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#180 読書録 「安楽死が合法の国で起こっていること」の前半を読んでモノゴトは複眼的にみる重要さを感じた話

こんにちは!けーたです。

今日は、「安楽死が合法の国で起こっていること」という本を読みましたので、読書メモを投稿します。

少し前の自分であったら、「安楽死」というセンシティブな世界の存在を思考停止で忌避していたと思います。

今は、何となくアンテナが立ったので、まずは今よりも一歩深く知る事が大事かなと思い本書を手に取りました。

そして、少し前に「報道特集」でこのテーマで動画がアップされていたので、このテーマに対して、本書を読むことにより、複眼的に「安楽死」を見つめて今よりも解像度を高められたらと思っています。

本日中身に触れていく本はこちら。

では、ここからは本書を読んでの気づきななどをまとめていきます。


この本を読んでの全体感

大事なコトは、安楽死を語る前に、言葉の前提をそろえる事。という至極あたあたりまえのことがされている事がありがたかったです。

なぜならば、この本を読む前には「安楽死」という言葉をこれ以上分解して理解することができなかったからです。

この本で使われている、言葉の定義を示しておきます。

「尊厳死」
・日本でいう所の「尊厳死」とは、一般的には終末期の人に、それをやらなければ死に至る事が予想される治療や措置を、そうと知ったうえで差し控える(開始しない)、あるいは中止する事によって患者を死なせることを指す。
「安楽死」
・医師が薬物を注射して患者を死なせることをいう。
「医師幇助自殺」
・かつては自殺目的で使用することを前提に医師が処方した薬物を患者自身が飲んで死ぬことを意味していたが、それでは障害のために嚥下能力が低下した人が死ぬことができないという声があがり、、最近は医師がいれた点滴のストッパーを患者が外す、より安楽死に近い形も行われている。ただし、患者自身の意思による「自殺」であることの証として、死を引き起こす最後の意思決定的な行為は患者自身によって行わなければならない。

出典 安楽死が合法の国で起こっていること P020参照

そしてビックリしたのが「安楽死」っていう概念は国際的にも定まった定義がないということ。

なるほど、それは言葉を中心として、それぞれの主張が空中戦になる構造ができてしまっているよなと改めて感じました

それと、知らない分野の学びは、インプットの量が多すぎる事。

これもありがたいのですが、ちょっと記憶にとどめる事ができないぐらい事実としての情報があるのです。

どんな人におススメ?

正直この手のテーマの本は、自分自身が興味をもち手に取る以外は、誰かにおススメするモノではないなというのが自分の答えです。

それぐらい、今の自分の周りの空気感ではまだまだ議論する土壌でもないかなという感じです。

気になったフレーズ達

気がかりな「すべり坂」

そもそも、「すべり坂」という言葉を知りませんでした。

生命倫理学の議論で使われる喩えで、ある方向に足を踏み出すとそこは足元がすべりやすい坂道になっていて、一歩足を滑らせると最後まで歯止めなく転がり落ちていくイメージだ。

とあり、なんとなくイメージはつかめました。あまり日常では出逢わない言葉だったので頭に残しておきたいと思い選びました。

この本のみにとどまらず、この領域で使われる大事な言葉であることも含めて理解をしておきたい言葉だと認識できました。

患者心理に潜むパラドックス

安楽死を望む人は、「生きるより死ぬ方がよいと言っているのではなく、この状況下でいきているよりも死んだ方がよいと思っている」

この表現が出てきたときに、自分では理解がきっちりできなかった。

文章の前半と後半の差分が人に説明できるほど理解できなかった。

「安楽死をもとめる人々が本当に死にたいと望んでいると思い込むことには、私たちは警戒しておく必要がある」からだ。

と先ほどの太字の文章とつながっており、前後の文脈も含めての全体的な理解をきちんとできているかの前提のすり合わせも何度も何度も必要と学べました。

「臓器提供安楽死」

よく考えれば、安楽死と臓器提供というものが密接なものだとわかるが、自分としては「臓器提供」という言葉にアンテナが立つのでこのフレーズを残しておきたいと思いました。

特に、この一文が自分としては衝撃でした。

安楽死とは、だれがどこで死ぬかがあらかじめ分かっていて、不足しがちな移植臓器を新鮮でクオリティの高い状況で効率的に採取できる稀有な状況に他ならない。

出典 安楽死が合法の国で起こっている事 P091参照

うまく言語化できないのですが、この表現がすごく引っ掛かりが大きかったので、少し時間をかけてなぜなのか内省してみます。


まとめ

センシティブだから蓋をして遠い世界のコトにする事も、「死」を迎えるというのは、人間に平等に起きるモノなので学ぶことは意義深いのではないかなと思いました。

ただし、自分が知りたいという感情なないままにこの手の議論に入っていくというのもまた違うのではないかなと感じました。

何でそんなに「死」という誰でも向かっている事実に対して、そのプロセスの事について考える、語る事がタブー視されているのか?歴史をもう少し知りたくなりました。

という事で、誰かの選書の参考になれば幸いです。

ではでは

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