サトー佐藤

33歳・社宅管理人|人生すべて私小説|出来るのは恥も外聞もなく人生をさらけ出す事だけ。

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社宅管理人の雇用形態と劣悪な労働環境、そして夜間待機業務の過酷さ。

 熟練した社会人経験と人柄、そして雇用主が悪印象を抱くことのない無難な職歴が人材として最も評価される管理人の仕事。私が従事する社宅管理人の職場もその例外ではなく、定年前後の人員を基本的に採用している事情もあって、雇用形態は三か月ごと更新の契約社員である。いつ何時どんな事情で働けなくなることがあるか分からない高齢の人材を扱っているのでそれも致し方ない。  勤務形態はシフト制で、シフトは私を含めた管理人四人で回している。基本的には早番二日遅番二日の四連勤の後、夜勤明けから公休を

    • 31歳で社宅管理人として採用されるまで。

       全国展開されている大手お菓子メーカーの工場で日々従事するどこの馬の骨とも知れない派遣社員、期間工社員達。更には本社や工場のデスクワークを主とした企画、開発、営業などの細分化された所属課で勤める真っ当なサラリーマンである正社員達。そんな生まれ育ちもこれまで歩んできた道もまるで違うであろう多種多様な人間が、関東のとある社宅(寮)で常時70人ほどが寝食を共にしている。  工場勤務者は北棟、デスク勤務者は南棟にときっちりと分けられているのは会社から寮生達へ向けたせめてもの計らいな

      • 中野駅。

         私と相方が組んでいたお笑いコンビの活動は、大阪から東京へ上京したその日中に既に終わっていたのかもしれないと今では思う。  住む場所どころか住みたい地域まで一切何も決めずにその身一つで上京した私と相方。世間知らず甚だしい我々のことを東京で最初に出迎えてくれたのは、中野駅最寄りの賃貸不動産の担当者『中野さん』だった。駅名と名前が一致する完全な偶然である。  中野さんは、夜行バスに十時間揺られて遥々やってきた寝不足で不愛想な私たちのことを詐欺師のような満面の笑みと丁寧な言葉遣

        • ユルく生きる。

           もう十五年近くも前の話になる。高校を二年生の冬、十七歳で中途退学した。にもかかわらず私は、その後も暇があれば定期的に学校へ行く事を習慣にしていた(実質引きこもりニートだったので常に暇だったのだが)。『学校に行く』という表現はあまり適切ではないかもしれない。  実家での引きこもり生活は延々続けていると次第にやることを見失ってしまう。すると一口に言葉では説明がしがたい恐怖に突然襲われる。将来の不安とか、日ごとに離れていく同級生との差を実感して激しい劣等感に支配されてしまい身体

        社宅管理人の雇用形態と劣悪な労働環境、そして夜間待機業務の過酷さ。

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        記事

          【エッセイ】悔いは残しまくれ。

           私は何かの失敗を糧にして、その何かに再チャレンジしたことがあまりない。何かに失敗して悔しい思いをする機会があった場合、通常はその悔しさをバネにして「次の時はもっと頑張ろう」、なんて思うのが通常なのかもしれない。だとすると、私は通常ではない。  私は悔しい思いをすることがあった場合、それを他のことで何とか発散しようとしてしまうのである。  もしかすると、これはとても非効率な行為なのかもしれない。本来、失敗を乗り越えるためには、その失敗の原因となった出来事を克服するべきである

          【エッセイ】悔いは残しまくれ。

          過去は変えられない。しかし過去は忘れて作り変えることができる。

           以前は、過去を思い出すたびに心の内に痛みが生じることが多かった。私の場合それは二十九歳から三十歳になるギリギリまで続いていたと思う。  三十歳を目前に迎えたある日、自分の中で『忘れられない過去』に対する捉え方が百八十度変わった。それまでの私は、どこか意識の片隅で「過去は変えられる」という固定観念を持っていた。  その固定観念に縛られてもいた。『過去』とは『既に自分の頭の中にしか存在していない出来事』だと気付くまで、私は忘れられない過去を頭の中で脚色して作り変えるという反

          過去は変えられない。しかし過去は忘れて作り変えることができる。

          【エッセイ】誠にクソ男

           一発抜いた後では、執筆に真摯に取り組む姿勢も熱量も一切皆無である。  ドSの先輩とのバーチャルな一時を終えたM男の執筆者は、賢者タイムに入ってしまっている。今の彼の脳みそには、抜く直前まで読んでいた愛読書の影響も一切皆無である。  つい先程まで、珈琲店でピース又吉直樹さんの『東京百景』の文庫版を読んでいた。この書は、私にとってバイブルと断言できる存在なのだが、自分としてはやたらに影響を受けすぎてしまっている節が見受けられるので、普段は若干の距離を置いている。特に単行本の方

          【エッセイ】誠にクソ男

          『怠惰』と『勤勉』

          誰かの言うことに従って『勤勉な人間のフリ』を長年続けていると、人は自分や誰かを腐すようになる。 自分がとった行動について、「してはいけない」とか「やっても意味がない」とか「無駄だ」といちいち腐すこと。 それは『怠惰』な行動である。 「今自分は行動している」ということを意識する。 これが『勤勉』な行動だ。 散歩に一日何度出かけても構わない。 くだらない買い物をすることに、どれだけ時間を掛けたって構わない。 布団の中で何時間もただ呆然と過ごしていたって、ゲームだけに一日没頭

          『怠惰』と『勤勉』

          『挨拶終わり』じゃない。いつも『板付き制限時間終わり』。

          「ロクな人生ではないな」と最近思い始めている。 しかし、しかしである。 そもそも、私の人生は小中学生の時点でロクなものではなかった。 小中学生の半分近くを不登校児で過ごした末、ロクな目標も持たぬままなあなあに定時制高校へ進学。二年生で自主退学。一年間の引きこもりニート生活。その後清掃のアルバイトをはじめ、通信制に再入学した。 この時点で、もう既にロクなものではなかった。 にも拘わらず、通信制高校卒業の間際に「友人から誘われたから」という理由だけでお笑い芸人を志した。

          『挨拶終わり』じゃない。いつも『板付き制限時間終わり』。

          『自分探し』のルーツ

          何が楽しいのか分からない。自分には生きている意味がない。 何がしたいのかは、そもそも元から分かっていない。 そんな人が、平成初期に生まれた我々の世代には多い。 それは、自分に出来ることが見つけられていないからであり、「私は今、生きている」と感じるために必要な感受性を失ってしまったからだろう。 感受性をなぜ失った? どこで無くした? 大部分の人は、ちゃんと大切に扱っていなかったから失くしてしまったのだと思う。いつ誰に盗まれてもおかしくないぐらいに無警戒だったから、だから

          『自分探し』のルーツ

          『学歴コンプレックス』なんて無い。

          私は、高校中退→通信制高校卒業が最終学歴だが、卒業から10年以上の月日を経たこれまでに、『学歴コンプレックス』というものを感じたことが全くと言っていいほど無い。 学歴の差をどこかしらで匂わせてくるような人物には数多と出会ってきたが、正直そういった人物は、私の方からも「あ、コイツこの分野に関しては俺よりもバカだな」と容易に見下せてしまうような、致命的『隙』や『欠点』を抱えている場合がその殆どだった。 一方、私が「この人頭良いな」と純粋に思えた人物というのは、私のような人間が

          『学歴コンプレックス』なんて無い。

          二秒後の自分〜『現在』と『未来』の境界線〜2022.6.19㈰ #6

          誰だって、本業、副業、趣味、日課、などの事柄を日々継続しているはず。 しかし、何をやっても一向にやる気が出てこない日がある。 これは一体誰のせいなのでしょうか。 昨日の私のせい? それとも今の私? もしかしたら昨日あの人と会ってしまったから? こんなことに明確な答えはないのだけれど、敢えて誰かのせいにするのなら、私は『二秒後の自分のせい』にするようにしています。 やる気が出ない責任を自分自身に探したとき、まず「『現在の私』が何も行動をおこしていないからやる気も出ないし

          二秒後の自分〜『現在』と『未来』の境界線〜2022.6.19㈰ #6

          サトー佐藤の正体。2022.6.15㈬ #5

          上記の引用は、私の代名詞である。 私はいつもこのように自分に言い聞かせて、三十一年間を生きてきた。 「自分の長所は何ですか?」と聞かれたら、いつも上記と同様の意味を持つ発言で答えてきた。 上記の私の代名詞は、言葉をそのまま素直に受け取ると 『常に冷静沈着で、何時も最後まで諦めず物事に取り組み続けている人』をイメージするかもしれない。 具体的な人物像を上げると、『頼れる上司』や『チームリーダー』的な人物を想像するかもしれない。 しかし、誠に大変申し訳ない。 本当の私は

          サトー佐藤の正体。2022.6.15㈬ #5

          誰かの期待に応えるということ。2022.6.10㈮ #4

           『誰かの期待に応えることが難しい』と、長年思い込み続けてしまっていたことに、つい先日気がついた。  それは、私が約三十年間生きてきた中で、周囲にいた人達の期待にまともに答えられたことが殆どないことが、一番の要因だと思う。  つい先日まで自身が置かれていた状況を端的に言ってしまえば、ただただ『臆病になっていた』のである。  ここ数年は尚更、人から期待をされることを避け続けてきた節がある。  そりゃあ、人の期待に応えられない体験ばかりが三十年も積み重なっていたのだから、臆病

          誰かの期待に応えるということ。2022.6.10㈮ #4