テレビ朝日開局55周年ドラマ「終りに見た街」。昭和の大脚本家・山田太一を原作として、平成令和の気鋭脚本家・宮藤官九郎が脚本を書いた、リメイク作品。山田太一の生前にもリメイクされたとのことなので、今回は3回目の放送とのことだ。
最初は1982年。細川俊之が主役を演じている。
初放送のあらすじは以下の通り。
2回目の放送は2005年。
そして今回(2024年)
今回の主人公の名前が太一なのは、山田太一へのリスペクトかなと思うが、物語は2回目の放送を現代にアレンジした形になっているのがわかった。物語の【骨子】を見ることで、このバッドエンドで山田太一が伝えたいことを探ってみたいと思う。
〇ある家庭が家ごと現代から昭和19年にタイムスリップする。
〇昭和20年8月の終戦まで生き延びるため、とにかく戦時中の社会に順応
していくことを選択し、子供たちは戦中教育を受け、社会に溶け込みなが
ら、いずれ敗戦する日を目標にする。
〇だが、子供たちはこの戦中教育こそが「今」だと思うようになり、戦争が
愚かな行為だということが分からなくなってしまう。困惑する主人公。
〇そこに起こる歴史のなかった空襲が起こり、家族は散り散りになってしま
い、閃光が走る。
〇気絶していた主人公の右腕は爆風で飛ばされていた。やっとの想いで起き
上がり景色を見た主人公、は現代の風景が瓦礫になっているのを目の当た
りにする。近くにいた瀕死の男に「今、何年ですか?」と尋ねると、男は
「20××」と言って絶命する。そして絶望の未来で主人公も絶命する。
ここからは2024年クドカン版の感想。
肝となっているのは、子供たちが戦中教育に洗脳されていく場面にあると感じた。大人たちが「戦争は愚行だ」「昭和20年の敗戦で、この国の正義は全て変わる」と伝えても、子供たちは今の暮らし、正義、敵に勝利するための奉仕に心酔してしまう。この国民性こそが日本独自の国民性であり、太平洋戦争へ突き進んだ理由だと思った。
そして、この国の最後を主人公は見る。恐らく核兵器か近未来兵器によって東京は壊滅してしまったのだろう。何故山田太一はこの描写をしなくてはならなかったのか。バッドエンドでこの物語を終えなくてはならなかったのか。
日本の言葉がそのまま外国語になっているワードを思い出す。
「ハラキリ」「カミカゼ」「カロウシ」
上司の命令のためなら死も厭わないのが日本人の国民性だということが感じられるのは僕だけだろうか。日本文化とは、上司、上級国民の命令に従うことが美学なのだ。(言い切るのはよくないな)
山田太一は今のままではバッドエンドしかない。
子どもたちに「自分で考える力を」
社会に「風通しのいい思想を」
誰もが個人の意見を堂々と言える社会を作らなければ日本は終わる。
もっといえば「多数決」が恐ろしい未来を招くこともある。
今や日本に限定するものではないが、今一度、自分の意思が、多数決の意思で洗脳されてしまったのものではないか、チェックすべきだと、この物語は叫んでいるように感じた。