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「終りに見た街」 風化する戦争体験

 テレビ朝日開局55周年ドラマ「終りに見た街」。昭和の大脚本家・山田太一を原作として、平成令和の気鋭脚本家・宮藤官九郎が脚本を書いた、リメイク作品。山田太一の生前にもリメイクされたとのことなので、今回は3回目の放送とのことだ。
 最初は1982年。細川俊之が主役を演じている。
 初放送のあらすじは以下の通り。

 運命の悪戯から近所の一家族と共に、昭和19年の終戦間近にタイムスリップしてしまった主人公一家。一億総玉砕の風潮の中、終戦日を知る彼らはそれまでを必死にしのごうと努力する。
 近所の一家には反社会的で常に父の悩みの種の不良息子がいた。しかしタイムスリップ後、彼は別人の様に無口になり、突然失踪する。
 様々な困難を乗り越え終戦まであとわずかとなったある日、突然帰ってきた 不良息子は軍服を身につけ帝国軍へ入隊したことを告げる。彼の言動はまさにこの時代の人間そのものだった。「目を覚ませ」と諭す父を「非国民」と断じて、軍刀で切り殺そうとする息子。止めに入る主人公の家族も含めて周囲がパニック状態になったその時、突然激しい閃光が起きる。
 やがて主人公は朦朧としながらも意識を取り戻した。周りは廃墟と化し死の世界になっていたが、様子がおかしいと気付く。彼の目には終戦間近に存在しないはずのもの、そして遠方には崩壊したビル街、折れ曲がった東京タワーが見えていた。主人公は倒れていた男に必死に問いかける。「今は何年なんだ!」だが男の口は微かに動いただけだった。そして主人公は全てが死に絶えた「最後の街」を見ながら息絶えるのだった。

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2回目の放送は2005年。

 2005年9月、東京郊外に住むシステムエンジニアの清水要治は一家の大黒柱で、妻、娘、息子、愛犬と幸せな暮らしをしていた。そんな中、旧友の宮島敏夫と再会する。その2日後、妻の紀子が朝起きて外が森で近所の家がないと言い出す。要治が外を見て確かめると、妻の言葉は事実だった。驚いた要治は外に出るが、森を抜け出た先にもあるはずの街はなく、神社では出征兵士の送別会が開かれていた。不審に思った要治はそばにあった掲示板を見て驚愕する。そこに張られていたポスターには昭和19年と記されていたからだ。
 付近の住民に不審がられた要治はあわてて家に戻るが、そこへ敏夫から電話がかかって来る。釣りに出かけた敏夫親子もまた昭和19年にタイムスリップしていたのだ。
 敏夫親子は要治一家に合流し、彼らに疑惑の目を向ける軍人たちの追手をかわしながら、昭和19年の生活に順応していく。そして、未来から来た人間の義務として、当時の人々にこれから起こる東京大空襲の危険を知らせようとある計画を実行に移すが、人々は犯人だと疑われるのを恐れ、結局誰も逃げようとはしなかった。
 そして失踪した敏夫の息子の新也が突然帰宅するが、帝国軍に入隊しておりすっかり見ちがえていた。新也は敏夫、要治の考えている事はおかしいと言い、また要治の娘の信子も新也に味方する。そこへ不意に空襲警報が鳴った。要治は自分たちのいる場所は安全で攻撃されない場所だと言うが、起こらない筈の空襲を受けてしまう。
 衝撃を受け、閃光が光り、要治が目を覚ますと片腕を失っていた。そこは見渡す限りの瓦礫と焦げた無数の死体の山。さらに60年前にはあるはずが無い物を見る。それは廃墟となったビルや東京タワー、そこは2XXX年の原爆の爆心地となった死の街・東京であった。そして、要治は「終わりに見た街」で絶命する。

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そして今回(2024年)

 2024年、田宮太一はテレビ朝日で売れない脚本家として勤めながら、ドッグウェア専門店にパートで勤める妻・ひかり、思春期の娘・信子、やや反抗期の息子・稔、認知症の症状が出始めた母・清子、愛犬のレオと暮らしていた。
 ある日、テレビ朝日のプロデューサーである寺本真臣から「終戦80年記念スペシャルドラマ」の脚本を無茶ぶりされ、断り切れず引き受けることに。自宅に送られてきた戦争に関する膨大な資料に目を通しながら寝落ちしてしまった太一が、衝撃音で目を覚ますと、家族と家ごと昭和19年6月にタイムスリップしていた。
 その後、亡き父の戦友の甥である小島敏夫と、その息子・新也も共にタイムスリップしている事を知り、終戦まで生き残るために協力していくことにする。戦時中の東京でやり繰りしながら、戦争の資料と清子の記憶と日記帳を元に空襲を避けながら過ごしていたが、太一がこれを活用して3月10日の東京大空襲から住民を、空襲の被害の無かった上野公園に避難させる事を思いつく。
ひかりと敏夫の協力を得、清子を占い師として仕立て揚げ、噂話を流して街中でビラを配り、大声で言いふらし、1人でも多くの人が助かるようにと尽力していたが、子供たちは既に戦時中の暮らしに疲弊しており、日本の勝利を願うようになっていたため、太一と敏夫に反発する。
 子供たちの反発を受け喧嘩になる中、資料になかった空襲が起こり、太一と稔は避難の途中で他の家族とはぐれてしまう。避難した先で太一は憲兵の格好をしている寺本を見つけ追いかけるが、全くの別人であった。次の瞬間、太一の目の前で爆発が起こる。
 目を覚ますと太一は左腕を失っていた。そして目の前にあったのは戦火に飲まれた現在の東京と、その瓦礫の山であった。太一は、近くで丸焦げになって倒れていた男に「いま何年ですか?」と聞いたが、男は「にせん…にじゅう…」とだけ言い残し息絶えてしまった。
太一は混乱の中、家族を思いながら命を落とす。

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 今回の主人公の名前が太一なのは、山田太一へのリスペクトかなと思うが、物語は2回目の放送を現代にアレンジした形になっているのがわかった。物語の【骨子】を見ることで、このバッドエンドで山田太一が伝えたいことを探ってみたいと思う。

〇ある家庭が家ごと現代から昭和19年にタイムスリップする。
〇昭和20年8月の終戦まで生き延びるため、とにかく戦時中の社会に順応  
 していくことを選択し、子供たちは戦中教育を受け、社会に溶け込みなが 
 ら、いずれ敗戦する日を目標にする。
〇だが、子供たちはこの戦中教育こそが「今」だと思うようになり、戦争が 
 愚かな行為だということが分からなくなってしまう。困惑する主人公。
〇そこに起こる歴史のなかった空襲が起こり、家族は散り散りになってしま 
 い、閃光が走る。
〇気絶していた主人公の右腕は爆風で飛ばされていた。やっとの想いで起き 
 上がり景色を見た主人公、は現代の風景が瓦礫になっているのを目の当た
 りにする。近くにいた瀕死の男に「今、何年ですか?」と尋ねると、男は 
 「20××」と言って絶命する。そして絶望の未来で主人公も絶命する。

 ここからは2024年クドカン版の感想。
肝となっているのは、子供たちが戦中教育に洗脳されていく場面にあると感じた。大人たちが「戦争は愚行だ」「昭和20年の敗戦で、この国の正義は全て変わる」と伝えても、子供たちは今の暮らし、正義、敵に勝利するための奉仕に心酔してしまう。この国民性こそが日本独自の国民性であり、太平洋戦争へ突き進んだ理由だと思った。

そして、この国の最後を主人公は見る。恐らく核兵器か近未来兵器によって東京は壊滅してしまったのだろう。何故山田太一はこの描写をしなくてはならなかったのか。バッドエンドでこの物語を終えなくてはならなかったのか。

日本の言葉がそのまま外国語になっているワードを思い出す。
「ハラキリ」「カミカゼ」「カロウシ」
上司の命令のためなら死も厭わないのが日本人の国民性だということが感じられるのは僕だけだろうか。日本文化とは、上司、上級国民の命令に従うことが美学なのだ。(言い切るのはよくないな)

山田太一は今のままではバッドエンドしかない。
子どもたちに「自分で考える力を」
社会に「風通しのいい思想を」
誰もが個人の意見を堂々と言える社会を作らなければ日本は終わる。
もっといえば「多数決」が恐ろしい未来を招くこともある。

今や日本に限定するものではないが、今一度、自分の意思が、多数決の意思で洗脳されてしまったのものではないか、チェックすべきだと、この物語は叫んでいるように感じた。


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佐藤雀@雀組ホエールズ
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