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ライオンの隠れ家 完走感想

初回を見たとき「これはどんなドラマなんだ?」想像ができなかった。柳楽優弥が主演だというだけでいいドラマになるんだろうと思っていた。タイトルもまさかこんなに綺麗に回収していくとも思っていなかった。自閉スペクトラム症を持った弟・みっくん(坂東龍汰)と、役所勤めの兄・ひろと(柳楽優弥)の二人暮らし。そこに「ライオン」と名乗る男の子が現れて、みっくんとひろとの穏やかな暮らしが壊れていく。

正直タイトルにはまったく惹かれることがなかった。初回は穏やかな暮らしの中で、ありがちなサスペンスが挿入されたりして「このドラマはどういう風に進むんだ?」ちょっと想像をするには謎が多すぎた。雨の夜、森の中の大きな橋の上にいる母子。そこに不穏なニュースが・・・。

最終回を見終えて「やまゆり園」の事件を思い出した。重度の精神障害、知的障害を持つ人に「こころ」はあるのか。表現ができなかったり、排せつなど、日常に支障がある人は何も分からないまま生きているのか。家族に圧し掛かる負担を社会は見てみぬふりをするのか。そもそもその考え自体が無知の甘さだと罵られるべきなのか。

みっくんは重度の障害者ではない。だからこそ、心を通わせる術を持っている。いわゆる「障害者アーティスト」としての将来も見えている、いわば成功者としての一面を持っている。それを描くのは重度障害を持った親からしたら反則だとも思うだろう。

物語ではライオンの父・橘祥吾(向井理)が孤独から逃れたいあまり、妻(尾野真千子)とライオンにDVを繰り返してしまう。そのために妻と息子は命を懸けて祥吾の前から消えようとするのだが、ひろとは自分と祥吾の共通項を感じてしまう。それは「愛されている人がいないと自分は生きていけないのではないかという恐怖」だ。

ひろとはみっくんに障害があることで「自分は色んなことを諦めていた」とずっと思っていたし、それはそれで仕方がないことだと思って生きていた。だがこの物語を進めていく中でそれが違うことを知る。

「みっくんには僕がいないとダメなんだ」と思っていたが、実は「僕もみっくんがいないとダメなんだ」ということに気付く。全編を通した物語の核はここにあった。ライオンの群れ(プライド)は互助で成立している。誰かが誰かを守るために存在しているのではない。

みっくんとライオンが打ち解けていく、まっすぐにライオンはみっくんと仲良くなっていき、そこには障害の心の壁はない。ひろとはみっくんに対して思っていることをついに言う「僕はみっくんに嫉妬していることもあるし、尊敬していることもある。一緒にいてくれてありがとう」それに対してみっくんはいつものように無反応であるが、気持ちはしっかりと伝わる。

ひろとは大学に行き学び直し「いつかみっくんの画集を作りたい」という夢を持つ。事件が終焉したライオンとライオンの母は、かつての兄弟であるひろととみっくんのプライドに入る。みっくんは家族から離れグループホームでの暮らしをすることを決める。
場所は違っていっても「プライド」の一員であることは変わらない。

どんな障害があっても人間でいる限りは「こころ」が存在する。こころを伝える手段を知らない人はいる。だが健常者であってもこころを探せない人もいる。そのすれ違いが不幸を起こしてしまう。排泄の処理が上手くできない人を見ると許せない気持ちになる人はいるだろう。でも当人からしたらそれは「こころがない」のが理由ではない。そのことに気付かないといけない。綺麗ごとではない。気付くことこそがこの世界で暮らすプライドを守る手段なのだと思う。

プライドとは「自己の誇り」のことではない。誰かが誰かを認め、尊敬する形。「心の拠り所から生まれることで芽生える意識」のことなのではないかと思うようになった。このドラマを完走したことで、少しでも自分の中にプライドを育めているのかを自問自答した。優しくありたいと思った。

優しいドラマを作ってくれたスタッフ・キャストのみなさま、ありがとうございましたと頭を下げてしまうドラマでした。

このドラマで唯一問題があるとすれば、週刊誌の天音くんと、謎の男・柚留木を演じた岡山天音をときどき混同してしまうことだ。原作がないのであれば、この役名は考えたほうが良かったように思う。



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佐藤雀@すずめ組
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