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障害者はできるだけ苦痛を避けて生きよう

障害者の人生は苦痛そのもの

そもそも私を含め、障害者の人生は苦痛そのものだということが出来ます。健常者のように普通に働くことが出来ないし、普通に結婚することだって難しいし、子供を持つことなんてさらに難しいと思います。

周りの健常者の友人たちが当たり前のようにやっていることが出来ないと、それと自分を比較して卑屈な気持ちになる障がい者の方はとても多いと感じています。

なので障害者の人生は苦痛に満ちているし、その苦痛をなんとかしないとマシな人生を歩むことは難しいと言えます。

しかし、人間として生きる上で幸せになりたいという欲求は誰しも持っているものです。苦痛に満ちているからといって、幸福に生きることを諦められないのが人間というものです。

ではどのように生きれば良いのでしょうか。障害者がより苦痛を感じずに幸福に生きる方法はあるのでしょうか。

苦痛がない人生は幸福である

ここで幸福という言葉が抽象的すぎるので、改めて定義しておきたいのですが、私は「苦痛の少ない人生」が幸福な人生であると思います。

幸福というとイメージされるのはある特別な状態ですが、そこに至るまでに実は不幸を呼び込んでしまうことが往々にしてあるのです。

例えば、結婚したら幸せだという考えに基づいて結婚をしても、夫婦関係に悩まされ、子供の教育費に悩まされます。ここから言えるのは幸福を求めるという行動には不幸がつきものだということです。

よって、本当の意味で幸福な人生を送るためには、逆説的ではありますが幸福を求めてはいけないということがわかります。

反対に、幸福な人生を送るということは、不幸になるような行動をできるだけ避ければよいという結論になるのです。

幸福とは特別な状態ではなく「普通」の状態である

そして幸福とはいたって普通の状態であることをここでは強調しておきたいと思います。例えば、毎日なんの不自由もなく3食飯を食べられて、安心して寝ることができるという環境を、わざわざ幸せと感じる人は少ないと思います。

しかし、そうしたいたって「普通」の状態こそ幸福であるということができるのです。幸福とはなにも特別な状態にならなければ実現できないものではないのです。健康で平穏な暮らしを過ごしている毎日こそが幸福だということができるのです。

そしてそうした幸福な人生を送るには、できるだけ苦痛を避けて生きれば良いのです。例えば、手に怪我をしている状態を考えてみてほしいのですが、その場合は手の怪我に注意が向いてしまって苦痛を感じている状態ということが出来ます。

つまり、人間は苦痛に対してとても敏感に反応する生き物だということです。ではその苦痛を取り除いてあげればどうでしょうか。手の怪我を一瞬にして治してあげれば、健康であることの幸せを感じることが出来ます。

しかし、その幸福はすぐに感じることができなくなってしまいます。なぜなら怪我をしていない状態に慣れてしまうからです。病気や怪我をして初めて人間は健康であることの幸せに気づくことができるのです。

障害者はできるだけ人生から苦痛を取り除けば幸せになれる

障害者はデフォルトの状態で不幸な人生が約束されているということが出来ます。だからこそ、できるだけ人生における苦痛を避ける努力をしましょう。

苦痛を避けることができれば、最高な人生を送ることはできないかもしれませんが、少なくとも最悪な人生を送ることは無くなるでしょう。

逆に幸福を特別な状態と勘違いして、特別な状態を目指してしまうと障害者の場合はさらに不幸なことになってしまうリスクが高いと思います。

例えば障害者が特別な状態として結婚を目指したとします。この場合は、健常者と違ってパートナーに迷惑をかけるリスクが高いので離婚する可能性が高いですし、精神的な障害を自分が持っていたとすれば子供にそうした障害が遺伝してしまうかもしれません。

幸福な状態を目指した結果として、より不幸な状態になってしまったということが出来ます。ですから障害者の場合は特別な状態としての幸せを求めて生きるのではなく、苦痛をできるだけ取り除くことを考えて生きれば良いのです。

例えば結婚をしないと決めて生きれば、少なくとも現在の状態よりも悪い状態に落ちることはないでしょう。健常者の真似事をしなければ、余計な苦痛を感じずに済むのです。

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