ヘイトスピーチへの対処勧告(2014)
ヘイトスピーチへの対処勧告
Saven Satow
Aug. 31, 2014
「どっちを見ても何も見えない頼りなさは、人間を心の底からうろたえさせるのだ。文字通り、疑心暗鬼を生じる状態にさせるのだ。関東大震災の時に起こった、朝鮮人虐殺事件は、この闇に怯えた人間を巧みに利用したデマコーグの仕業である」。
黒澤明『蝦蟇の油』
国連人種差別撤廃委員会は、2014年8月29日、日本政府に対してヘイトスピーチ問題に毅然として対処し、法規制をするよう勧告する最終見解を公表する。7月に国連規約人権委員会もすでに禁止することを求めている。日本の現状は国際社会の共通認識とかけ離れていると言うわけだ。
人種差別撤廃条約の当事国は170を超える。多数国間条約で締約国が170以上は多くなく、普遍性の要請の達成が高いと認知できる。人種差別撤廃は国際社会における普遍的目的である。それへの不作為は国際社会に対する挑戦である。
勧告は、8月30日付『朝日新聞』による骨子を見ると、日本のヘイトスピーチに関する包括的な認識に基づいている。ヘイトスピーチに対する法規制に向けた適切な措置をとることだけではない。デモの際に公然と行われる人種差別の言動に毅然として対処することを求めている。また、ネットなどのメディアやデモを通じてヘイトスピーチが拡散している状況に対しても、それをなくすように適切な措置をとることを要求している。さらに、こうした行為に責任ある個人や組織を捜査し、訴追も辞さない態度で臨むことが促されている。
委員会は、加えて、この実情も見抜き、見解を示す。ヘイトスピーチを扇動する政治家や官僚に適切な制裁を追求する。ヘイトスピーチの根底にある諸問題に取り組み、他の国や人種、民族への理解やフレンドシップを養成する。このように委員会は非常に抜本的な対策を要求している。
これだけ鋭い分析を見せる委員会に対して、日本政府は従来表現の自由を理由にヘイトスピーチへの法的対応を渋っている。けれども、人種差別の言動は表現の自由に含まれないと委員は批判している。人種差別は植民地主義を始め歴史に形成されているから、放置していれば、消えていくものではない。差別撤廃には政府が積極的に取り組まなければならない。
日本は、1995年、人種差別撤廃条約を批准している。ただ、ヘイトスピーチの法規制を義務化する条文を留保している。国際法では条約の条項が等しく締約国に適用されるのが望ましい。これを一体性の要請と呼ぶ。しかし、普遍性の要請に応えるために、条約によっては留保の制度が認められている。留保はその条項の適用を排除、もしくは変更するという国家の一方的な宣言である。
アメリカもこの条項を留保している。しかし、人種差別の言動には社会的制裁が加えられる。米国の歴史において人種差別は極めて重要な問題である。留保が野放図を意味しない。
法規制に慎重であるが、留保を除けば、すでに民事ではこの条約の日本国内への適用実績がある。2002年、札幌地裁は、小樽入浴拒否事件に際して、国際人権条約の規定に適合するように国内法を解釈する。
小樽の公衆浴場でロシア人船員が飲酒等により騒ぎを起こすため、他の客に迷惑がかかるとして、管理者が”Japanese Only”の張り紙をする。そこを訪れた船員ではない欧米人も入浴を拒否される。これは人種差別であるとして断られた人が管理者を相手に民事訴訟を起こす。
裁判所は、個別対応せず、一律に非日本人の入浴を拒否するのは人種差別に当たると判断を示す。その際、民法の複数の規定を国際人権条約から間接適用して解釈している。この判決が社会に周知されているとは言い難い現状は、今年起きた浦和レッズ人種差別横断幕事件が物語っている。日本社会が人種差別に敏感ではない。
こうした土壌でヘイトスピーチが拡散している。近年のヘイトスピーチが表現の自由に含まれると言うのなら、日本政府はその権利を具体的に明らかにする必要がある。表現の自由を根拠に人種差別の言動を野放しにするとしたら、政府の考えとそれが合致している、あるいはレイシストが自分たちの支持者であるという疑いが生じるだろう。
「マンガの神様」手塚治虫は、『マンガの描き方』において、基本的人権の尊重が表現の自由に優先されると次のように説いている。
しかし、漫画を描くうえで、これだけは絶対に守らなければならぬことがある。
それは、基本的人権だ。
どんなに痛烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいいのだが、基本的人権だけは、だんじて茶化してはならない。
それは、
一、戦争や災害の犠牲者をからかうようなこと
一、特定の職業を見くだすようなこと
一、民族や、国民、そして大衆をばかにするようなこと
この三つだけは、どんな場合にどんな漫画を描こうと、かならず守ってもらいたい。
これは、プロと、アマチュアと、はじめて漫画を描く人を問わずである。
これをおかすような漫画がもしあったときは、描き手側からも、読者からも、注意しあうようにしたいものです。
表現の自由は自由主義に立脚している。それは自由で平等、独立した個人によって社会が成り立っているという近代の理念に基づいている。人種差別はこの自由主義に反しているのであり、その言動は表現の自由に含まれない。
外務省は、『人種差別撤廃条約Q&A』において留保の理由を次のように述べている。
第4条(a)及び(b)は、「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけるものです。
これらは、様々な場面における様々な態様の行為を含む非常に広い概念ですので、そのすべてを刑罰法規をもって規制することについては、憲法の保障する集会、結社、表現の自由等を不当に制約することにならないか、文明評論、政治評論等の正当な言論を不当に萎縮させることにならないか、また、これらの概念を刑罰法規の構成要件として用いることについては、刑罰の対象となる行為とそうでないものとの境界がはっきりせず、罪刑法定主義に反することにならないかなどについて極めて慎重に検討する必要があります。我が国では、現行法上、名誉毀損や侮辱等具体的な法益侵害又はその侵害の危険性のある行為は、処罰の対象になっていますが、この条約第4条の定める処罰立法義務を不足なく履行することは以上の諸点等に照らし、憲法上の問題を生じるおそれがあります。このため、我が国としては憲法と抵触しない限度において、第4条の義務を履行する旨留保を付することにしたものです。
条約の目的や趣旨には賛同するが、部分的にはそうしかねる場合に用いられるのが留保である。しかし、こうした理由を挙げて留保した日本の現状は人種差別撤廃条約全体の否定につながりかねない。委員会の勧告にはそうした危機感が見受けられる。
そもそも、第一次世界大戦後、人種差別禁止を国際条約にすべきだと真っ先に主張したのは日本である。その政府が1世紀近く後に国際的に人種差別を野放しと批判されるのはあまりに情けない。
委員会は人種差別撤廃条約を刑事にも適用させることを日本政府に求めている。ところが、自民党の議員から官邸や国会周辺でのデモもこの際に規制すべきだという意見が出ている。委員会は政治的デモに対する抑圧を要求していない。それどころか、自民党の主張は憲法並びに国際人権規約に抵触する恐れがある。デモ行進や集会は基本的人権として認められている。人権は人間の尊厳緒法的保障である。人権の軽視ないし無視は人間の尊厳に対する侮辱だ。
さらに、委員会は日本軍による慰安婦の人権侵害についての調査結果をまとめることも日本政府に求めている。主眼は人権侵害である。明示的強制連行や組織的関与を示す書類の有無ではない。その上で、「包括的かつ公平で持続的な解決法の達成」やそうした出来事を否定しようとするあらゆる試みへの非難を促している。日本政府は植民地主義ともっと真摯に向き合うべきだというわけだ。
従来の日本政府が主に表現の自由を持ち出す姿勢は人種差別を歴史的に遡って現代の普遍的課題と認知していると言い難い。今回の勧告は、現在の国際社会の基盤となっている共通認識を日本が共有する気があるか行動で示すことを求めている。世界の中の日本という自覚があり、人種差別を植民地主義や民族浄化など現代の問題から取り組む意思があるか問うている。歴史認識を国際社会と共有できない国は孤立する。
〈了〉
参照文献
黒澤明、『蝦蟇の油』、岩波書店、1984年
手塚治虫、『マンガの描き方』、知恵の森文庫、1996年
外務省、『人種差別撤廃条約Q&A』
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/top.html