【心問書簡】 あくまのおよめさんのお話
「あくまのおよめさん」というお話を、ご存知でしょうか。
ネパールに古くから伝わる民話で、
あらすじは、だいたいこんな感じです。
”
ある村に、ラージャンという少年が住んでいました。
ラージャンの一家は、小さな畑を耕して、なんとか暮らしていましたが、
ある日、ラージャンは道を歩いてる途中、一枚の銀貨を拾います。
父親は羊を、母親は豆を買うように言いますが、
ラージャンは国中にたった一つしかないものを、と、小さなサルを買います。
両親はがっかりしましたが、ラージャンはそのサルを大切に育てました。
この村には、たくさんの悪事を働き、人々から恐れられている、あくまがいました。
成長した賢いサルは、知恵を働かせ、一計を案じます。
ラージャンに、木彫りの人形を作ってもらい、あくまの元へと向かうと、
あくまに対して、
「死んだあと、お祈りをしてくれる人が誰もいないじゃありませんか」
「ぼくは、おじさんにおよめさんをみつけてやろうと思って、来たんですよ」
ともちかけます。
そして、恐がるかもしれないから、最初は隠れている様に、
と話します。
しかし、待ちきれないあくまが、
部屋に入っておよめさんに触れると、
人形のおよめさんは、ベッドから転げ落ちて、
動かなくなりました。
するとあくまは、
「ああ、ぼくのおよめさんがー、ぼくのおよめさんがー」
と泣き叫びました。
大事なおよめさんを、自分が殺してしまったのだと思い、
うまれてはじめて、悲しい思いをしたのです。
あくまはその時、自分は今まで人々を悲しませてきたんだ、ということに気がつき、
それから、峠の向こうに行ったきり、村に戻ってくることはありませんでした。
”
かなり雑なあらすじになってしまいましたが、
概ねは、この様なお話です。
この話を初めて聞いた、4歳か5歳頃の私は、
なんてかわいそうなんだ、と思い、思わず母親に抗議しました。
あまりに不憫で、泣いてしまいそうでした。
あくまは、村人達に悪いことをしていました。
それは、もちろんいけないことです。
だけど、このやり方は、なんとも卑劣で残酷なやり方だ、
と強く違和感を感じたのです。
もちろんそういう言葉を、当時は知りませんが。
この話は、
賢いサルがあくまを改心させた物語、
として語られているようですが、
今こうして思い返してもやはり、後味の悪さを感じます。
このあくまは、悪魔というより、とても人間的です。
サルの言うことを、疑うこともなく素直に信じます。
そして自分のせいで、およめさんを殺してしまったんだ、
とあまりにもまっすぐに悲しみます。
まるで小さな子供みたいです。
人間達は、このあくまに対して、
話し合いや別の方法を試そうとは、考えなかったのでしょうか。
そこら辺は、うろ覚えなので、なんとも言えませんが、
人間達が、このあくまの「行い」だけを見ていたのだとすれば、
それは、なんとも悲しいことです。
あくまの素直さや、幼さや無垢さ、そういった側面を、誰も見ていなかったとすれば、
人間達もまた未熟で、その未熟さは、一種の暴力性を孕んでいる、
と私は思います。