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夢破れて次のステージが必ず現れるから・・

今日も良い1日だね。

こんにちは。
さとるだよ。


今回はいつもに増してまとまりのない文章になるのは間違いないからゴメン。先に謝っておく。


起業して失敗ばかり繰り返してきた。その度に周りに迷惑をかけた。途方もなく。一昨日前に「仕事=生きがい」って本当?という記事を書いたんだけどさ、予想以上に反響をいただいてコメントもたくさんもらった。


noteを書いている人なら理解してくれると思うけど他人に向けて書いているようで自分にも矢印を向けているんだよね。あの記事も同じ。書きながら、書いた後、コメントを読みながら・・自分の生きがいを色々と考えてた。


今回の記事は結論も答えもない。だけど書きながら自分の「生きがい」をもう一度振り返りたいと思っているんだ。巻き込むなよ!という人もいるかもしれないね。途中下車していただいて構わない。

でも、これからの失敗談はもしかしたら、あなたの役に立つかもしれない。



就労支援B型事業所の設立失敗


ウェブ制作や個人事業のサポートで起業したけど、結果は本業だけでは食えない時期が長かった。

だからバイトもパートもかけもちしてた。その時に起きた不思議体験も最近記事にしたばかりだね。


この記事で書いたように1日でバイトをクビになった後に、とある福祉事業の中の配達のバイトに受かったんだ。その事業所の中で障がいをお持ちの方が作ったものを販売先に配達する仕事さ。学生の頃からトラックの配達のバイトやってたし、運転は大好き。それでお金も得られるからありがたい仕事だったよ。


でも、運命は動く。その福祉事業の社長がワルでさ、詳しくは書けないけど障がいのある人を迫害してた。結論、その事業所の利用者を引き取るために、その会社にいた仲間で就労支援のB型を立ち上げる道を選んだ。


でも、資金もノウハウもない。すべて先行投資でやってきたけど、一緒にやっていた共同経営の人が夜逃げ。私は一夜で連帯保証の借金がふりかかってきた。すごい額だったよ。誰にも相談できず自分の最期を自分で決めようという考えが頭をよぎった。


その借金を返すために、自分の仕事に集中した。ある意味お尻に火がついた感じだよね。人生の経験としては、その当時はBadだったけど、今となってはGoodだったかもね。


福祉に興味はなかったけど、この一件で福祉の世界にもがぜん興味をもつようになった。その時の仲間は今でも地域で評判の良い就労支援B型の事業所を運営している。ホント良かった。


自立援助ホームの立ち上げ失敗


私は自分の生業以外に保護司の仕事もしている。

保護司は、犯罪や非行をしてしまった人の立ち直りを支援する「処遇活動」と、地域の方々に立ち直り支援への理解と協力を求める「地域活動」の2つの活動を主に行っている。


仕事とは言ってもボランティアで収入はない。でも地域やPTAで子どもたちと関わる中で、やんちゃな子や家庭や学校や地域に馴染めない子をたくさん見てきた。だから、そんな子のために何かしたいなという気持ちはずっとあった。その関係で保護司をしているんだ。

でも、保護司は無力。犯罪や非行を犯した後に寄り添う事しかできない。もっと後押しがしたいという気持ちがだんだん強くなった。


そんな中でまた新しい仲間と出会う。同じように特にやんちゃしてる子にどうにか手を差し伸べたいよねという志が一致した。

社団法人をつくり活動をスタートさせた。これも波乱万丈あったけど代表として中心にいた人が熱い想いのある人で大変だったけど協力して少しづつ形にしていった。


その時に国立少年教育振興機構の「子ども夢基金」で、やんちゃな子のために

・社会で知っておきたい仕組みやルール

・やんちゃから更生した先輩からのアドバイス

・現役のやんちゃ君の生の意見

・多摩少年院の子どもたちの生の声

etc・・・


2期にかけて多くのコンテンツをつくった。今でもweb上で見られるので機会があれば良かったら観てほしい。


その時の私たちの、最終目標は「自立援助ホーム」をつくることだった。

自立援助ホームはなんらかの理由で家庭にいられなくなり、働かざるを得なくなった原則として15歳から20歳まで(状況によって22歳まで)の子どもたちに暮らしの場を与える施設の事。


運営するには母体になる法人がある程度、人的にも経済的にも体力がないとなかなか経営は難しい。

私たちはいきなりそこに向かうのではなく法人としての実績や経済的体力をつけるために、非行や貧困など様々な理由がある子どもたちの居場所事業を始めた。


これも波乱万丈あったけど、きちんと事業として継続できていた。仲間は今でもがんばってしっかり運営しているよ。とても嬉しい。


そこから数年いよいよ「自立援助ホーム」の実現のタイミングを図ってきた。

ネックになるのはやはりお金。子供の居場所事業は予算で運営できたけど、自立援助ホームはそうはいかない。そこで色んな人にアドバイスをもらい、収益の確保できる事業としてグループホームを運営する事に白羽の矢が立った。


グループホームと自立援助ホームは語感は似ているけど全然違うもの。グループホームは障がいのある人が3~4人で、世話人などから生活や健康管理面でのサポートを受けながら、共同生活を営む住宅のこと。


所轄も自立援助ホームとグループホームはまるで違うんだ。グループホームを運営しながら資金を貯めて自立援助ホームをつくる!そういう青写真だった。

でも、考え方や方向性の違いから手前にあたるグループホームの設立まで漕ぎ着ける事が出来なかった。責任をとって社団法人から私は身を引いた。本当に迷惑をかけたと思っている。


お母さん支援事業の失敗


そこから数年、これも色んな御縁から新しい仲間ができた。

介護や育児で外でフルタイムで働けないお母さんの支援事業が出来ないか?画策した。


そこで既に事業として障が者福祉事業で、服や本を中心に不用品を回収してヤフオクで売るという事をやっている人を知った。

その人にも会社に入ってもらい、小さな法人をつくった。人もいない、お金もないからとにかく想いを伝えるためにたくさんの人に会った。会いまくった。

そしたら、不用品を分けてくれたり、人を紹介してくれたりと協力してくれる人が除々に増えた。無料で倉庫代わりの場所を貸してくれる人まででてきた。

半年かけてたくさんの人の協力で服や本がたくさん集まった。でもまだお金がなくて事務所など実態がない状態が続いた。

そして、運命の日が。2023年7月22日~8月4日沖縄本島を100時間に渡り台風6号が直撃したんだ。集めた大量の服や本は浸水ですべて駄目になった。


お金も売り物もない私たちはここで一旦、事業の継続を止め会社を休眠させた。


何も成し得てないから見えたもの


ここまで私のこれまでの3つの大きな失敗経験を書いた。


優秀な経営者なら、乗り越える術やタイミングできっと乗り越えたかもしれない。でも、私は出来なかった。残ったのは後悔の気持ちとたくさんの人の期待に答えられなかった哀しさ、そして自責の念だった。

2023年の後半はそんな私にとってのリハビリであり再スタートの日々だった。

そこで心新たに始めたのがこのnoteという訳。今まで私のセルフイメージは起業家や自営業、個人事業主だった。

でもnoteに触れる事で私のクリエイターとしての一面に気づけたんだ。そんな自分の心に気づけて2023年の9月に書いた記事がこれ


そこから私はだんだん「私」に帰っていった。そして今、「新垣さとる」としてあなたとお話をしている。

「失敗してもチャンスはある」とかそんなよくある話がしたいんじゃない。

夢は必ずしも叶うものではない。想いや運、人・・色んな事がパスルのように組み合わさったうえで結果になる。

だけど、まず先にあるのは「夢」なんだよね。「想い」に言い換えてもいい。私がこれまでの経験で学んだのは「夢」には本当の夢と偽モンの「夢」があるという事。

私が失敗した夢は自分にとっては偽モンの夢だったという事。でも100%偽モンという訳ではない。不埒な混ざりものがあったという事。成功するのは純度100%の夢なんだよね。


毎日noteで自分の心と向き合いながら私は自分の夢を探してる。もしかしたら見つからないかもしれない。


今、私はこれまでの苦しい経験から「やさしいひとをふやす」というミッションに気づけた。これが夢につながっているか?は今は分からない。それでもこのミッションを今は進めていきたい。目下の夢かもしれない。


noteで色んな人の記事を読み、コメントで会話する事で、やさしいひとを増やせそうな実感がしている。だから諦めないよ。

自分がクリエイターというスタート地点だったから見つけられたミッション。だから辿り着けそうな気がしてる。こんな想いになれたのは、あなたに出会えたから。だからホント感謝している。ありがとう。


今回はここまで。ホントに結論もオチもなかったね。こんな駄文に長々と付き合ってくれてありがとう。感謝するよ。

また明日♪



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