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日々の追想 2

 山岡荘八著「徳川家康」

 もともとは父の本だった。
 山岡荘八著「徳川家康」、講談社刊、全26巻。
 子どものころに住んでいた家で、子どもたちの本を置いていた本棚の、いちばん上の棚に置かれていた。
 「お父さんの大事な本なのよ。」と母に言われていたが、父がそれを読んでいるところは見たことがなかった。すでに読み終わっていたのかもしれない。
 子どものころはそれなりの本好きだった。そして小学校高学年になれば、徳川家康がどんな人物が知ることになり、また本棚のいちばん高い棚にも手が届くようになり、こっそりその第1巻を読み始めたのだった。 
 徳川家康の一生を描いているものと思って読み始めたが、家康の母於大の方と父松平広忠の縁組が決まったあたりから物語は始まる。主人公である家康が生まれるまで随分紙数が費やされていた。家康はいつ生まれるのだろうと思いながら読んでいた。
 しかしながら、ときどき思い出しては本棚から取り出し、少し読んではまた元の場所に戻す読み方ではなかなか読み進められず、そのうち思春期になって自室を与えられてからは、その本棚から遠ざかってしまい、続きを読むことはなくなってしまった。
 それから約50年。
 半年ほど前、母が、押し入れの奥にしまいこまれていたこの26冊を、私に処分してくれと言ってきた。父はすでに亡い。断捨離の一環だそうである。
 そのときに、子どものころ少し読み始めていたことを思い出し、どうせなら、読み終わってから処分しようと思って自宅に持って帰り、最初から毎日わずかずつ読み始めたのである。
 半世紀以上前に出版された本である。傷みは著しい。紙も黄ばんでいる。読むことはできるが古本屋に持っていっても売れはしないだろう。だから、読み終わったら捨ててしまおうと思っていた。
 だが、1巻を読み終わったときに、捨てるのがもったいないように思った。とりあえず1巻は捨てずに2巻を読み始めた。やっぱり捨てるのはやめようかな。3巻、4巻・・・
 子どもたちにも読んでほしいと思うようになった。
 徳川家康という人物の一生を描きながら、家康に関わるさまざまな人間の物語も随所に織り込み、著者山岡荘八自身が平和を希求する思いをこめていると感じられた。
 若い頃には履歴書の趣味の欄にはまず読書と記入していた私だが、今では落ち着いて本を手にとる時間はほとんどない。物語を読むといえば、毎日の新聞小説を読むのがやっとである。
 それでもこの「徳川家康」は、毎日1ページだけでも、と思いながら読み続け、先日読了した。
 家康の、戦のない世をつくりたいという強い信念や、自分に関わってきた多くの人間への対し方など、今の時代にも通じるものがあると思った。昭和の時代、多くの著名人が愛読書としてこの「徳川家康」を挙げていたのもうなずける。
 結局「徳川家康」全26巻は処分しないことにした。とくに子どもたちにすすめることはしないけれど、長男の本棚のその上に黙って紛れ込ませておいた。いつか、あれ、こんなところにこんな本がある、と思って長男でも二女でも長女でも、読んでくれればいいかなと思っている。


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