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【家族】どうすればよかったのかな➁

ちょっと話がごちゃごちゃしています。
➀の続きです。


母がいつも楽しくなさそうに見えた

10代の頃、とてもストレスに感じていたことがある。
それは母さんがいつも楽しくなさそうに見えること。
そしてそれはもしかして自分のせいなんじゃないか?
そんな気がして苦しかった。

データ収集が趣味

母はデータ収集をするのがとても好きだった。
私が中学の頃、母は私の受験した学力テストの上位者ランキングから私と関わりのある子をピックアップして、ペンで色分けしたりして都度ノートにまとめていた。
家から持ち出して誰かに見せるわけでもない、
ただの母の自己満足のノート。
データを収集して、見やすいようにまとめて、それが母の趣味だった。
でもそのノートを作っているところを見るのも、嬉々として完成したそのノートを見せられるのも私にはストレスだった。

同じように、私がやっていたスポーツの記録でも同じようなことをしていた。母は私よりもライバル選手の名前や最新の記録を知っていたし、それを伝えられるのがストレスだった。

試合の動画鑑賞

あと母は、私の部活の試合の時に撮った動画を見るのが好きだった。
テレビで特に見るものがなければ私の試合の動画を再生していた。
別に常に母と一緒にテレビを見ているわけではないので、
私が違う部屋に行って勉強でもしていればいいのだが、
時々リビングに来た時にテレビで流れているだけでも私は嫌だった。
嫌すぎて当時は「もういいから、そんなに見なくていいでしょう、私は見たくない」とたまに文句を言った。
学校の授業や部活が終わって家に帰って休もうにも、
自分の試合の動画が目に入ると競技から離れられない感じがしてとてもストレスだった。

この時期、母の趣味と言ったら、自作のデータノートを眺めることか、私の過去の試合の動画鑑賞だった。これ以外の趣味がないレベルだった。
家に帰ったらその姿がいつも目に入る。
それがとても負担だった。
なんだかいつも私のことに関わっているような気がしてとても嫌だった。
母が私から離れている時間がない気がして、とてもストレスだった。

家を出てから

でも、大学進学で私が家を出てからは少しずつ変わっていった。
一番その変化を感じたのは、大学最後の年の夏、
故郷の県大会に出場するために帰省したときだった。
会場は家からだいぶ離れているので、観戦に来た母と同じ宿に泊まった。
その頃には私は母と一つの部屋にいるのがかなり苦痛だったので、
試合に影響が出ないかやきもきしていた。
(でも当時の私には部屋を分けさせてくれと言う勇気がなかった)

これまで通りなら、母が駅や会場で見かけた他の選手の話や、明日に控えた試合のプランについていろいろと聞かれていたはずだ。
そして私はうんざりしていただろう。
しかし今回は違った。
私の試合観戦に来たはずの母が、部屋にいる間ずっとプロ野球の話しかしないのである。

楽しそうな母

プロ野球の話をしている母はとても楽しそうだった。
母が私とは全く関係のないことで楽しそうにしているのを久々に見た気がした。
母が母の好きなことを楽しんでいるのがとても嬉しかった。

私は気が楽だった。
ようやく一人分の重さで試合に臨める気がした。
その後その大会では4年ぶりの自己ベストで優勝することができた。
10年以上かかって念願の県大会チャンピオンになれた。

でも私は優勝したことよりも、
母が私から離れたところ(プロ野球という趣味)で楽しそうにしていることのほうが正直嬉しかった。

実際はどうだったのか

気になってあとから母に聞いたことがある。
「今まで私のせいでいろいろ楽しくなかったのではないか」と。
しかしそんなことはなかった。
「あの頃は大会の朝早くからお弁当を作ることも、毎試合見に行くことも楽しんでいた、楽しくなかったら毎試合見に行かないでしょ」と。

「あのとき母さんが野球の話しかしなくて、それがなんか嬉しかったんだ。母さんが私に関係ない趣味を楽しんでいて」とも正直に言ってみたが、やっぱり伝わらなかったし、なんだそれと少し気持ち悪がられた。
母が楽しそうに見えなかったのは、いろいろ単純に疲れていたからかもしれない。あとは若い頃から不機嫌そうとよく言われていたみたいだから、特に意味はなくともそういう表情が多いのかもしれない。

でも前回の➀に書いたように、私の結果に対しては酷いことを散々言っていたので、私はそう考えたのかもしれない。

母は私に関することばかり趣味にしていて、
その母は私の結果が良くないからいつも楽しそうじゃない。
そんな気がして私はストレスを感じていたのかもしれない。

どうしたらよかったというかなんというか

要するに「母がいつも楽しくなさそうに見えた」のは私の勘違いで、
「母が“私のせいで”いつも楽しくなさそうに見えた」のは私の考えすぎだったということだ。

でも母が私に関することばかりやっていたのは私にとってすごくストレスだったわけで。
母さんにとっては楽しかったのかもしれないけれど、
別のことでもっと楽しんでる姿が見れたら、
私もいろいろもっと気楽に行けたのかもしれないなと思いつつ。

まあ、人のせいにしちゃいけないか。

あれ、結局何が言いたかったんだっけ。
なんだかうまく書けなかったので、また改めて書き直すかもしれません。
今回はよくわからない終わり方になってしまってすみません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

#サヴァカンピス
#続くかも


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