政治家と筋肉(2007)
政治家と筋肉
Saven Satow
Aug. 25, 2007
「筋肉─女性蔑視(muscolo: il disprezzo della donma)」。
坂本龍一=細川周平『未来派2009』
今、二人の政治家の筋肉が世界的に話題となっています。一人はフランス大統領ニコラ・サルコジ、もう一人はロシア大統領ウラジーミル・プーチンです。2007年8月23日付『朝日新聞夕刊』によると、どちらも休暇の際に撮られた写真が発端です。
フランスの週刊誌『パリ・マッチ』にカヌーをこぐサルコジ大統領の上半身裸の写真が掲載されたのですが、脇腹のたるみを修整していたことが8月22日に明らかになります。載った写真とロイター通信が配信した元のと比べると、脂肪吸引でもしたかのように贅肉がなくなっています。
この『パリ・マッチ』の発行元は防衛産業大手のラガルデール・グループです。実は同グループのアルノー・ラガルデール総帥はサルコジ大統領と「兄弟」と認め合う仲なのです。これについて、パリ・マッチ側は、「写真を修整したところ、修整が目立ちすぎてしまった」と説明しています。
ここのところ伝わってくるスキャンダルは、夫人のも含めて、サルコジ大統領はコメディ映画に登場する自己顕示欲が旺盛で、支配欲が強い間抜けな政治家そのものです。映画『TAXI』シリーズで彼と思われる政治家が描かれるかもしれません。
一方、同じく22日付のロシアの大衆紙『コムソモリスカヤ・プラウダ』は、引き締まった筋肉に覆われたプーチン大統領の上半身裸の写真を載せ、「プーチンのようになろう!」という見出しをつけています。
筋肉の部位ごとにいかなるトレーニングを積めば大統領のような肉体美を手に入れられるかが説明されています。この記事には「官僚のための肉体訓練の手引書」という副題が添えてあり、「日焼けしてセクシーで機敏な男性が省庁のオフィスを埋め尽くしているのは、見るだけですてきなことだろう」と同紙の女性記者のコメントが記されています。今年55歳になるプーチン大統領ですが、柔道やスキーなどで身体を鍛えていることで知られています。
現代の政治家にとって自分の筋肉も政治的宣伝の道具ですが、こうした手法はイタリアの独裁者ベニト・ムッソリーニに遡ります。彼は、しばしば、上半身裸となり、その筋骨隆々の肉体美を誇らしげにして、民衆の前で演説をしています。その筋肉は見事なもので、全盛期のマイク・タイソンを彷彿とさせるほどです。プーチン大統領など遠く及びません。
容姿や演説をアピールの手段とした政治家はそれまでにもいましたが、自身の肉体美を使った政治家はムッソリーニが近代では初めてです。当時の政治家と言えば、葉巻をくわえながら、ブランデーのグラスを手にした老人という感じです。一方、ムッソリーニは首相に就任したのは39歳です。その若さだけでも異例だというのに、信じられないほど「いい身体」をしているのです。
イタリアの民衆が若い力強さのイメージから彼に熱狂的に期待しただけでなく、他国の政治家や活動家が注目したのも無理からぬ話です。その中には、ウィンストン・チャーチルという好戦的な野心家やアドルフ・ヒトラーなるちんけな極右の若者もいます。
それはまさに1920年代という時代にあった新しい政治家の姿です。黄金の20年代は、1927年に25歳の青年チャールズ・リンドバーグが大西洋単独横断飛行を成功さて世紀の英雄となった出来事が端的に示しているように、若さとスピードが謳歌した時代でもあります。歴史的に見て、20世紀ほど力とスピードという若さをイメージさせるものを追い求めた時代というものもないのですが、20年代はその原型とも言えます。
ムッソリーニは酒も煙草もたしなまず、貴族が大嫌いで、社交界も好みません。音楽好きで、ヴァイオリンを得意とし、哲学や文学にも造詣があり、乗馬、水泳、ハイキング、フェンシングを愛好しています。スピード狂の彼は自動車やオートバイ、飛行機も自ら操っています。
ムッソリーニは、『自叙伝』において、スポーツやスピードへの愛を次のように述べています。
私は全てのスポーツを愛す。自信をもって、自動車を運転する。そして高速力で旅行する。これには友達ばかりでなく、古参の熟練した運転手まで、びっくりしていた。また飛行機も好きだ。何度自分で飛んだか、数え切れないほどである。(略)一度50メートルの高所から墜落したことがあるが、それで飛行をやめる気にはなれなかった。発動機は私に、新しい大きな力と興奮を与えてくれる。
朝6時に起床して、軽く体操をした後、オレンジ・エードかグレープ・ジュースを一杯飲んで、乗馬をしてからシャワーを浴び、朝食にするというのが朝の日課です。「私が健康を維持している秘訣は、一にも二にも果物だ。朝食にも昼食にも、それから夜にも果物だ。私は肉は食わない。ときどき魚を食べるだけだ」。このベジタリアンは勝負食も決めています。ここぞという勝負の前には必ずスパゲティを食べています。
でも、それは老いというものに対する恐怖心の表れでもあるのです。ドゥーチェは年齢がわからないようにスキンヘッドにし、他の独裁者と違い、メディアが誕生日に言及することを禁止しています。しかも、老人、特に老婦人が嫌いで、年をとることさえ忌避しています。彼には、若さは美しく、老いは醜さを意味しているのです。
人間はいずれ老いていくものです。それは自分ではどうにもなりませ。
このアンチエージングの政治家はコントロールすることにとらわれていたのでしょう。小柄だったムッソリーニは威厳を保つのに留意し、自分に関して「笑顔」や「笑った」という字句を新聞からすべて削除させています。また、ポートレート写真もローアングルがよく使われています。アオリは被写体に対する畏敬や畏怖の感情を見る者に印象づけます。彼は自分の肉体をコントロールするように、他人もコントロールしようとしているのです。
政治家が若さをアピールすること自体はよくあることです。しかし、今回の写真の二人の当事者もメディアに対する干渉の点で評判が悪い政治家です。協調しながら、政治を進めていくタイプではなく、権威主義的で、強権的な態度をよく見せます。筋肉は使うためのものですが、彼らの場合、見せるものとして扱われているのです。内実の話が抜けています。
けれども、政治は審美的なものではありません。美は主観性が強いものですが、ファシズム的政治はそれをコントロールしようとしたとも言えるでしょう。ムッソリーニの経験を思い起こし、この写真の問題を考えると、政治家と筋肉というトピックは決して軽いどころか、大いに危険な問題なのです。
〈了〉
参照文献
貝塚茂樹他、『世界の歴史15』、中公文庫、1979年
坂本龍一=細川周平『未来派2009』、扶桑社、1986年
木村裕主、『ムッソリーニ』、清水書院、1996年