『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』読了
知人に薦められ手に取った本書。まず思ったのは「学生時代に読みまくった文系の論文みたい」ってことですね。なぜ自分がこの研究に取り組むのか背景を明らかにした上で、他者の論文や著作を引用しつつ持論を展開し、最後に結論を述べる。そんな構成になっています。
文系の学部を卒業した方ならご理解頂けると思いますが私も日本文学を研究する学科に所属していたので当時その手の文章は死ぬほど読みましたし、レポートや卒業論文として自分でも書いていたんです。
にもかかわらず、この本を読んで私は激しいストレスを感じました。しかしストレスを感じたこと自体が収穫だと思っています。
というのも社会人として経験を重ねるうちにビジネス本のような書籍しか受け付けない頭になっていたんです。
読んでいて「結論は? サクっと端的にお願いします」「これを言うために、ここまで文字数使う必要ありましたか?」などと何度もそう思ってしまったあたり社会の効率化に毒され、結論ファースト(笑)の文章しか読めない人間に変化していたんですね。学生の頃はこのような文章を大量にインプットし自分でも課題としてアウトプットしていたはずなのに。
そこに気づけた時点で私はこの本を読んでよかったと思いました。まさにこれが「働いていると本が読めなくなる」原因な気もしますし。
この本で述べられている現代の社会人が本を読めなくなる原因を暴力的なまでにザックリ言ってしまえば「読書にはノイズ(余計な情報)が多く、欲しい情報だけを短時間で受け取ることができないから」です。
※マジで死ぬほどザックリ言ってるので細かいニュアンスが誤って伝わったらごめんなさい。
その上で示された筆者からのメッセージは極めてシンプルなものでした。それは「全身全霊で会社に尽くす必要はない。全身ではなく、半身で十分。もう半身(半分)は読書など別のことに使おうよ」ってことですね。
どちらも「よく言われていることでは?」と興味をなくす人もいるかもしれませんが、私としては自分にぶっ刺さるように思われます。サラリーマンとして資本主義にどっぷり浸かるうちに、脳がノイズを除去した情報でなければ受け付けなくなっている……本を通じて自分を客観視し、そう気づけただけでも大きな学びです。
資本家(我々サラリーマンを使って優雅に暮らす人たち)のために毎日身を粉にして働く私ですが、本音の本音としては仕事100%の人生なんてごめんです。資本主義とは読んで字のごとくお金持ちにとって都合が良いように整備された社会ですからね。命を削って働いたところで得をするのは雇い主・資本家であり、我々サラリーマンひとりひとりにもたらされる恩恵は微々たるものでしょう。
しかし現実は筆者も認めている通り、サラリーマンに全身全霊の厳しい働き方を求めるのは資本主義の本能です。どれだけ抑圧しても本能には抗えません。
もし仮に「半身」の生き方が当たり前になったとしても、その中で全身全霊を売りに他者(他社)と差別化した人材や企業が現れ一定の成功をおさめ、模倣する人が現れるのではないでしょうか。
そうして徐々に全身全霊がスタンダードに戻ってきて、あらゆる圧力をもって全員に同様の働き方を求めてくる……ような気がします。知らんけど。妄想ですけどねw
ではどうするか?
私の答えはこうです。自分は今日何のために働くのか。自分の欲望はどこにあるのか。その欲望を満たすためにどう行動するのか。これらを明確にすべきでしょう。
つまり今日も満員電車に乗って出勤し、全身全霊で働くに足る自分だけの理由を見つけるんです。
雇われる側から資本家に転身したい。そのために今は少しでも多く稼ぐ。
1分でも長く自分の時間を確保したい。そのために最速で仕事を片付ける。
借金を返したい。そのために次のボーナスはガッツリほしい。
自分が納得できるなら何でもいいんです。目先の欲望に過ぎずとも無いより全然マシです。幸か不幸か人間の欲望には限りがないので、ひとつ満たされたら次の欲望を満たせば良いだけですから。
私は、本とは「自己を見つめ直すためのツール」だと思っています。本書は間違いなく自分の生き方を考え直すきっかけをくれました。
この本をインプットした私のアウトプットは、全身全霊で働くに足る自分だけの理由を見つけて毎日意識することです。
半身になれない私は、今日何のために働こうか。
皆さんは今日、何のために全身全霊を捧げますか?