自分を好きにはなれないけど、絵を描く自分は好きなんだ
スキかみさま、こんにちは。
きょうは陽射しが窓からさしこんでぽかぽかでしたね。
人間には太陽の光が必要ということで(光をあびるとセロトニンという幸せ物質がでるそうです)、陽にあたってみたのですが、秋といえど直射日光を舐めていました。
じりじりと私をつきさしてくるので早々に日の光がはいらない家の中側にすごすご退避してしまいました。
わたくし、闇属性なんでしょうか。
…それはさておき、セロトニンを生成することに朝から失敗した私ですが、今日もこつこつ書いていきたいと思います。
自分を好きになれない人に、こんな考え方もあるんだなぁと思ってもらえたら嬉しいです。
1.自分は自分を好きになれない
私は最近こんな自分でもいいやとようやく思えたけど、自分が大好きかといわれると自信を持って答えられない。
人よりも感覚が過敏で、そのくせ不器用で、社会の役に立てると思えない自分。
もっと器用に生きたかった、あれこら考えずに仕事をバリバリとこなしたかった、とうじうじ考え、未来のない反省会をする。
ひとりでだってやってやるぞ!という気持ちで退職を決意したけど、軽やかなタイピング音に反してどこかで灰色の不安を抱きしめている。
自分をスキになる方法を忘れてしまった自分がいる。
2.◯◯する『自分』がスキ
私は小さい頃マンガを描いていた。
描いていた時間の割には、私が描く人物はのっぺりしていて奥行きがなくて、全然上手くならなかったのだが、私はこの時間がなによりも好きだった。
描いている自分をふと頭のてっぺんからのぞいてみたら、にやにやして絵を描いている少女がそこにいた。
そこから、自分の目線にヒュッともどって、『あ、私いま、にやにやしている。』と、口角が上がっている頬の緊張を感じるのがスキだった。
◆
そのころ(小学校)のテストは国語と社会以外30点以下。
教科書よりも参考資料集を読んでばかりいたのですっかり雑学王になってしまった(いまは教科書も大好きなのだが)。
数字をうまく扱えないのは、さんすうの時代からで、未来の永劫においてたぶん扱えるようにはならないと思う。
九九は2年で習うけど、高学年になるまでできなかった。
割り算や分数を覚えたのは中学校。
数字には情報量がおおすぎる。
1には、トップとか1番とか、はじめのとか、ひとつだけとか、いろんな特別な意味が含まれていて計算どころではない。
がんばって心を無にするものの、そうすれば1は、たての棒にしか見えない。
2はドラクエででてくるおおみみず
3はのび太くんの目だし
4はファイナルファンタジーのカインの足
5は車椅子で
6はさくらんぼ…
というふうにもう絵にしか見えない(計算ができない…!)
えっ、そんなこと考えてるの?って思うかもしれないけど、コレが私の頭の中なのだ。
私には数字を扱う魔法は使えないらしい。
たまに実家の部屋を掃除したら出てくる、古びた記憶のひとかけら。
色褪せて消しゴムでぼろぼろになった『わらばんし』のさんすうの答案用紙のうらには落書きがいっぱい。
きっとこれもニヤニヤして描いていたにちがいない。
3.いつから絵を描かなくなったのだろう
やがてテストで良い点を取ることが求められ、受験がはじまり、絵よりも、答えがある文字を書くことが多くなった。
答えのある問題を頭に入れては引き出すという練習は楽しくもあり、繰り返しだなぁと思うと継続できず苦痛でもあった。
やっぱり人と同じようにはできなくて、初受験は全部落ちた。普通の人より一年遅れて大学に入った。
数学は先ほど書き綴った程度の学力なので論外、意味不明に良かった国語(答えたり選んだ選択肢が全て合っているのだが、どうして合っているのかは説明できない…未だに謎!)、時間をかければ人並みにできた社会と英語を頼みにした戦略特化の二度目の受験。
受かることが目的だったので将来何になりたいわけでもなく、得意教科的に文学部だったのだが、ここでも物語や本が格別好きだったわけではない(そろそろいい加減にしろという外野様からのツッコミが…いろいろ器用にできないのは、この天邪鬼による、天罰なのでは)。
古本の書庫の匂いは人のストレスやいろんな嫌な記憶を煮詰めたかびくさい匂いがして苦手だった(これはガチで文学部としては致命的でございました)。
そんな私でも、文字を書くのは好きだったし知識を増やす目的で読む本はとても刺激的で楽しかった。
話すよりも、書く方が考えが整理できて私にとって相性が良いことにも気づくことができた。
私はどうやら口よりも手の方が器用らしい。
その後、数字が嫌いといいつつも、経理の道に進み、会計士や税務についても少し勉強した。
嫌いながらも決算書類はそれなりに読めるし、電卓を使えば、みみずだろうがさくらんぼだろうが多少操ることができる。
技術の進歩には感謝するしかない。
数字が苦手だとのたまいながらも、数年この仕事がこなせたのは技術のおかげだ。
江戸時代だったらそろばんがあるといえど経理にはならなかっただろう。
苦手ながらも、財務や社会保険についてわからなくて困っている人を助けてあげられることについても良かったと思う。
けど、そんな技術にお世話になりながら歩行器状態で仕事をこなしても、そんな自分をどこか好きになれず違和感を拭えない。
緊張の糸を解いたら私の無能がばれてしまうのではといつだって内心ヒヤヒヤしていた。
人に必要とされたくて、ありがとうを言ってもらいたくて苦手な数字にも向き合ったのに、心が鈍色のままなのはどうしてだろう。
私は実はそんなにできる人間じゃないのが、ありがとうを言ってくれる人に対して申し訳ないとさえ思った。
4.いつのまに、また描くようになったのだろう
いまは畑を飛び越えて、webデザインの仕事をしている。
デザインをしていると、形が整うような理論や余白についての知識、配色の理論、世の中で目にする広告やものの中に『デザイン』の意図がみえるようになった。
デザインを知って私の心が色づいていくのを感じた。
また、描きたい。
私は転職してからはじめてのボーナスで、iPad miniとApple Pencilを買った。
美大にも行ってなくて、デザインをちゃんとした学校で習いもしてない私が、イラストを描くなんて滑稽なようにも感じたけど、私はそんなこと関係なくまた描きたくなった。
iPad miniは私のじゆうちょう
昔、じゆうちょうを何冊も買って親に怒られたものだけど、もう私を怒る人はいない。
私は私の絵を褒めてくれる人に、胸を張ってありがとうと言える。
小さい頃の私は、私が何をして生きたいのかを一番知っていた。
私は今日もニヤニヤしてiPadに向かっている。
5.スキなことをする自分がスキ
あなたは何をしている自分がスキですか?
私は傷つきやすく社会の役に立てない自分を好きにはなれないけど、
絵を描いている自分がスキ。
noteを書いている自分がスキ。
あなたが自身を好きになれなくても、好きなことに打ち込んでいるきらきらした自分をスキになってみて。
私が仕事を辞めるまであと、20日。