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「海のはじまり」~出会いと記憶
「海のはじまりはどこから?」
海岸を歩く海ちゃんが水季にそう尋ねるところから始まったドラマ「海のはじまり」。
現在を静かに切り取っていく脚本家・生方美久の傑作ではないかと思います。もちろん「Silent」も「いちばん好きな花」も良かった。そんな中「海のはじまり」は、生方さんの考え方そのものがドスンとぶつかってくるような作品だと感じた。
僕は評論家ではないので、伏線がどうのとか、どのカットがどうだとか、そういうことはあまり言いたくないので、僕自身がこのドラマをどう受け止めたのかを綴っていこうと思う。
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思いもよらないやりとりがズシンときたりキュンとなったり。大学の講義中に水季が夏に鳩サブレをあげて二人でコソコソ食べてたところは何でもないシーンなのにもかかわらず、嬉しい気持ちで涙が流れた。
そうなんだ。何でもないようなシーンの積み重ねで、夏の、水季の、弥生の、津野の、そして水季の母・朱音の気持ちが伝わる。ちょっと台本を読んでみたいくらいだ。一読しただけではどのシーンにどんな想いが埋まっているのか分からない台本なのかもしれないし、ト書きがいっぱい書いてあるのかもしれない。いずれにしても台詞だけを拾っていくだけじゃこの物語はドラマにならないはずだ。
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昔付き合ってた彼女が、自分との子どもを勝手に産んでいて、その彼女が死んでしまい、お葬式で自分に娘がいたことを知る。そのイントロダクションだけでホラーもいいところだ。
敢えて追えば、夏の彼女・弥生にはかつて堕胎をしたトラウマがあり、水季が新しく好きになった津野と付き合うことを選択しなかった、という二つの奇跡(ピース)があるから成立する話だ。また夏にしても、今を生きることを優先して、海ちゃんを引き取らずに弥生と結婚する選択をするのが一般的な考え方だ(と僕は思う)。
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そういう意味で、生方さんの脚本は夢想家のファンタジーであり、理想のかたまりだ。だけどそれだけじゃない。生方さんは信じているんだと思う。人間は誰もが慈しむ心を持っていて、良い人でいようとする。そのために自分を犠牲にしてしまう生きものであると。それは悲しい人間のプライドを尊重する生き方だと思う。
「いちばん好きな花」でも「silent」でも一貫しているのは、社会的弱者に徹底的に寄り添う姿勢が描かれているという点。それは「自分を大切にするべき」だし、「同じくらい他人を大切にするべきだ」という想いに繋がっている。
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翻って今の現実社会をみれば、自分の幸せを求めることだけで必死になっている人がどれだけたくさんいることか。老若男女問わず、貴賤を問わず、自分の幸せのためなら、他人の苦しみには目を瞑ろうと決めているのが今の社会に思えてならない。電車に老人がいようが、妊婦さんがいようが、見てみぬふりをして自分のスマホだけを見続ける若者は、現在を象徴するかのようによく見かける。
そして自分の幸せ探し競争からはみ出した人たちが、誰からも守られず、それを自分のせいだと思い、病を発症する社会。何でそうなっちゃったんだろう。
僕には受験戦争というランク付けされてきた少年少女が大人になって子供を産み、育てる中で、今の子供に伝え損ねてしまった大切なものがあったからのように思えてならない。だからといってそれが僕ら世代のせいかと言えばそうではなく、敗戦後から昭和、平成、令和と日本が選び取ってきた結果が今の若者の姿なんだと思う。
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今は制限の時代だ。社会が制限をして子供たちを安全に育つような仕組みを作ろうとしている。僕が子供の頃は制限がユルユルだった。その代わり、周りは優しくしっかりした大人たちが多かった。他人の子を叱ることに躊躇がないのは、自分が大人として叱る権利があると思えていたからだと思う。
僕らの世代は「子供と同じ目線で」と言いながら、自分が大人であるという自負を持てないまま年齢を重ねてしまったのではないだろうか。だから「叱る」と「怒る」を区別できない。そうなると確かに社会は制限をして子供を守ることになる。
話が相当脱線してしまった。
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もうひとつ「海のはじまり」では、毎回死んだはずの水季が登場する。それは誰かの思い出の中だったり、妄想だったりではあるが、水季が出なかった回は一度もない。実はそれが最終回で生方さんが一番伝えたかったことに繋がっていくと思う。
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「ママはいないの?」
「ママはいたよね?」
このドラマは水季が死んでしまったから、生きてる人を大切にしようという話ではない。死んだら終わりではない。命が尽きてしまったとしても、その人はそれぞれの人の中に生き続けている。水季の手紙の終わりにこう書いてあった。
「海のはじまりは曖昧でしかないけど、終わりはない」
水平線の果ての先の見えないところにも海は続いていく。それは人との出会いであったり、別れであったり、産まれてきた海ちゃんであったり、産まれてこなかった弥生の子であったり。そのすべての事実は、誰かに記憶が残っている限り、終わりではない。
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大切な人は遠く離れてしまっても傍にいる。自分が忘れなければ。
社会的弱者に寄り添った作品を世に出した生方美久の傑作が「海のはじまり」だと思うのは、人とは何か、別れとは何か、出会いとは何か、を日常的な言葉で綴っている物語だからだ。
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特にうわーってなったシーン
〇 水季が堕胎しようと病院に行ったときに、不意に読んだ文章を書いたの
が弥生だとわかったとき。弥生のおかげで海は生まれてきたんだって思
ったら切なくてならない。しかもそのことは最後まで当人たちは知らな
いままか・・・。
〇 弥生が夏の家族に別れたことを告げたときの玄関先でのシーン。
〇 水季と津野の「違うから」「違うのかよ」の関係性。
〇 とはいえ海ちゃんが毎回最後に夏の胸に飛び込む姿はホント泣いた。
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以上です。
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