見出し画像

#155 大人のフィードバックは積極的に拾おうとしてようやく得られることに気づいた話

こんにちは!けーたです。

今日は、世間でサードプレースという、結構広い意味でつかわれている仕事や家庭以外の自分の居場所で、自分がはっとする耳の痛いフィードバックをもらうという事が本当に難しいという経験をしたので、備忘の為にnoteに残しておきます。

表紙にダイヤの絵を描いているぐらい、大人になっての耳の痛いフィードバックというのは本当に貴重だなと思っており、昨日の友人のちょっとした一言に大感謝です。

仕事場においても、年齢を重ね、職位があがって、いろいろ経験が増えると、面と向かって耳の痛いフィードバックをもらう事が本当にすくなくなっているというのが自分の課題感として持っていました。

職場でそんな状況で、それよりもマイルドな空気感のサードプレースで自分に気づきのあるちょっと耳の痛いフィードバックは本当に得る事が難しい!!と思っていたのです。

事実、先日、別のコミュニティーにおいて、自分に対するフィードバックをもらう機会を造っていただいたのですが、やさしい言葉で自己肯定感は爆上がったものの、厳しさが無かったのです。

そんな中、大人の社会においてフィードバックはもらうものではなく、積極的に拾いにいってやっと捕まえる事ができるもの。というのに気づきました。

昨日、それに気づいたいのはこんな一言。

「けーたさん、この書いているnoteってちゃんと読み返しています?」

これだけです。

たぶん、この言葉に対するリアクションはいくつかあるかなとおもいました。

ーなにも感じない。
ーいや、読み返しているよ!
ーううん、全然読み返していない。
ーえっどういうこと?
ー理解できない。捕まえられずに流してしまう

ざっくりそんな感じがあるかなと。

で今回、自分が取ったリアクションは以下。

「いや、全然、まったく読み返していないです。本当に自分のメモとしてバーッと思いついた事をメモしているレベルなんで」

これ、本心にかなり近い。このnoteを書いている当初の目的を振り返ってみると、

・デジタル世界に対してまったく投資をしておらず、noteを書く事により、自分の生存をデジタル世界に残すこと(=デジタル投資として)
・アウトプット前提で日常を過ごすことにより、インプット、アウトプットの質を高める
・娘に、自分がこんなことを思って過ごしていたんだよという足跡として。

ざっくりそんな感じです。なので自分用で、きれいに書かなくても最悪はいい。

でも、ココロのどこかで、もっときちんと読み返して、文章をある程度推敲して世に出そうよ。といっている自分もいました。

そんなもう一人の自分に対して、また別の自分が、

「量は、質を凌駕する。まずは量。質はそれから」

と最もらしいことを言っているのでした。全て脳内でですが笑

で、ここから結論です。

最初の選択肢にはない結論に至りました。それは。

ーちゃんとnote読み返している?せっかく書くならもう少しだけでも見直して書くと、自分も、周りもWINWINになるよ。

で、これって、自分が友達の言葉の端を自分なりのフィードバックとして捉えて、認識した文章です。

約半日ぐらい、いろいろ考えて脳内変換を行い、そしてタイトルにある自分なりの気づき、大人のフィードバックは積極的に拾いにいってようやく得られるという事。にたどり着きました。

自分って本当に仲間に恵まれ過ぎていて、甘えていたなーという反省です。なので、自分で得たフィードバックを受けて、毎日1っ個ずつぐらいは、自分の散らかした過去のnoteを添削していきたいと思います。

だれの参考にもならなさそうですが笑 気づきのシェアです。

ではでは

ちなみに、今日のnoteの添削はこちら。だいだい半分ぐらい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?