毎日の昼食会(2023)
毎日の昼食会
Saven Satow
Nov. 19, 2023
「真の人間性に最もよく調和する愉しみは、よき仲間との愉しい食事である」。
イマヌエル・カント
1人で食事することは哲学者にとってよいことではない。友人と一緒に食事をすると、いいアイデアの交換が可能になる。新しい材料は社交を通じて自然に思考に流れこんでくる。そう考えるイマヌエル・カントは、晩年、友人を毎日招いて昼食会を開いている。
招待する人数は3人から5人までと決めている。それ以上になると、小さなグループを作って話を始め、パーティーのまとまりがなくなってしまうからだ。
招待客は軍人や官僚、銀行家、商人、作家など社会の上流階級である。しかし、思想家は呼ばない。論争になりかねないからだ。『人間学』では、カントは女性が参加することを歓迎している。男性だけだと雰囲気がとげとげしくなってしまう。だが、実際に女性が参加することはない。
話題は誰もが加われるものに限られる。個人的な話から始まるのはやむを得ないが、自分の仕事や他人のゴシップはいただけない。カントは哲学の話題が出ると、露骨に嫌な顔をしている。政治や科学など時事的トピックが望ましい。
トピックが決まったら、それをめぐる議論を進める。その際、参加者が戸惑うので話題をころころ変えてはならない。また、節度を持って話し合い、熱くなってのっぴきならない対立に発展させてはいけない。さらに、音楽は会話を途切れさせるので、禁止である。
一通り議論がすんだら、冗談を交わす。雰囲気を和やかにし、後味よくパーティーをお開きにできるからだ。
カントのお気に入りのジョークの一つを紹介しよう。
イギリス生まれで、片言のドイツ語しかわからないサグラモーゾ伯爵がフォン・カイザーリング伯爵夫人を訪ねた。その時、頭の中には鳥のことしかなく、自然史コレクションをハンブルクでしている先生がやって来た。サクラモーゾ伯爵は「ハンブルクに叔母がいるのですが、亡くなってしまったのです」と彼に言った。すると、先生はこう尋ねた。「なぜその皮を剥いで詰め物にしなかったのですか?」
伯爵が「叔母」を英語の"Aunt" と言ったのに対し、先生はそれをドイツ語の「アヒル」を意味する"Ente "と勘違いしたというジョークである。
カントは社交と食事の相乗効果を実践する。彼は審美主義的な美食家ではない。カントの友人で、伝記作家のラインホールト・ベルンハルト・ヤッハマン(Reinhold Bernhard Jachmann)が彼の昼食会の様子を伝えている。
テーブルには各席に赤ワインのボトルが1本ずつ置かれている。カントの好みはメドックで、これは濃い赤色と渋味の強さで知られている。その後味を消すために、白ワインが出されることもある。また、オレンジの皮で香りづけした温かいデザート・ワインが用意されることもある。彼はビールを好まない。「プロイセンの毒」と揶揄していたほどだ。
人間は肉食動物と草食動物の中間であるから、カントによれば、肉1に対して野菜2の割合のメニューが望ましい。彼は自分でメニューを考え、料理人に指示している。コースはたいてい3品で、デザートとしてチーズが続くが、ケーキが出ることもある。その際、彼は自分の皿にマスタードを添える。
前菜は魚が多い。ドイツ料理で魚の前菜と言えば、ヘリングのマリネやスモークサーモンが思い浮かぶ。スープはラウペンズッペがカントのお気に入りである。また、ヴェルミチェッリも好みだ。
メインは主に肉だが、チキンは避けられる。柔らかく煮汁のついた肉料理が好きだったと言うから、シュバイネバクセンやアイスバインあたりだろう。ただ、リンダールラーデンやグーラシュということもあり得る。魚では鱈が好みである。カントはチーズが好物で、中でもスティルトンやチェダーなどで知られるイギリス・チーズに目がない。
小柄な体格にもかかわらず、カントは非常に食欲旺盛で、歓談を忘れて食べることに集中しすぎないように気をつけていたほどだ。ただ、年齢により歯が悪くなっていたようで、肉が硬い場合、その不満を口にし、汁だけ吸って身を残すこともある。
昼食会は、時に3時間以上も続く。また、夏には庭の見える窓を開放して食事を楽しむことがあったという。カントの暮らす東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)は北緯54度に位置する。厳しい冬が長いが、6月から8月にかけての夏は暑すぎず、快適である。
カントの思想は孤独の中での思索によって生まれたわけではない。ソクラテス以来の伝統に則り、彼は友人たちと食卓を囲み、飲食しながら歓談して、そのアイデアを思いついている。メニューを見る限り、彼は刺激のある食べ物に魅了されている。社交を楽しみながら、食事を味わう。そんな刺激が彼の知的活力である。社交的食事は最高の楽しみだ。“Guten Appetit!!”
〈了〉
参照文献
ヤッハマン他、『カント―その人と生涯』、芝烝訳、創元社、1967年
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?