Road to Yakushima #4(宮脇慎太郎)
episode 4
「あー、雨降って来ちゃったね」
「あー、雨降ってきちゃったね」
アサノさんが空を見ながら呟く。一湊や宮之浦など屋久島の外周を走っている時は、空は抜けるような快晴だった。しかし安房を過ぎ、「ヤクスギランド」への山道に差し掛かったあたりから天気は急変。あっという間に暗くなってきた。
山上のドライブウェイは、小さな島には似つかわしくない立派なものだった。いつしか雨は激しさを増し、強烈なスコールとなってフロントガラスを叩きつける。豪雨のため自然とスピードは出せなくなり、ゆっくりと慎重に一つひとつのカーブを抜けてゆく。滝のようなどしゃ降りの中でも、軽自動車は力強くぐいぐいと進んでいった。森の隙間から時折見える景色は、ひたすら続く山並みと雲海だけ。それは、ここが周囲を海に囲まれた島であることを忘れるほどで、屋久島の山の恐るべき深さを感じさせるに十分だった。
標高が上がるにつれてやがて雨は弱まり、周囲は深い霧に包まれ、先ほどまで見えていた山岳風景もまったく見えなくなった。どうやら雲の中に入ったようだ。思えば下界から見上げる屋久島の山は、常にその頂に雲をまとっていた。
対向車に気をつけながら、なんとか目指す「ヤクスギランド」へ到着した。ここは霧島屋久国立公園・第三種特別地域で、世界遺産のエリアには入っていない。そのため景観保護などの規制が緩く、通常の農林業活動も可能なエリアだ。
屋久島に到着した初日、「一湊珈琲焙煎所」の高田さん夫妻と話していて、縄文杉の話になったことがあった。しかし高田さんは、見に行ったことが一度もなく、今後もあまり行くつもりがないようだった。
三省さんが「聖老人」と名付け、屋久島移住の精神的支柱とした巨樹を見てみたいとも思ったが、高田さん夫妻のように島に住みながらあえて行かないという態度は、単純に美しい。「圧倒的なものをこの目で見たい」というのは確かに人間の好奇心に根ざす自然な欲求だろう。しかしその欲求が際限なく拡散して何千人、何万人と人々が訪れることにより、土地にダメージが蓄積してゆく。秘すれば花、あらわになることで聖なる何かも減退するのだ。
わざわざ見に行かずとも、確かに島の中心には縄文杉がある——。そう思って麓で暮らし続けることは、精神的に豊かなことだ。まあどちらにせよ、屋久島最深部の縄文杉を見に行くにはガイドを雇い、トレッキングで丸一日は潰れるので、今回のタイトなスケジュールでは行くことはできなかったのだが……。
そんな高田さん夫妻に、どこか屋久島の森で行くとすれば、と聞いた時に紹介されたのが……
そんな高田さん夫妻に、どこか屋久島の森で行くとすれば、と聞いた時に紹介されたのが、ここ「ヤクスギランド」だった。その名前から人工的なイメージを受け、何か整備された観光地でも勧められたのかと思い、正直、期待はしていなかった。しかし日本の他のどんな森とも似ていない屋久島の圧倒的な緑の世界を、僕はここで初めて体験することになる。
雨はまだしとしとと降り続けていたが、先ほどのスコールとは違い、レインウェアを着れば歩けないほどではない。初日にホームセンターで買った地下足袋を履き、準備は万全だ。
標高1230メートルの車道のすぐ脇に紀元杉があった。おそらく屋久島中で一番容易にアクセスできる屋久杉だ。僕はいきなり圧倒され、息をのんだ。樹齢は3000年を超えているらしく、縄文杉や大王杉などと合わせて屋久島6神木と呼ばれるうちの1本。
その姿は異形という他ない。何本もの木が合体してできたように、筋状の瘤が縦に走っている。杉と言われなければ、何か違う樹木と思ってしまうくらいだ。幹は白く鈍い光を放ち、老木なので上部は白骨化している。その巨大な幹は苔むしていて、樹皮に着生した植物の根が上から多数伸び、まるで大地そのものが垂直に立ち上がったかのよう。
今でこそ道路がついているが、3000年もの気の遠くなるような長い時間を、屋久島の深い山中で人知れず立ち続けてきた姿は神秘的で、「出会ってしまった」という表現がしっくりくる。雨で表面が濡れている雰囲気も手伝って、まるで意志を持つ存在であるかのような生々しい生命力を感じさせる。「聖老人」という詩人のネーミングセンスは一流だと思う。まさに森の長老、まるで王者のような風格だ。
屋久島では、樹齢1000年以下の杉を屋久杉とは呼ばない。また標高500メートル以下の地域に、屋久杉は存在しない。そして今残っている屋久杉も、材木として不適格だったりあまりに奥地にあったりしたために、伐採を免れたものばかりだ。過去の屋久島の森を歩けば、至るところに巨木が林立していたのだろう。
2017年にはNHKの調査隊が、人のいまだに入れなかった険しい場所で、縄文杉に次ぐ大きさの巨樹・天空杉を発見している。東西約28キロのほぼ円形の屋久島は、外周以外はすべて山岳地帯。標高1936メートルの宮之浦岳を中心とした山塊は、人の侵入を拒む神の領域だった。
ネットの普及などにより世界は情報化時代になり、地球の裏側で起こっていることもリアルタイムで知ることができるようになった。こうなると地球上のあらゆる物事が解明され、もう新たな発見など深海か宇宙くらいにしかないのではないか? という気持ちになる。しかし現代においても、こういった世紀の大発見があるところに、この島の圧倒的な奥深さを感じずにはいられない。NHKは天空杉の場所を公開しないことを決めたというが、その判断を僕は支持したい。
紀元杉は、縄文杉などと違い幹に触れられるほど遊歩道で近づくことができる。しかし触られ続けた場所は他の白光りした樹皮とは違い、赤く傷んでまるで瘡蓋(かさぶた)のよう。この杉もまた、人に何かを与え続けてきたのだろう。僕はついにそこに触れることができなかった。その代わりに少しでもその神々しさに迫ることができれば、と祈るようにシャッターを切った。雨でカメラが濡れてもお構いなし、こういう時に Canon の防塵防滴のボディーとレンズは本当に心強い。
気が済むまで撮影して車に戻ると、なんとアサノさんが上半身裸になって、車道脇に流れている雨でできた小さな滝に頭を突っ込み出した。
「わ! 何やってるんですか?」
「冷たい! でも気持ちいい! これがやりたかったんだよね〜」
白川山の川で泳げなかったストレスをここで発散し、アサノさんは大満足の様子だった。僕はその時は風邪をひくのも嫌なので遠慮させていただいたが、旅を終えた今考えると、あの時水浴びしておけばよかったとも思う。屋久島山上の清浄なる水を体験する、唯一無二の機会だったのかもしれない……いや、やっぱり寒かったしやらなかったかな。
アサノさんは「雨具がないから、ここで待っとくね」と満足気にビジターセンターへと行ってしまった。そりゃあれだけ水浴びしたら十分だろう。僕は「ヤクスギランド」の仏陀杉コースを歩いてみることにした。まるで「ジュラシック・パーク」のような物々しい入り口で料金を払い、一人中へと進む。
先ほどは紀元杉に注意をとられ全体を見る余裕がなかったが……
先ほどは紀元杉に注意をとられ全体を見る余裕がなかったが、きちんと整備されたトレッキングコースをたどると、周囲の独特の環境をゆっくり観察しながら歩くことができた。寿命が来て倒れた杉や、伐採された切株の周囲はそこだけ光が差し込み、日当たりを好む植物の格好の成長場所となる。命を終えた樹を栄養分にし、森が世代交代する様子は「倒木更新」や「切株更新」と呼ばれるそうだ。死と再生。すべては人間の物差しを超えた時間軸と、輪廻のような円環の中に存在する。
実際コースを歩きながら森を見ていると、地面には倒れた木が折り重なり、苔むしたそれらの上に新しい世代の樹が育ちつつあった。新しい世代といっても植物の話なので、当然百年単位の時間感覚だろう。豊臣秀吉の時代から昭和まで、徹底的に伐採され続けた辺境の島の森。かろうじて保護が間に合い、奇跡のように残された原生林を歩くことのできる不思議。
屋久島の森はディテールを見れば見るほど飽きない。倒木の表面はびっしりと苔や着生植物で覆われ、その一つひとつに雨粒が光っている。間近で写真を撮っていると、次々と雫が弾け飛ぶ。月並みな表現だが、本当に『もののけ姫』のワンシーンそのままだ。
地面は濡れて注意が必用だったが、ここで沢歩き用の地下足袋が絶大な力を発揮した。底面にフェルト生地が貼られており、濡れれば濡れるほどグリップ力が増すという代物。トレッキングシューズなどと違って靴底が柔らかいため地面の凹凸を感じ取ることができ、歩いているだけで大地との一体感を思う存分に味わうことができる。
仏陀杉を巡るルートを歩き切り、僕は身も心も屋久島の深い森に浸り切り、大満足で戻ってきた。アサノさんと落ち合い、そのまま山を降りて島を一周することに。明日の午後一の便で鹿児島へ向けて出港するため、実質この日が旅の最終日なのだ。駆け足でもできるだけ多く屋久島の景色を見ておきたい。
僕たちは車でアクセス可能な千尋(せんびろ)の滝や大川(おおこ)の滝などを見て回った。千尋の滝は巨大な花崗岩の一枚岩が有名で、そのすぐ横を雨で増水した滝が豪快に滑り落ちてゆく。その勢いは滝壺に落ちた水しぶきが、滝自体の高さよりも高く上がるほど。やがて降り続いていた雨も止み、一気に真夏の青空に。濡れたアスファルトに空が映って、地面までもが真っ青に光り輝く。まるで朝日を迎えたかのような清々しさ。九州一の落差を誇る大川の滝も、すぐ近くまで車で行けるため人が多く、家族連れやカップルでにぎわっていた。しかし水量がものすごく、滝壺からの風圧でとても近づけたものではない。
実は屋久島の電力はほぼ100パーセント水力発電、そして全国で唯一の発送電分離が実現している地域でもある。数日滞在しただけでも感じる島の雨の多さは、それを納得させるに十分だった。かつて僻地故に九州電力の開発から取り残された島は、現代のエネルギー問題においてはトップランナーになっているのだ。
その後、屋久島で手付かずの自然が残っている西部林道へ
その後、屋久島で手付かずの自然が残っている西部林道へ。ここは島の外周で唯一海岸線まで世界遺産エリアに入っている場所。断崖絶壁の上に、対向車とすれ違うのがやっとの細い道が延々と続いてゆく。しばらく行くと、林道に横たわっている子どものような影が。
「猿だ!」
アサノさんが叫んだ。ヤクザルは車を怖がる様子もなく、平然と道の真ん中で毛繕いをしている。西部林道はかれらのテリトリーなのだ。すれすれのところで猿を避けながら、スピードを落として慎重に進んでゆく。そのうち群れでも現れるようになり、すっかりサファリパーク状態。ここでは人間のほうがマイノリティーで、向こうのほうが態度が大きい。ボス猿がこちらをジロリと睨んでくる。
時折森が途切れ、左の窓から見える景色は壮快そのものだ。海岸線ぎりぎりまで森が続く断崖の向こう、深い青の海の上に口永良部島が浮かんでいる。西日が逆光となって島のシルエットを立体的に浮かび上がらせていた。
枝々のあいだから後光のような光が降り注ぐ中、ついにヤクシカも現れた。車の横を通り過ぎるやいなや、道の向こうに跳ねて逃げていく。神の使いのような獣との出会いに、僕は興奮気味に話す。
「アサノさんよかったですね! ヤクザルもヤクシカも見られて」
「いやまったく。ここまで来るとヤクイヌも見たいね」
車中でそんなことを話していたのだが、驚いたことに直後にそれが現実になった。島を一周して三省さんが通った一湊の港町を歩いている時、犬を散歩しているおじさんが向こうからやってきたのだ。赤毛の犬は野生的な表情をしていて、尻尾は柴犬のように丸まり、胴体や足は細く、耳は長く尖っている。
「もしかしてヤクイヌですか?」
飼い主に尋ねると、当たり前のように「そうだ」とのこと。よい旅ではしばしばこういう出会いが起こるので、僕はうれしくなってしまった。最初はなかなか慣れなかった湿気をたっぷりと含んだ亜熱帯的な空気までも、今では愛しいと感じるくらいだ。
僕たちは港で、東シナ海に沈む一日の最後の光が消えるまでを見届けた
その後、僕たちは港で、東シナ海に沈む一日の最後の光が消えるまでを見届けた。風景のすべてが黄金色に染まる中、三省さんもきっとこの夕日を数えきれないほど見たのだろうと思うと、言葉にできない気持ちが胸にこみ上げてくる。日没直後は、昼とも夜とも言えないあわいの世界が現れ、宇宙との一体感を一番感じられる時間だと思う。名残惜しく水平線を眺めていると、積乱雲がみるみるうちに巨大な翼のような形に。短い旅の終わりが近づいていた。
僕たちはふたたび白い軽自動車に乗り込み、東の山の頂から迫る屋久島の夜を切り裂き、白川山への帰路についた。
*本連載をまとめた宮脇慎太郎の旅行記『流れゆくもの-屋久島、ゴア』をサウダージ・ブックスより刊行しました。続編「Road to Goa」や「あとがき」は本書でお読みください。
著者プロフィール
宮脇慎太郎(みやわき・しんたろう)
写真家。瀬戸内国際芸術祭公式カメラマン、専門学校穴吹デザインカレッジ講師。1981年、香川県高松市生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、六本木スタジオなどを経て独立。大学在学時より国内外への旅を繰り返し、日本列島では聖地と呼ばれる様々な場所を巡礼。2009年、東京から高松に活動の拠点を移す。2020年、香川県文化芸術新人賞を受賞。著書に写真集『霧の子供たち』『UWAKAI』、旅行記『流れゆくもの–屋久島、ゴア』(以上、サウダージ・ブックス)ほか。https://www.shintaromiyawaki.com/