締め出されているということはわかっても、その人間が他の同じように神経質な人間とどう違うかはっきりしない」(ドナルド・キーン『子規と啄木』)。私小説の作家は自分を社会の中に位置づけて執筆していない。それはなぜその作品が文学と呼び得るのかという基本的問いが欠落している。いかなる素材であっても日本語であるがままに書けば文学となるといった具合だ。
漱石は言文一致体で書いても、当て字や造語を多用する彼の文体は国語ではない。漱石は国語とドメスティック文学に対抗している。多種多様なジャンルと文体を用いた漱石の試みは、いかなるものであっても日本語で書けば日本文学になるという認識に対するユーモアである。「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨《そば》づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」(藤村『夜明け前』)。漱石は、『文学論』において、「文学とは如何なるものぞと云へる問題」を検討している。自然主義文学以降、文学が儀式化してしまい、この問いは欠落する。帝国主義化と私小説の隆盛は平衡している。
経済力を背景に日本の優位が叫ばれた1980年代、日本的経営が日本の固有文化であると工場の海外建設と同時に盛んに輸出されていたが、その時にも、吉本ばななを代表に、私小説的作品が評価されている。私小説は、理念的な矛盾を軍事力や経済力といった現実的な事実で覆い隠すための儀式を提供するため、日本文学が手放したくない文学ジャンルである。私小説はドメスティックな文学に見えるが、実は、それを可能にしているのは極めて生臭い政治的・経済的背景である。
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