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誰にでも替えがきく仕事は価値がないという大いなる誤解を知る


今日も良い1日だね。

こんにちは。
さとるだよ。


前回の記事では生業を手放すことを決意した時の悩みや心の状態を書いた。まだ読んでいないならぜひ読んでみてほしい。



自分のプライドや世間体などの問題をどう超えていったか?を今回は少し書いてみるよ。


結論から言えば私のこれまでの「仕事の選択の基準」はひとことで言えば「立派な仕事」だった事に気づいたんだ。


まぁ、立派な仕事と言っても抽象的だけどね。心のどこかに「この仕事をしたら立派だなぁ」というエゴというか不純物が混じっていた。

もちろん、100%の純度で仕事をしている人はそう多くないかもね。誰しもどこかで折り合いをつけながら生きているはず。

「立派な仕事」という価値観ははこれまでの私の仕事の選択を色眼鏡で見させていたように今は思う。


「頭を使って価値を生み出す仕事が偉い」そんな風に無意識に考えていたと思う。


そして同時に、「誰にでも替えがきく仕事は価値がない」とも考えていたと思う。本当に愚かな考えだったと思う。


13年前に私がサラリーマンから起業した時はノマドワーカーという考え方が流行していた。


ノマドワーカーというのはパソコンひとつで場所や時間にとらわれずに働く人の事。実際、私の12年間もそんな感じで働いていた。


良い思いをたくさんしたよ。時間を自由に使えるという社会人としての初めての経験に心が踊った。


そんな経験が私のエゴを生んだんだろうなぁ。「私は価値提供を生業としている起業家」みたいなフワフワした考え方をさせていた。


でも、価値提供をして生きていくには絶え間ない研鑽と努力が必要。今、考えたらコロナ禍の頃から仕事へのモチベーションがどんどんなくなっていた。


新しい試みやチャレンジを避けて「現状維持」を選択し続けてきた。そりゃ、売上も落ちるよ。あたりまえの事。


言い訳じゃないけど、自分の仕事に対する不誠実さに気づいた時、もうこれまでしてきた起業家としての仕事はもう出来ないと気付いた。


だから、私は生業を手放した。そして今、私は「誰にでも替えがきく仕事」を今、雇われとして楽しんでいる。


正直に書くと、お金に余裕がある訳ではないけど生活できないというほどでもない。ここはもう少し上げていきたいのは本音。


でもさ、ストレスゼロの毎日なんだよね。強がりや、痩せ我慢じゃないよ。本当に毎日がストレスゼロで快適。


今まででは考えることもできなかった毎日なんだ。いつかこの道を変える時が来るかもしれない。でも今は100%楽しめている。


次回からはなぜ生業を手放し、新しい生活を選択したのか?その考え方の変遷を少しづつ書いていこうと思う。


最後まで読んでくれてありがとう。また明日♪



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