遺伝子があれば心が宿るのか【勝手に映画感想】
こんばんは、"もっちゃん”です。
記事に興味を持ってくださり、ありがとうございます。
物質に心は宿るのか、物質に魂は宿るのか、ということについては度々論争があることかと思います。
また、遺伝子があればその者の心が宿るなんて話もあったりもします。
(ブラックジャックとかでもありますよね。)
その論争に答えを出すつもりは毛頭ありません。ただ、思いを馳せることはやぶさかではありません。
そんなことを考えた映画になります。
◯今回観た映画:『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』 東宝 2003年
Amazonの商品ページで申し訳ありません。
平成ゴジラシリーズが『ゴジラvsデストロイア』で一旦終了し、その後のミレニアムゴジラシリーズの1作品になります。
◯概要
モスラとメカゴジラが出てくるということもあって、息子が見たがってしまった作品になります。
平成ゴジラシリーズと比較して、一気にデジタル感が増した作品となっています。迫力としては平成ゴジラシリーズを大きく上回っていました。
◯本作におけるメカゴジラ
なんといっても、この作品のメインは「メカゴジラ」だと思います。
「メカゴジラ」とはいえ、本作ではメカゴジラという表現はほとんど出てきません。(というか、出てきたのか?)
それまでメカゴジラとして呼ばれていたものが「機龍」というように呼ばれています。
前作『ゴジラvsメカゴジラ』(まだ見ていません)の流れを引き継いだらしく、いっそう「機龍」に対する思い入れが強いものとなっています。
この「機龍」は、引き揚げられた初代ゴジラの骨をメインフレームにしているらしく、いわゆる生体ロボットとか、生物兵器に近いイメージかと思います。
時代的にもなんとなくエヴァンゲリオン感が出てきています。
ゴジラの骨格がベースになっており、尻尾も長く、歯も鋭い。
平成ゴジラシリーズのときの「メカゴジラ」よりも、生物的な躍動感のある動きをします。
なんとなく、整備士たちも含めて愛着がわいてくるのもわかる気がします。
◯本作における戦闘シーン
そういった「機龍」の背景もあってか、本作での戦闘シーンはダイナミックです。
尻尾を振り回して街をことごとく破壊していったり、放射熱線の迫力もデジタルが駆使され半端ないです。
肝心の終盤のゴジラと機龍の格闘シーンは見ものです。
昭和ゴジラシリーズの怪獣プロレスを思い起こします。
動きがしなやかになったゴジラと機龍の肉弾戦が起こります。
もはやプロレスというより、リアルな相撲を見ている感覚です。
出来レースでもなく、本当に戦っている感じがして、自分としてはとても面白かったです。
◯ミレニアムシリーズのゴジラ
本シリーズにおけるゴジラは、平成ゴジラシリーズと比較してかっこいいフォルムをしています。
口の開き方も恐ろしさを増していますが、背中のトゲトゲなんかもかっこいい!
より凶悪な見た目になっています。
ただ、インパクトがあるのは「目」です。
なんとなく色のコントラストをはっきりさせたのか、本シリーズのゴジラは目力があるように思います。
黒いボディにはっきりとした目。
なんとなくイケメンになったような気がします。
平成シリーズが頭にある私にとっては、少し違和感のあるゴジラの見た目ではありましたが、これはこれで良いなと思います。
◯「機龍」に心は宿るのか
そして本題です。
若干のネタバレになってしまうかもしれません。
本作では、「機龍(メカゴジラ)」が意思を持ったように制御不能になり、自律的にゴジラを封じにかかるシーンがあります。
まさにエヴァンゲリオンかと思います。
メカゴジラという無機質な兵器に"ゴジラの骨格”が加わることで、意思を持って動き出す、ということでしょうか。
それとも、愛着をもって機龍を扱い続けたことにより、物体に意思が芽生えるのでしょうか。
なんとも深い示唆のように思います。
あくまで人間側の幻想なのでしょうか。
近年の漫画で『ONE PIECE』があります。
そこでも、長年共に航海し続けてきた「ゴーイングメリー号」に意思が宿り、クルーを助けにくるシーンがあります。
ものは各パーツだけでは魂は宿らないかもしれないが、組み立てられ役割をもつようになったときに魂が宿る
というような説話もあったりします。
私はまだ「そんなことはないだろう」と思ってしまうところもあります。
でも、実はそういうことなのかもしれません。
なんとなく、息子は自律的に動く「機龍」に思いを馳せていたようにも思います。
科学の向かっていく先はどのようになっていくのでしょう。
そんなことを考えた作品でした!
なんとも深い示唆のある、面白い作品だったと思います。
いまだに「ゴジラ」を見続けている自分が切ない…。
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