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今どきオカルトって逆にアリか

「ダンダダン」がおもしろい。

原作もアニメもすごい完成度で
絵のクオリティはもちろんのこと
キャラクターもいいしテンポもいい。

その中でも個人的に好きなのが
なんとなく漂う「今どきっぽくない」感じ。

ネタの拾い方がなぜか同年代っぽい。
(高倉健とか最新話だと古畑任三郎とか)
作者は40ちょい前の人らしいので
もちろん僕よりはずっと若いんだけど。

何より今どきオカルトか。ってとこがいい。
オカルトってこと自体、今はレトロ感がある。
だから逆に新鮮なのかもしれん。

まあ時代に関係なく妖怪や宇宙人は楽しい。
なんだかよくわからんから魅力がある。
科学的に間違ってるとか言うような
そんなつまらん大人にはなりたくない。

「棒のたたり」という話

こっくりさんとか、
小学生の間で定期的に流行るものがある。
あれも「不覚筋動」と「予期意向」で
説明できるらしいけど。

これと並んで人気があるのが
「不幸の手紙」。(人気ってのも変だが・・)

自分のところに来た手紙を、
まったく同じ文章で何人かのヒトに
出さないとたたりがある。
という、昔っからあるアレである。

それがなぜか「棒のたたり」だった。
なぜ『棒』なのか。
『棒』でなければならないのか。

しかしそれはそれなりに怖い。

想像してほしい。
できれば手近にある棒を手にとってほしい。
いかにも「何か」がありそうではある。

暗闇に浮いた「棒」。
・・小学生は夢にうなされ、
「鉄棒」にもさわってはいけない。とか、
どんどんエスカレートしていったそうである。

しかし、なぜ「棒」なのか。

実はこれにはちゃんとしたわけがあったのだ。
つきとめたひともエライと思うのだが、
これがなんと「棒」→「木」+「奉」。
つまり「不幸」の写し間違いだったのである。
「不幸の手紙」が「棒の手紙」に
なってしまったのだ。

信じちゃう人は信じられる

小学生がむずかしい漢字を
いっしょうけんめい書き写していて、
いつの間にか字が変わってしまったという・・

なんと愛おしいことか。

おとうさんはこういう話、大好きなのである。
子供のことと笑ってばかりもいられない。
こういうことは今も日常茶飯事に
ぼくらの生活の中にある。

知らないから起こることって
間抜けだから余計に可愛かったりする。
一生懸命だから起こったりするし、
悪意がないから逆に信じられる。

信じられないことを信じてしまう
そんな人だから信じられるってことか。
なんかややこしい。

信じる人は素直な人。
あとは騙されないように気をつけてください。

次回の言葉は「冬服」です。

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