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十月は黄昏の銀河帝国 ⑰
2.ユーナス・ザニ紛争
ヴィンヌジャール卿のむくんだ手が、傍らに立つ美少年に合図した。
少年が手元に現れたホログラム・インターフェースを操作すると、部屋の照明が落ち、立体プロジェクターが中空に一つの惑星の像を結んだ。
黄白色の大陸と青い大洋が複雑に入り組んだ特徴ある地形は、見間違えようがない。
惑星〈千のナイフ〉。
その姿が与える印象は、見る者によって様々だ。
ある者は郷愁を。ある者は虚無感を。また、ある者はその星の背負ってきた五千年に及ぶ血と炎の歴史に恐怖と憐憫を覚えるだろう。
そして、その同じ歴史の上に欲望をたぎらせる者もいる。
ネープ一四一は、目の前の三人が最後の群れに属する者であることを疑わなかった。
そして彼自身は、全く何の感情も持たなかった。
「この惑星の現状についての説明は省いてもよろしいですな?」
ヴィンヌジャールの問いかけに、ネープは軽く頷いた。
現状、すなわち〈千のナイフ〉の自治領有権を巡る「ユーナス・ザニ紛争」が戦火を拡大していることは周知の事実だった。
この戦いは、陸棲のヒト型人類ユーナスの民と、半水棲のヒト型人類ザニ・ガンの間で五千年の長きに渡って続いている。
どちらの種族も、帝国と〈銀河帝国法典〉によって支配される以前からこの惑星を母星として領有権を主張しており、銀河に広く進出して他種族の後援を得ながら勢力を保持していた。単なる一つの惑星の領有権争いならば、そこまで周辺を巻き込んでの戦いになる道理はない。
問題は〈千のナイフ〉に二つの星百合が存在することだった。
一つは惑星近くの軌道上に。もう一つは、惑星上の海の底に。
〈法典〉は、星百合とそのスターゲートの管理権は、直近の惑星の領有権に付随するものとしている。
だが領有権の帰属がはっきりしない〈千のナイフ〉では、帝国が暫定的に軌道上の星百合を管理していた。
一方、海底に眠る〈海の星百合〉は、完全な休眠状態でスターゲートを開く能力を発揮していない。
ところが、帝国による調査の結果、この海の星百合が覚醒した場合、通常のそれに数倍する超空間路を開く潜在力の存在が明らかになったのだ。
多数の星間航路を制する者は、それに応じて莫大な権益を得る。〈千のナイフ〉の領有権は、帝国の発展に従ってその価値を肥大化させていった。
それに伴い、ユーナシアン、ザニ・ガンそれぞれを支持する勢力は、時の銀河皇帝にも深く利権の根を食い込ませ、どちらに肩入れすることも、和平の仲立ちをすることも、完全に帝国の領有とすることも許さなかったのだ。
五千年間膠着状態だったユーナス・ザニ紛争は、数年前のザニ・ガン軍による「ハン・コーストの虐殺」をきっかけにかつてなく激化し、周辺のくさり座星域にも広がりを見せていた。ユーナシアン側の大規模な反転攻勢は必定であり、主戦場である〈千のナイフ〉における環境の荒廃や市民の犠牲も、さらに深刻化することが避けられないと思われていた。
「くさり座星域の情勢は、帝国社会一般で考えられているよりも、はるかに風雲急を告げています。〈千のナイフ〉で起こったハン・コーストの虐殺はザニ・ガン強硬派の暴走によるものでしたが、我々はそれにも増して紛争の炎上につながるであろう一つの事実をつかんでいるのです」
ヴィンヌジャールの説明が始まると映像がクローズアップされ、惑星赤道直下の大洋に沈む〈海の星百合〉の姿を大映しにした。
「当初、巨大な潜在力を持つとされ、覚醒も時間の問題かと言われていたこの〈海の星百合〉が……実はすでに死んでいることがわかったのです」
それはネープの長にも初耳だった。
証拠は? という質問を先取りして映像が切り替わり、〈海の星百合〉についての最新の学術調査結果の立体資料が現れた。
それは、帝国の最高学府に属する高名な研究者による詳細なものだった。
ネープの目はそれを真正のものであると判断した。であれば、そのデータは広く発表されて然るべきものだが……
「〈海の星百合〉はごく最近突然、覚醒の可能性を失った。この事実は決して外部には出ません。今、この部屋にいる者たちとごくわずかな関係者のみが共有しています」
なるほど……消したな?
この調査の主である研究者は、恐らく行方知れずとなっているに違いない。
「もし、この情報が広く知られるようなことになれば、〈千のナイフ〉を巡る紛争は混迷を極めるでしょう。それは何としても避けなければならない」
「混迷を極める」という言葉の意味は、大きく深い。
〈海の星百合〉が開くはずだった星間航路に皮算用を当て込んでいた勢力が一斉に手を引き、紛争はその意味を一気に縮小させ、単なる一惑星の領土争いに堕す。その陰では、航路の利権を巡る全ての先物取引や密約が空手形となって価値を失い、破滅する者たちが続出する。
消滅する上級公家も十や二十ではすまないだろう。
わからないのはヴィンヌジャールが口にした「炎上につながる」という言葉の意味だ。
ネープ一四一は言った。
「事実は隠蔽された。それに伴い、混迷は避けられる。その上でこの状況が紛争のさらなる炎上につながる……とは?」
古参の元老院議員である公家の主は、顎を引いて完全人間の視線を正面から受け止めると、数段落とした声で答えた。
「炎上するのです……」
隣の公社理事が深く息を吸い、緊張をあらわにした。
ここからが、話の本題なのだ。
映像が、〈千のナイフ〉を中心としたくさり座星域一帯の星図となった。
一つの星系を示すポイントが赤く光る。
「近々ユーナス征星軍は、とある惑星で大規模なザニ・ガン星間ゲリラの掃討作戦を展開します。それは、ハン・コーストの虐殺に劣らず苛烈なものとなるでしょう。さらに……」
紛争地を表す赤い光は周辺のポイントにも広がり、星図の映像が広い範囲をカバーするサイズにズームアウトしてゆく。ついには遠く離れた西域星区の星系にまで赤い光が到達した。
そこは、ラ家の直接支配圏といってよい宇宙だ。
「紛争に関わった公家、組織の複雑な関係がこじれ、流体脳の高次元予測では数年以内に紛争がこの星域まで広がる可能性があります。帝国領の三分の一近くが内乱状態に陥り、多くの惑星で政治機能が失われ、星百合と星間航路の管理もままならなくなる事態が予測されるのです。該当宙域の星間貿易網は崩壊し、銀河帝国は半身不随となるでしょう」
可能性……予測……
曖昧な言葉で不確定な未来の話をしているように聞こえるが、ネープの長には分かっていた。
それは不確定な未来などではなく、計画の先に達成されるべき目標なのだ。ヴィンヌジャールを中心とした東南星域の公家連とその同盟は、紛争の当事者たちに裏から巧みに働きかけ、戦火の拡大を目論んでいる。
しかも、ヴィンヌジャールはそれを隠そうとしていない。
曖昧な言葉を使っているのは、あくまで言質を取られないためであり、この話自体はネープに陰謀への加担を強く誘うものだ。
お分かりですな? ……と言いたげにヴィンヌジャールは上目使いに完全人間を睨みつけた。
彼らは、とてつもなく危険な橋にネープを引き込んで渡ろうとしているのだ。
ネープ一四一は、事の危うさを全く意に介さない態度で言った。
「事態がお話の通りに進んだとして……それが、アサト一世陛下を支持される理由にどう繋がっていくのですか?」
「お話ししたように、問題は星百合と星間航路の管理です。各星系政府がその機能を失った場合、皇帝陛下のご裁可で星百合の管理権限を移管していただきたい」
「帝国直轄に?」
ここで初めて、ソバン・カンテイルが口を開いた。カクテルを手にしたままカラカラに乾いた喉から咳混じりの言葉が漏れる。
「いや、我が星間航路開拓公社に……です。恐れながら、直轄を宣せられても即位間もないアサト一世陛下には多くの星百合を管理することは難しいでしょう。我々にお任せいただければ、御心を煩わせることなく、完全に安定した星間航路の運用を持続することが出来ます。公社であれば完全に公平です。元老院も公家連も納得するでしょう」
ヴィンヌジャールが話を引き取った。
「これは、アサト陛下だからこそ出来ることです。他の……すなわち上級公家出身の皇帝であれば、すべての権利は帝国直轄となった後、己が縁故に強く結びついた者たちへと流れていくでしょう。しかしアサト陛下ならば、完全に公平な扱いが可能です」
アサトには帝国における強力な後ろ盾が無いから……
ネープの長は一瞬で、彼らの言葉を解体、翻訳し、背景と動機とその先の提案までも読み取った。
つまりこうだ。
〈海の星百合〉の覚醒によって莫大な権益を手にし、ラ家に抗し得る立場を築くつもりでいた彼らは、その死で完全に望みを断たれた。替わりとなる星百合と星間航路権益を確保しなければ、ラ家一強の時代が続き彼らは永遠にその下に従くこととなる。
そこでユーナス・ザニ紛争を拡大させ、弱体化した星系から星百合の管理権を大規模に掠め取ることにしたのだ。
アサトをそのための道具として……
「アサト陛下が、星百合の管理能力を失った星系政府から管理権を召し上げる。それを一旦、星間航路開拓公社の預かりとする。さすれば……」
ヴィンヌジャールの話は途切れた。その先は、ネープの長にも分かっているだろうと踏んでの寸止めだ。
公社は事態の沈静化に従い、管理権を裏で結託した東南星域の上級公家に再移管する。そして公家連を通じて、星百合の支配に伴う莫大な利益がアサトに分配される。さらにアサトは、銀河帝国における強力な政治的バックボーンを手にし、ラ家に帝位を脅かされる恐れもなくなる……
聞くべきことは全て聞いた。
今度は、ネープの側が立場を明確にする番だった。
一四一は言った。
「ご存知の通り、ネープの務めは〈法典〉と銀河皇帝の守護です。皇帝陛下の統治方針に口を挟むことは出来ない。不確かな事態の推移を予測しての助言もまた然りです。その上で、我々に何を期待されるのですか?」
ヴィンヌジャールの返答は、これまでの話から打って変わって明確だった。
「アサト一世陛下の御座所の位置をお知らせいただきたい。然るのち、有志の公家から連合艦隊を派遣いたします。それをネープと……ゴンドロウワでしたか……人造人間軍団の戦力と合わせれば、ラ家とそのシンパもおいそれと手は出せますまい。よしんば、襲撃があっても勝てる公算は高い。惑星〈無天函〉への道はこの上なく……」
ゆっくりと首を振るネープの姿に、ヴィンヌジャールの言葉は尻すぼみとなった。
「無意味ですな。我々は艦隊を出しません。ゴンドロウワも動きません。あなた方は手勢だけでレディ・ユリイラに刃向かうことになる。素手でメタトルーパーにケンカを売るようなものですよ」
三人は驚きに顔をこわばらせた。
ヴィンヌジャールが戸惑いを見せる。
「何故です! 皇帝をお守りするのがネープの務めだと今……」
「陛下御自らが、そう命じられたからです。〈無天函〉行きの途上において、いかなる戦闘も許さない、と」
タイ=ラン・ルージィは意外さに思わず笑みをこぼした。
「それでは……アサト陛下の安全は、夫君たるネープ公一人の肩にかかっているというわけですか」
「ネープはもう一人付いています。夫君としての務めは、ネープ本来のそれとはまた異なりますのでね」
ルージィが重ねて聞いた。
「そう、それもお聞きしたいことの一つでした。あなた方は何故、ネープと銀河皇帝の結婚をお認めになったのですか?」
ネープの長は若き貴族の問いに、単なる興味以上の意図を感じた。
「彼……ネープ三〇三当人がそれを承諾したからです。歴史上、銀河皇帝に婚姻を望まれたネープは何人かいました。しかし、その全てがネープとしての任に徹するため断っています。だから、これまで前例が無かった。〈法典〉にもそれを禁ずる法はありません。三〇三は皇帝の求婚を受け入れた最初のネープです」
ネープ一四一はこともなげに、帝国史上初の一大事の裏を明かした。
ルージィは言った。
「なるほど、面白い……アサト陛下が審判を無事切り抜けた暁には、是非とも一度お目通りを願いたいですな」
その審判を課した張本人が?
一四一はルージィの不敵な笑みに、そんなことを問題としない自信を感じた。
ヒト型人類の女性であれば、大いに魅かれるであろうその笑顔に……
そういうことか……
ルージィの真の役割。それは全てが彼らの思い通りに進んだ後、アサトの心を掴むことだ。財も権力も持ち合わせたこの美丈夫が、夫の頭越しにどこまでやれるか……
こればかりは、ネープの長にも予測が付かなかった。結局は彼らの銀河皇帝も一人の少女なのだ……
一四一はミラーグラスをかけると、立ち上がった。
「お話の向きはよくわかりました。しかし、すべては陛下が原典管理師審判を切り抜けた後のことですな。その上でなら、改めて皆様の忠節の志をお伝えするにやぶさかではありません」
ヴィンヌジャール卿が腰を浮かして、すがるように呼びかけた。
「どうか、よろしくお伝えください。〈無天函〉への途上でお役に立てることがあれば、何なりと……」
貴賓ラウンジから出て行きしな、深緑のドレスを着た女は振り返って言った。
「それから……バンシャザムを送り狼につける必要はありませんよ。〈千のナイフ〉の秘密は忘れますので」
つづく