大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-03 八ヶ月間の作務)
五祖その法器なるを知り、ともにゆっくり語らんと思いたれど、弟子等の左右にあるを見て、彼らが嫉妬の見を起こさんことを恐れ、去りて衆と共に作務(仕事)すべきことを命じたり、六祖可からずして曰く、「われは自心の本性に常に智慧を生じ、この智慧は別に自性を離れて働くにあらず、(心の本性は本然不生にして、〇鑑明徹(〇は判読不能、霊の異体字か?)なるが故に、視聴よく妙に通じ、寒暖慮らずして知る、直にこれ真如の性覚その者が自爾として常に知るなり)故に自性即ちこれ福田にして、われ今既に目的を達し居れば、この外に福田をするに及ばずと思う、未審、この外に何の仕事をなせと仰せらるるか」と、福田とは幸福を植え付くるの田ということにして、人の日常辛苦して動作するものは福田のためなり、支那人は仏法修行をもって幸福を求むるためと思うなり、福田は目的にして、作務は手段なり、六祖はその目的たる福田は達し居ると思うが故に、手段たる作務の要なしといえるなり、然れども六祖もし自性これ福田たるを知りて作務を厭わば、これ断見に陥るものと言わざるべからず、自性即これ福田たるを知らばさらに却来して作務するを要す、例を真宗にとらば、信心獲得すれば目的は達したるなり、然れども信心獲得したるが故に念仏申す必要なしと思わば、これ断見に堕するなり、信心獲得したる後は、頭を回らしてますます報謝の称名を相続せざるべからざるがごとし、
五祖、六祖の理屈をいうを聞きて暗裏に点頭(うなずく)すれども、「この獦獠、根性大利(しぶとい男だ)余計なことを言わずに、あっちへ行け」と、叱して去らしめたり、槽廠とは厠屋なり、一本後院に作る、後院を好しとす、
六祖その意を察し退いて後院(台所)に至るに行者(台所に奔走周旋する給仕、臨済宗にては俗子多くこれを勤む、曹洞宗にては雛僧なり)指図して薪を割り米をつかしむ、かくして作務すること八ヶ月余りなり、この一節伝灯録に対照するに曰く、
天桂曰く「祖一日忽見慧能というより下、慧能偈曰に至るまで、すべて一千有余字、語甚だ醜陋(みにくくいやしい)、義もまた疎浅、知るこれ後人の卑辞なることを、(中略)伝灯幾許の間言虚語なし、もっとも好しとす、しかるに今の人鼠膽褊見(胆が小さく狭い見解の意か)にして、一句一字を改転するをはばかる、故に敢点削聊せず、註脚を下して、之を議し、之を弁ず」と、適評というべし、伝灯五祖の章に曰く、
しばらくこの節の文を読まん、五祖ある日六祖を見て竊に曰く「われ夙に汝が用いるに足るの才器なるを知る、然れども悪人等の妬みて汝を害することあらんも測られざれば、これを恐れて汝と語らざりき」と、五祖何ぞかくの如き人情めきたる耳語をなさん、六祖答えて曰く「弟子もまた師の意を察し、差し控えて堂前に至らず」と、六祖またあにかくの如き陋劣なる根性あらんや、この節後人の攙入附会せしものなること疑うべからず、
五祖一日すべての門弟を召び集めて説いて曰く「世人生死事大なり、汝等終日営々として福田を求むるも、生死の苦海を出離するを求めず、汝等自心の本性もし迷い居らば、福田も救うに由しなし、汝等去りて各自ら自心を顧み、自心の本性を拉し来たりて、一偈を作りわれに示せ、もし大意を悟得する者あらば、所伝の衣法を付嘱して、第六代の祖となさん、速やかに去れ、咄嗟言下に見得せよ、思考工夫する者は役に立たぬぞ」といえり、生死事大とは、凡夫迷人は生を愛し死を憎む、生死元来作者なし、ただ凡夫自らその分別に生死するのみ、もし直に生死無常の当体寂滅なることを了達せば、無始生死の海道、乃ちこれ生仏一門、驀直の菩提路なり、これ故に道う、諸仏世尊この一大事因縁をもっての故に世に現ずと、諸の衆生はこれがために困苦し、仏菩薩はこれをもって方便す、迷悟邪正、両端の差路のみ、また刹竿頭上、筋斗を打飜するが如く、僅かに一機を誤たば、則ち毒海に堕在せん、あにこれ一大事因縁ならずや、出離生死苦海(生死の苦海を出離す)とは、生死の苦海を脱し、涅槃の楽境に入れというにあらず、生死といい、涅槃という、すべて自心の分別計度のみ、生や生に任せば、生々不生、死や死に任せば、死々不死、何の処にか生死の悪むべく、涅槃の楽むべきあらん、この故に処してはばからず、行いて流れず、縁に応じてさえぎるなく、時に随いて去就す、念々にぐるを追わず、心心止まるをとどめず、直に心念無性なりと了ずる、これを出離という、所謂出離は出去離絶の謂にあらず、ただ所知の見を亡ずるにあるのみ、
輪刀上陣亦得見之(輪刀上陣にも之を見得る)とは、多くの剣を車の輪の如くに作り、振り回して敵と戦う、兵器を輪刀とも輪鉾ともいう、是の如き、思量工夫を用いるべき暇なき、危機一髪の間にも見性の人は直下に見得するをいう、利根の者機を見て作すに喩えるなり、
五祖、七百の門弟中、神秀という者、その上座(弟子頭)にして常に師に代わりて門弟の教授師たり、時に門弟等、師の前を退きて、互いに相談せるに、我等如何程、潜心焦慮して偈を作るとも、何の所詮なし、神秀上座に非ずして誰かこれに当たるものあらん、却って心力を労するは無益なりといえば、然り然り我等は自今秀師に依止せんとて、一人の偈を作る者なし、憐れむべし車載斗量の愚僧輩が無気力、昔も今も変わることなし、天桂罵倒して曰く、可惜許七百箇窮鬼子不快漆桶と、(ざまを見ろ、目も鼻もない漆桶ども)