
十月は黄昏の銀河帝国 ⑱
3.無血昇龍
都市惑星〈刻の市〉を構成する球状都市群は、ヴィラスチールとメタグラスで造られた巨大なパイプによって接続されている。
パイプの中には人間が生身で通れる無重力路から、大規模輸送用のリパルシング・レールウェイまで様々な交通機関が通っていた。
そのうちの一つ。
無重力走路を走る小型の乗用コミューターで、 ミラーグラスの女……ネープ一四一は、惑星本体にあたる最下層の区画へ向かっていた。
〈刻の市〉の惑星本体は直径百二十キロメートルの岩塊であり、金属核とシリケート鉱物のマントルを持つ。表面は不規則な形状をしており、大小のクレーターが点在している。
重力は人工的に重力導線が設けられている一部地域以外、百分の一Gほどしかなく、外部の球状都市に与える影響もほとんどない。そして、球状都市を支えるパイプの基礎部分に資源採掘基地を兼ねたドーム都市がいくつか建造されている。
ネープ一四一が向かっているのは、その中でもそれほど大きくない、補充資材用鉱石の精錬プラントがあるドームだった。
秘密会合の場を辞した ネープ一四一には、もう一つ約束があった。
目的としては、そちらの方が重要と言えたが、先の会合に参加したことで状況が一層クリアに見えてきたことは否定できなかった。
天然の惑星表面の重力敷設地域に降り立った ネープ一四一は、精錬プラントの騒音と複雑な構造物の奥へと歩を進めていった。
ここから先は、どこへ向かえばいいか彼自身にも分かっていない。自分を呼んだ者がその場所へと誘導し、いつの間にかそこにいる……ということになるはずだ。
だが、ネープの長はその前に一波乱あるだろうことをはっきり感じていた。
自分は監視されている。
後をつけられている。
送り狼をつけるなとは言ったが、彼らがバンシャザムにそこまで強く念を押せるかは微妙だった。レディ・ユリイラならまだしも。
あたりは次第に暗さを増し、どこまでが街路でどこからがプラントかも定かでない。時折、労働者と思しき人影や、何かの生物機械がうごめいていたり、あたりに浮遊したりしている。
そんな場には相応しくない深緑のドレスの女は、人気のない路地に足を踏み入れた。
ほどなく、路地の出口に屈強な巨漢の影が立ち塞がった。
「ネープ……」
男が低い声で呼びかけた。それだけで、挑戦の意志ははっきり伝わり、路地は逃れようのない闘技場と化した。
得物は何だ。プラズマソードか、ショックスピアーか……
どちらでもなかった。
男はその幅広の肩から亡きヤーザム家の制式軍用コートを落とし、刺青に埋め尽くされた逞しい上半身を露わにした。
そのまま、岩のような拳を握り締めてゆっくりと近づいてくる。
素手の勝負……
ネープ一四一は女の姿のまま、その場を動かなかった。
完全人間に格闘を挑むのは、大木を切って倒れる木の真下に立つのと同じことだった。全てのネープは、あらゆる素手による攻撃や技を受け流した後で、それをそのまま瞬時に相手に返す反射拳を身に付けている。
なので、ネープは決して先手を取らない。
それを知っている半裸のバンシャザムは、人間離れした素早さで間を詰め、パイルバンカーのような突きを放って来た。
「!」
すかさずネープは同じ威力の突きを相手に返……そうとしたがそうせずに大きく後ろへ下がった。
今の攻撃はただの突きではなかった。
放ってからヒットするまでの間に明らかな時間の跳躍があったのだ。
普通なら絶対、ネープの体に触れることなど出来ないはずだ。が、一四一の腹にはわずかに打撃の掠めた感触が残っていた。ヒットの寸前、おかしな気配を察知して反撃を中止し受け身をとっていなければ、普通にダメージを喰らっていただろう。
相手はただのバンシャザムではない。
必殺の一撃をかわされた刺青の戦士は眉間に皺を寄せると、舞うように両手を回して次の攻撃への体勢をとった。
蹴りが来る……
一四一の予測通り、フェイントの直後、丸太のような足が右から顔目掛けて襲いかかった来た。
が、 ネープがギリギリのところで避けたのは左からの回し蹴りだった。
つま先の触れたこめかみの皮膚がわずかに傷を負って血をにじませる。
敵は明らかに、時間の流れに干渉している。
攻撃の瞬間、ほんのわずかな間だが、こちらとは違う時間軸を通ることで致命的な隙を突くことが出来るのだ。
完全人間の反射神経は、その見えない攻撃の方向を瞬時に予測し、紙一重のところで直撃を避けていたが、これもいつまで持つかわからなかった。
何より、こちらからの攻撃が最大のリスクとなり、手が出せないのが問題だった。
敵の間合へ入った瞬間に時間を歪められたら、防御の間を与えられずクリティカル・ヒットを喰らう恐れがあるからだ。
ついに予測し切れなかったエルボーの一撃が、一四一の頬をとらえた。
意識系偽装が一瞬途切れ、真の姿を晒したネープに刺青の男がニヤリと笑う。
切れた口内から血を吐き出し、一四一は決断した。
こうなったらカウンターを狙うしかない。敵の攻撃を正面から受け、時間の共有が切れる前に間断なく反撃を繰り出すのだ。
だが、相手の意識を奪うまでに至らなければ、次は自分が致命傷を負うことになる……
一か八か。
ネープの長は、踏み込んできた敵の突きが狙う位置を予測した。
腹へ来い。
その狙い通り、並の人間なら確実に沈むであろう、強烈な一撃が一四一の腹に決まった。
だが完全人間の鋼の腹筋はそれに耐え、牽制の目潰しを放つ間を作った。
バンシャザムが吠えた。
すかさず、大男の頭部へ ネープのラッシュが襲いかかる。
正確に急所を狙う攻撃に男の巨体が揺らぎかけたが、一四一の狙いが次第にずれ始めた。
敵が闇雲に時間を歪め、防御を図ったのだ。
一旦、間合いを取った一四一は、片膝をついて荒い息をする男のかろうじて残った片目から、憎悪の視線が向けられるのを見た。
再度、カウンターのチャンスに賭けるしかないが、次はそう簡単にはいかないだろう。
しかし、ここで決着をつけなければ後はない……
刺青の男は裂帛の気合と共に立ち上がり、闘気をむき出しにして両手を広げた。
その時……
あたりの様相が一変した。
二人の闘士は青空の下、果てしなく広がる草原に立っていた。
草花が風にそよぎ、彼方には雪をいただく山脈がのぞまれる。
一対一の命のやり取りにはあまりに不似合いなその光景に、刺青の男は一瞬戸惑いを見せた。だが、 ネープ一四一にはそれがどこか、何故そこにいるかがわかっていた。
彼は、本来の目的地に着いたのだ。
敵の巨体の向こうに見える黒い影がその証左だった。
そして、この空間ならば何人といえども、時空に干渉することは出来ないこともわかっていた。
終わらせる時だ。
ネープ一四一は完全に偽装を解き、上着を足元に落とすと相手の攻撃を待たず、自ら攻めに打って出た。
一瞬で敵の懐深く踏み込み、鋭い手刀を真下から首元に叩き込む。
北部銀河古武術の念波拳技〈無血昇龍〉。
バンシャザムの拳士は手刀の指先が放った衝撃波を受け、一瞬で首を通る全ての動脈、神経と気道を破壊され、ゆっくりと倒れていった。
ネープの方も大きく深呼吸し、疲労と消耗を露わにした。
完全人間とはいえ、念波拳技に必要な集中と緊張は大きな負担だった。それでも拳にのせることのできる念波の発露はほんの一瞬に限られるのだ。
血の滲んだ白いシャツの上に上着を羽織り、ネープの長は黒い影の方へ歩き出した。
「一四一、いらっしゃい。お茶が入っていますよ」
黒く巨大な石のソファに身を沈めた少女が声をかけてきた。
傍らにはいつの間にか小さな丸テーブルが現れ、ブロンズ色の肌をした一人の女が茶をたてている。
〈それ以外の者〉サーレオとトワは、今しがたの激闘など見てもいなかった様子でネープを茶席に迎えた。
つづく