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大丈夫と伝える思い
先日、大阪公立大の松田先生の話を聞きに行った。先生はセルフヘルプの研究者で「後継者問題」と「比較」が課題だと。
特に「比較」の話が自助会で見かける景色をうまく表している。
同じ悩みを抱えていても
「あなたは私よりマシだから、本当の気持ちがわからない」
「私はあの人よりマシだから、そんな人とは付き合ってられない」
そんな「比較」がベースにあり、表面的な話は合わせても、分かち合う気がない場面をよく見かける
そこで、グループを細分化して、より似た状況の人たちで集まったり、状況は違うけど相手に思いを寄せることが方法であると。
この「思いを寄せる」って、安心に通じる。生きづらさの詳細はわからないけど、相手が分かってくれようとしている行動を見て、分かってほしい気持ちが満たされている。もしかすると自助会に行く人のニーズはこれなんじゃないかと思う。
思いを寄せることは難しい。
頭が良いだけではダメで、普段から関心を寄せているスタンスがない人は妙なオーラを出しているのか、ひどく相手を構えさせているように見えることも多い。
そして、息を吸うように共感して人を癒せる人は、誰にでも決まって優しい気がする
先日、言語化が得意な人と話した。最近見たnoteの記事で良かったものを伝えてくれた。そこには僕自身が時々使っている言葉であったり、ニュアンスが含まれていたような気がした。
頭良くて優しい人との対話は、寒い日の太陽のごとく元気をくれる。
著者のまどろみさんの飾らない人柄が見える
この人も間違いなく、頭良くて優しい人なんだろうと思う
文章の隙間から透けて見える
https://note.com/mado_98/n/na10766f76b63
記事の中でも書かれていた、Official髭男dismの Laughter を聞くと
ちゃんと頑張っているのに、もう十分なのに自信が持てない人に向けたメッセージに聞こえて仕方ない。それはもちろん僕も もしかしたらまどろみさんも曲を作った藤原さんも自分に言ってほしいことを誰かに言っているのかもしれない
識字率という言葉があることを最近知った。文章や文字を読める人の確率らしい。日本はものすごく高い。多分100%に近い水準だろうと思う。
一方でこの記事に書かれた行間の思いや本質的な事を理解するという狭義の意味での識字率は20%くらいなのかもしれない。
僕自身はおそらく本質的な識字率がない方に入るが、明らかに僕にわかる言葉でタイミングで咀嚼して話してくれる人が日常にいる。
こういった環境があることが僕自身の幸せに割と直結している気がする。
ありがとう。
あなたたちのおかげで、僕はなんとかやれている気がしてならないのだ。