シェア
誰かの言うことに従って『勤勉な人間のフリ』を長年続けていると、人は自分や誰かを腐すようになる。 自分がとった行動について、「してはいけない」とか「やっても意味がない」とか「無駄だ」といちいち腐すこと。 それは『怠惰』な行動である。 「今自分は行動している」ということを意識する。 これが『勤勉』な行動だ。 散歩に一日何度出かけても構わない。 くだらない買い物をすることに、どれだけ時間を掛けたって構わない。 布団の中で何時間もただ呆然と過ごしていたって、ゲームだけに一日没頭
「ロクな人生ではないな」と最近思い始めている。 しかし、しかしである。 そもそも、私の人生は小中学生の時点でロクなものではなかった。 小中学生の半分近くを不登校児で過ごした末、ロクな目標も持たぬままなあなあに定時制高校へ進学。二年生で自主退学。一年間の引きこもりニート生活。その後清掃のアルバイトをはじめ、通信制に再入学した。 この時点で、もう既にロクなものではなかった。 にも拘わらず、通信制高校卒業の間際に「友人から誘われたから」という理由だけでお笑い芸人を志した。
誰だって、本業、副業、趣味、日課、などの事柄を日々継続しているはず。 しかし、何をやっても一向にやる気が出てこない日がある。 これは一体誰のせいなのでしょうか。 昨日の私のせい? それとも今の私? もしかしたら昨日あの人と会ってしまったから? こんなことに明確な答えはないのだけれど、敢えて誰かのせいにするのなら、私は『二秒後の自分のせい』にするようにしています。 やる気が出ない責任を自分自身に探したとき、まず「『現在の私』が何も行動をおこしていないからやる気も出ないし
上記の引用は、私の代名詞である。 私はいつもこのように自分に言い聞かせて、三十一年間を生きてきた。 「自分の長所は何ですか?」と聞かれたら、いつも上記と同様の意味を持つ発言で答えてきた。 上記の私の代名詞は、言葉をそのまま素直に受け取ると 『常に冷静沈着で、何時も最後まで諦めず物事に取り組み続けている人』をイメージするかもしれない。 具体的な人物像を上げると、『頼れる上司』や『チームリーダー』的な人物を想像するかもしれない。 しかし、誠に大変申し訳ない。 本当の私は
『誰かの期待に応えることが難しい』と、長年思い込み続けてしまっていたことに、つい先日気がついた。 それは、私が約三十年間生きてきた中で、周囲にいた人達の期待にまともに答えられたことが殆どないことが、一番の要因だと思う。 つい先日まで自身が置かれていた状況を端的に言ってしまえば、ただただ『臆病になっていた』のである。 ここ数年は尚更、人から期待をされることを避け続けてきた節がある。 そりゃあ、人の期待に応えられない体験ばかりが三十年も積み重なっていたのだから、臆病