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隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』:葉隠発祥の地

僕の『葉隠』は手に汗握り、血沸き肉躍る態の大ロマンだった。思想は欠落し、人間像と事件だけがある。

『死ぬことと見つけたり』

隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)…小説家、脚本家。本名は、池田一朗(いけだ・いちろう)。

葉隠発祥の地:常朝先生垂訓碑

画像は、佐賀県佐賀市にある葉隠発祥の地。常朝先生垂訓碑がある。『葉隠』は、山本常朝(やまもと・つねとも、1659年~1719年)が口述し、田代陣基(たしろ・つらもと、1678年~1748年)が筆記した武士の心得をまとめた書。

1943年12月、隆慶一郎は戦争による死は避けられないものと考えた。残された短い期間を好きな学問をしたいと思い、父親の希望である東京帝国大学の法学部政治学科ではなく、文学部仏蘭西文学科に進んだ。

特に熱中していたのが、アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud、1854年~1891年)と、中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)。小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)が訳したランボーの『地獄の季節』がバイブル。中原中也の詩集は既に入手困難で、友人が所有していた『山羊の歌』『在りし日の歌』をノートに写し取って持っていた。

陸軍への入隊が迫る。

ランボーの『地獄の季節』と中原中也の詩集を筆写したノートを持っていこうと考える。ノートは他のノートと一緒に紛れ込ませれば良い。ただ『地獄の季節』をどうするか。

当時、陸軍の将校の間では『葉隠』が評判で愛読されているとの情報を得る。岩波文庫で分厚い三分冊。隆慶一郎は閃いた。中巻の真ん中を切り取って、表紙も裏表紙も取り払った『地獄の季節』をはめ込んだ。

無事に持ち込むことに成功した。

後にランボーや中原中也だけでなく『葉隠』も読み始める。理由は、活字に飢えていたから。隆慶一郎は、そこに書かれた思想には、大した関心を持たなかった。そこに描かれた人物たちの逸話や事実に興味を持ち、楽しんだという。

シンプルに隆慶一郎の『死ぬことと見つけたり』は面白い。死が日常的であるからこそ、登場人物たちが生き生きと躍動的に描かれている。

意外と「死ぬことと見つけたり」という一節を知っていても『葉隠』については、よく知らない人も多いだろう。自分もその一人である。『死ぬことと見つけたり』を読んだ後に、現代語訳の『葉隠』や、三島由紀夫の『葉隠入門』などなども手に取った。

意外と実用的というか、具体的で面白いと思った。深い内容までは分からなかったというのもあるが。現代でいえば、適度なビジネス書みたいな感じだろうか。そんなことを言うと、詳しい人から怒られてしまいそうだけれど。

最終的には、佐賀にも出掛けて、色々と歴史的なスポットや施設なども巡った。その一つが葉隠発祥の地。

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