人に傷付けられて、人に癒される。。
人で溢れている街を歩いているとき、ふと、海で遭難して生還した人の話を思い出しました。飢えより苦しいのは喉の渇き、体が求めるのは、食べ物より水分です。遭難時には、周りに海という水分に囲まれています。しかし、海水を飲んでも渇きは癒すことはできない。と言ったような話。
大海のど真ん中、見渡す限り海という水分に囲まれているのです。しかしながら、海水という塩水では、喉の渇きを癒すことはできません。むしろ、高濃度の塩水を大量に飲んでしまうと、自分自身を死に追いやることにもなりかねません。
自分が一番求めている【水分】が、自分の周りに有り余るほどありながらも、喉の【渇き】を癒すことはできない。そんな時のもどかしさを感じながら、私たちの生活している環境も似ているのではないか、と思いました。
私たちは、多くの人に囲まれています。特に大都会は、どこに行っても人がいっぱいです。私たちは、人との【つながり】を通じて、笑い、癒しなどを求めています。しかし、これだけ大勢の人に囲まれながらも、本当のつながりを感じることができない。癒されない。それどころか、都会の満員電車なんかでは、体がぶつかりあったりして、感情もぶつかりあったりしている。そして、時には、人と関わるのが億劫になったり、避けたくなったりしてしまう。そんなことを、感じてしまうことはないでしょうか?
あるとき、ネイティブアメリカンの話を聞く機会がありました。今でも文明と離れて生活を営んでいる一部のネイティブアメリカン、ときおり、10数人ほどが集まって、一人ずつが自分の思っていることや、抱えている悩みなどを打ち明ける。他の人は、それを黙って聴く。アドバイスや提案などは一切ない。心の底から黙って聴くだけ。
話を聴いてもらうだけで、話している人は心が本当に癒されるそうです。私たちは、時には、人との【つながり】を避けたくなりながらも、心の底では、このような【つながり】を通じて、癒しを求めているのではないでしょうか。
ただ、インターネットに接続された、パソコンや、スマートフォンなど、代替の【つながり】で、自分を癒そうする。そんな気がしてなりません。
心がぶつかり合ったり、傷付けられるのは、人と【つながる】からとも言えます。人と【つながる】ことを避けていれば、ぶつかり合うことも、傷付けられることも、無くなるかもしれません。
ただ、私たちが求めている癒しを与えてくれるのは、やっぱり、人との【つながり】なのではないでしょうか。人とつながることで、時には、人に傷付けられることもある。ただ、その傷を本当に癒してくれるのも、やっぱり、人なのではないでしょうか。
時には、自分にとって、しょっぱい人と付き合わなければならないときもあるでしょう。ただ、その付き合いによって、自分自身が人としての味わいが深まってくるのかもしれません。癒しを与えられる人として。。
人の間で生きている。だからこそ、私たちは【人間】なのでしょう。