自伝のこぼれ話 35
今回はちょっと暗い話というか気分があまり良くない話です。
私、選挙にいい思い出がない。けれど選挙そのものや政治とかのことじゃなくて。選挙が近づいて街に候補者のポスターが貼りだされ、街宣車が走ってるの見ると思い出しちゃうんだよね、色々と。
私の母ーーあの人は病んでたというか、はっきり言うと異常者だったし、知的に著しく問題もあったに違いない。母はどういう人だったのか、母がやらかしたことや私が母にされたことなどは自伝などでこれでもかというほど書いたし、今から書くエピソードも自伝の44話目にちょっと書いたけれど、改めて書く。
あれは私が大学生の頃だったかそれとも大学辞めて(しつこいけど、母に奨学金を使われてしまって退学する羽目に)働いてた頃か……ちょっと思い出せないんだけども、ちょくちょく母宛に色んな政治家(国会議員や、市議会区議会の人たち)や政党の名前が入った封筒、手紙が来るようになった。母は政治になんてまるで感心ないし、ましてやどの政党がどんな主張をして、どんな政策を打ち出してるとかすら知らない。なのに何故?って思うじゃん。いきなり結論を言うと、母は政治家や政党に寄付をしてたんだよね。後で気付いたことなんだけど。
ここまで読んで
「お母さま、実は政治に関心あったんじゃないの?」
「寄付するなんて感心だよ。ほら、やらない善よりやる偽善って言葉もあるし!」
と思った方はいらっしゃるでしょうか。残念ながらそうではないんですね。そんな単純?な話ならわざわざこんな記事を書いたりしないです!
いつかね、政治家の事務所から出て来る母に出くわしたんだよねぇ。一瞬、びっくりしたよ。けどすぐに「ああ、そうか」って分かっちゃった。母は普段、誰からも感謝されないような人間で、ある意味では可哀想な人間なんだけどもさ、だから「ありがとう」と感謝されたくて寄付なんかしてたわけ。応援するために寄付するなら直接持って行かなくてもいいし、振り込みでいいわけでしょう、匿名でもいいし。けどそれじゃ母の承認欲求を満たすことは叶わない。「お偉い」政治家先生や支援者に「いつもありがとうございます!!」って頭を下げてもらえるのは母にとってとてつもない快感だったんだろうな。それにああいう場所に行けば話し相手にもなってもらえるしね。
だけど話はそれだけで終わらない。ちょっと異常ではあるけれど自分のお金ならまぁ、ご自由にって話よ。けど、母は生活費(父の給料)やサラ金から借りたお金、私から脅し取った給料でそういうことをしてたんだなぁ。うーん、これ、新興宗教狂いの家族を持った方なら分かってもらえるかな。基本的には同じだもの。なにかに縋りたくて、教団の人に喜んでもらいたいがために多額のお布施をしてさ。まぁ、母は寄付だけじゃなくて色々なものに散財してたんだけど。といってもブランド品買ったりや男に貢いでたとかじゃない。この話は自伝等で嫌って程書いたのでここでは省く。
母は極貧の育ちで、しかも父親は母が生まれる前に逃げただかなんだかでいなかった。昔の言葉で言えば私生児ってやつ。母の戸籍の父親の欄は空欄(母が亡くなったとき、相続放棄をするために原戸籍謄本を取ったから確認済み)。母は父親にはたった一度だけ会ったことがあるそうなんだが「気持ち悪かった」と言っていた。これはきっと、父親なんて要らない!と強がっていた(嘯いていた)のと、本当は父親にいてほしかった、その両方の相反する気持ちがあったからなんだろうな。
そんなわけで母は同じように片親育ちで貧しい子供たちにはそこそこ同情してたんだけども、だったら金なんてたんまりある政治家なんかに寄付しないでどうせなら孤児院、今でいうところの児童養護施設にって思うんだけども、それじゃ満足出来なかったんだろうね。お偉い先生に頭を下げてもらうってのが重要だった。
母が死んでからも政治家や政党からの便りが届いてた。死後はしばらくちょくちょくと仕方なしに父(と愛人)の住むアパートに出入りしたんだけれども、そんなある日父が
「なぁ、これ、おかあにいつもこんなの届くんだけどよ」と封筒を見せてきた。私はずっと父には母が政治家に寄付していたことは黙っていたのだが
「ああ……お母さんね、寄付してたんだよ」と言った。
「ああっ!?そんなわけないだろ。あいつがそんなことするわけねぇって」とバカにするように笑っていた。母をバカにしているというか、私の言うことが出鱈目って感じでね。
あ、父も母も一度も選挙に行ったことはない。それがすべてを物語ってるよね。私は選挙権を得てから投票に欠かさず行っている。市政は行かなかったこともあるが国政に関するものは必ず。勿論、昨日も行った。