青天を衝け 2
大河ドラマ「青天を衝け」に五代友厚が登場します。五代友厚とわたしの母校関西学院の接点を少し書きます。
1876年、大阪に堂島米紹介所が設立されます。この発起人として名前を連ねるのが芝川又平。江戸時代から百足屋という店を構えていた唐物商です。また創立の立役者には五代友厚がいました。また現在の大阪商工会議所の設立を主唱したのも五代友厚で芝川又平も設立者のひとりでした。
ドラマと関係のあるところでは渋沢栄一も一橋家顧問時代の幕末に硝石を芝川又平から大量に購入していますね。
芝川又平の息子芝川又右衛門は阪神間、西宮に別邸を持っていました。1884年に芝川家がこのあたりに地所を購入したことがきっかけでした。最寄り駅は阪急今津線甲東園駅ですが、当時駅はなく、又右衛門からの請願駅として小林一三が作られた駅です。甲東園はもともと又右衛門がこの地に経営していた果樹園の名称でした。ブドウ、モモ、洋ナシなどが栽培されていました。
関西学院はもともと現在の王子動物園がある神戸の原田の森にありました。しかし昭和初期に甲東園の上ヶ原に移転します。その時、移転用地確保に多大な貢献をしたのが又右衛門で、この地にあった広大な果樹園がキャンパスへと生まれ変わります。甲東園駅から関西学院までの道路ももともとは芝川家が果樹園のために敷いた道でした。キャンパスの設計がメリルヴォーリズであったことは知られています。又右衛門の息子、又四郎が関西学院の院長ベーツにアメリカのような開放的なキャンパスをと要望を出した記録が残っています。
芝川家は以前、連続テレビ小説で放送された「マッサン」にも関係があります。ドラマの主人公夫妻である竹鶴政孝とリタが大阪時代に住んだのが、帝塚山にあった芝川家の洋館で、芝川家はニッカのウィスキー開発にも出資しています。
甲東園にあった芝川邸は現在、愛知県の明治村に移築されていて、見学することができます。
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