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補足「ありふれた愛、ありふれた世界」

すでに台本を公開している「ありふれた愛、ありふれた世界」について、皆様に伝えておかなければならないことがありました。

この物語は僕の息子が生まれたときに感じたこと、思ったこと、起こったことをできるだけ包み隠さず書いたものです。つまり計らずしてダウン症を持つ子供を授かった僕と家族のお話です。

妻が妊娠したとき、僕たち夫婦は「もし生まれてくる子に障害があったとしてもちゃんと育てよう」と決めていました。しかしそれが現実となったときに、そんな綺麗ごとで物事を進めることはできませんでした。子供の将来に絶望し、自分の将来に絶望し、事実を受け入れられず、健常児を迎えることができた他の夫婦たちに嫉妬しました。

言っておきますが、今はとても幸せな時間を過ごしていると言い切れます。何よりも「健常者であれば幸せなわけではないし、障害者だから不幸になるわけではない」ことを知ることができました。息子の自己肯定感にはときどき辟易することもあるほどです。もちろん周囲の目が冷たく感じることもありますし、進学・就職は健常児とは比べものにならないくらい高い壁が立ちはだかったのも事実です。

ただそのすべての高い壁を乗り越えさせてくれたのは、誰あろう息子だったのです。この不誠実で不正直な社会で「障害者」というのは格好の攻撃対象だったり憐れみの対象になっていると思っていませんでしょうか。それは間違いです。障害者というのは健常者と違う生き物ではありません。同じように泣き、笑い、怒り、楽しく過ごすことを目的に生きています。

うちの子供への子育てがすべて順調だったとは思いませんし、正しい子育てをしたという自負はまったくありません。僕はあまりの責任の重さに一度は家族から逃げたことさえありました。このことは生涯妻に責められることはもう仕方ありません。

初演のときは彼は18歳でした。

彼は小学3年生くらいのとき、自分の成績が全然よくないことに苛立っていて、僕に「ボクはバカだから勉強ができないんだ!」と言ってきたのです。そのときにはじめて僕は彼がダウン症であることを話しました。
「君には二つの選択肢がある。ひとつは障害者として勉強はせずに生きるこ
 とができる。でもみんなに助けられて生きていくという生き方。もうひと
 つは、大変だけども病気じゃない友達の3倍か10倍いろいろなことを頑
 張って、誰かを助けることができる、お仕事ができるようになる生き方が
 あるよ。ただ、それは君にとっては本当に大変なことだから、君の生き方
 はどちらでもいいと思う。僕たちにとって君という人間がいることだけで
 十分に幸せなことだから」

この話をしたとき、彼はものすごく一生懸命にこの話を理解しようとしていました。自分がバカだから勉強ができないんじゃなくて、病気のせいだと理解しました。そして頑張れたらその病気を克服できる可能性があると考えてくれました。そして彼が彼なりに考え抜いて出した答えは「普通になるようにがんばりたい」でした。そもそも普通ってなんやねん、とも思いますが、彼の語彙では精一杯だったと思います。

そのとき僕は息子のことを心から尊敬しました。
自分が彼の立場だったときに、彼のように強く生きられるだろうか。たぶんその答えを出すことはできないだろう。僕はいわゆる健常で生まれていながら世の中を悲観し、愚痴ばかり言い、誰かに嫉妬をしてばかりの人生を歩んでいる。こんな奴がこの息子の親だなんて、恥ずかしいにもほどがある。そう思いました。

結果、僕は聖人君子のような生き方をしているわけはなく、息子もまた特別に素晴らしい人間に育ったわけではありません。他の子ができることができないことはたくさんありますし、彼自身に劣等感がないとは言い切れません。でも彼は僕よりも笑い、人生を楽しみ、誰かのために働く喜びを知り、困った人を助ける正義感を持った人生を歩んでいます。残念ながら親である僕のことを尊敬しているわけではなく、親友のひとりだと思っているようですが(笑)。

この芝居を公演すると決めたとき、彼に「稽古場に遊びに来るか?」と聞いてみました。彼は時間があれば稽古場に遊びに来て、時に真剣に稽古を見ていました。大前提としては綺麗な女優さんに遊んでもらうのが楽しかったんでしょうけど。そして「このお話は僕の話だよね!」と嬉しそうに言うのです。なぜそう思ったのかは不思議ですが、彼の琴線にもしっかり触れたのだと思い、涙腺が緩んだのを思い出します。
本番を見に来たときは「カーテンコールに出たい」と言いだして聞かないので、劇団員に任せてカーテンコールに登場していました。そして本人は「本当の主人公は自分だ」と理解していたようで、お客様に拍手されて満足そうにしていました。

初演からもう7年たってしまいました。
重い荷物が軽くなることはないのですが、それでもこんな気持ちで「ダウン症」という荷物を家族みんなで持って進むことは、全然悪いことじゃない。読んでいただけた方が少しでも共感してくれたら、優しい社会になると信じています。「ありふれた愛、ありふれた世界」が今より少しだけでも優しく共生できる社会でありますように。

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同じ日に生まれた二人の赤ちゃん。ひとりは元気な女の子、もうひとりはダウン症を持った男の子。幸せになるために生まれてきた二人の赤ちゃんを授かった、二つの家族の物語です。楽しく、時に息をのむように読んでいただけたら幸甚です。気に入ってくださったらぜひお買い求めくださいね。

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