2022.3.3 日記 夢
私は小さい頃、夢が無かった。
ケーキ屋さんになりたいとか、お花屋さんになりたいとか。卒園アルバムの最後のページに書くような平凡で平和で可愛らしい夢が無かった。
だから将来の夢の欄は先生が言った職業を書いた。
専ら、幼稚園生のわたしには職業なんて少ししか知らないし、それで大人たちが満足するならなんでもいいと思った。
幼稚園を卒園してからも相変わらず夢はないままで、身を任せたまま流れる時間を泳ぐように生きていた。
小学生になって「将来は何になりたいの?」と聞かれることが多くなった。将来の夢を発表する授業があったり、道行く人に夢を聞かれたり。
その度に考えるんだけど、やっぱり無かった。
「ない!」って元気よく答えて、将来の夢を発表する授業ではクラスメイトが5分程の作文を読む中、「夢はこれから考えていきます」って一行だけの作文を発表して怒られたりした。
どうしても夢が見つけられなかった。夢はないといけないという風潮が嫌だったし、夢を職業にしないといけないという固定観念もなんか嫌だった。
自由に生きたかった。何にも縛られずに、自由に。
多分、私は根本的に社会に適さない人間なんだと思う。
社会不適合者。はみ出し者。
もしも私に投資という選択肢がなかったら、今頃どこかで野垂れ死んでいるか、生活保護を申請して鳥籠の中の自由を謳歌してただろう。
人は基本的に怠惰だ。でもそれの5倍私は怠惰だ。
怠けたい。楽したい。そういう考えが常に頭の中で浮遊していて、それは楽をするための努力へと昇華された。
睡眠時間を削って、勉強して、何をすべきかだけを考え、実行した。結局、楽をしたいという感情とは裏腹に、結構頑張った。
私の「なにかをする」原動力は「なにもしない」ことにある。何もしないことをするために、何かをやる。究極の怠惰。だからプログラミングを学んで、自動売買ソフトを作ったのも、何もしないを実現するため。
誰かが言っていた。「努力はうんちだ。毎日するものだけど人に見せるものではない」
その言葉が全くその通りかどうかは分からないけど、少なくとも毎日するものというのには共感する。
夢がない人でも、したいことやしたくないことはあると思う。そのためになにかしらアクションを起こしたら、したいことができたり、したくないことを避けられるようになる。私はそれを自らの経験で学んだ。
それを夢と呼んでもいい。夢は職業じゃなくても、到底叶えられそうにないものでも、言葉にできないようなふわっとしたものでも、なんでもいい。
大事なのは夢の内容じゃなくて、夢を叶えるためにはどうすればいいかを考えることだと思う。
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