毒親育ちの私が、自分を取り戻すまで
こんにちは。薩美結愛です。
シリーズ毒親も今回で2作目となりますが、今回はわたくしの幼少期にスポットを当てて、お話していきます。
幼少期のあの頃…
幼い頃の記憶は、灰色の空のようにぼんやりしている。
家の中はいつも冷たい空気が漂い、私は目立たないように息をひそめていました。
母は感情の起伏が激しく、少しのミスで怒鳴られたり、無視されたりすることが日常でした。
父は仕事で家を空けがちで、家庭のことにほぼ無関心でした。
私は「毒親」と呼ばれる親のもとで育った子どもだった。
ネグレクトの中で育つ心
母は、私がどんな気持ちでいるかには興味を示しませんでした…。
学校から帰っても、温かい言葉どころか、家にいることすら気づいてもらえない日もありました。
「愛されたい」と願う気持ちはいつしか「嫌われたくない」という恐れに変わり、私は親の顔色をうかがうのがクセになっていた。
思春期に入ると、母はアルコール依存症になり、酒臭い空気と、重苦しい空気が家庭を支配していきました…。
私にはたったひとりだけいる妹と比較され、私は母の言う通りに動くことでしか、自分の価値を感じられなくなっていきました。
そして、その価値は母の気分次第でいつでも消えてしまうような不安定なものでした。
「普通の家庭」がわからない
大人になり、家を出た今も完全に解放されてはいません。
仕事場での人間関係や恋愛において、私は自分を信じることができずにいます。
「私はきっと嫌われる」「頑張らないと価値がない」といった考えが離れず、何かを失敗するたびに心の奥底で母の怒鳴り声が響くような気がしたからです。
特に辛かったのは、普通の家庭で育った友人たちとの会話です。
「家族と旅行に行った話」
「お母さんの優しいアドバイス」
彼女たちが当たり前に語るエピソードに、私は共感できませんでした。
むしろ、嫉妬と孤独感が胸を締め付けまくりました。
自分の家庭の異常さを隠すため、無理に笑顔を作る日々でした…。
自己肯定感との闘い
自己肯定感は、ゼロに等しいです。
「私は何をしても愛されない」「人に迷惑をかけるだけの存在だ」と思い込んでいました。
そんな思いを抱えたまま日々を過ごす中で、心と体が限界を迎えたのは30代になった頃でした。
精神面を壊す決定的なことが起こり、私は精神科にかかりました。
診断結果は、解離性障害と抑うつの悪化でした。
治療を通して、私は自分の心に深く刻まれた傷と向き合うことになり、それは今でも続いています。
それからさまざまな人と出会い、自分の中で気づきが生まれ、今の自分が完成してしまったのは、「自分のせいではない」と確信したときは、安堵と共に、憎しみ、苦しみ、悲しみが重なって溢れ出ました。
そして、「自分をこんなふうにしたのは親なんだから、親に復讐する!」という気持ちがじわじわと湧き上がったのです。
「私」を取り戻すために
心の傷は簡単には癒える事はありません。
それでも、私は少しずつ自分を見つめ直すことを覚えました。
自分が好きなこと、自分が大切にしたいものを少しずつ探す旅のはじまりでもありました。
昔は親の目を気にして避けていた趣味に挑戦し、小さな成功体験を重ねることで、少しずつ自分を認められるようになりました。
親を許す必要はない、と私は思っています。
むしろ、「親を許さなければならない」というプレッシャーから解放されたことで、自分の心の自由を感じられるようになりました。
親が作り上げた「私」ではなく、自分自身が選んだ「私」として生きること。
それが、今の私の目標です。
同じような苦しみを抱える人へ
毒親に育てられたことは、簡単に消せる過去ではありません。
それでも、過去を理由に自分を否定し続ける必要はないと思います。
苦しみの中にいるあなたも、自分自身を取り戻すための第一歩を踏み出してほしいです。
そして、自分を大切にすることを恐れないでほしいと思います。